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この記事は、名著[神は妄想である]を読んだ神尾の妄想である~プラセボとの決別~

突然だが、2006年に発行された[神は妄想である~宗教との決別~]という伝説的な名著をご存じだろうか?

著者は私が最も尊敬する人物の一人である“リチャード・ドーキンス”。

内容を簡単に紹介すると、神の存在を科学的な視点から全否定し、その存在意義すら悪と断言し、宗教的概念(むしろそれ自体)を木っ端みじんに打ち砕いている。

あまりにも挑戦的かつ挑発的な本だが、各国でベストセラーになり、累計100万部以上の売り上げを記録している。

私がドーキンスをこよなく愛するのは、何も神や宗教がどうこうという考え方にではなく(神の尻尾という苗字を持つにも関わらず多くの日本人と同様、私は無神論者であるが)、これまで最もタブーだとされてきた宗教や神の絶対不可侵領域に、科学を駆使して立ち向かう前代未聞の常識破りな志に感銘を受けたのだ。

今回私は、このドーキンスの志を見習い、健康・美容業界にはびこる謎の風潮について検討しようと企んでいる。

では話しを進めよう。

マッサージの疑問|硬い筋肉は押せば柔らかくなる?


まずはマッサージに関する誤解から。

あなたが整体やマッサージ屋に行って「肩の筋肉が硬いですねー!!」と、言われたことはあるだろうか?

ほとんどの人があるはずだ。

(そうやって危機感を煽ることで患者の問題意識を高め、継続して通ってもらうためのコミュニケーションスキルである場合も多いのだが)

確かに、コリや痛みを訴える人の筋肉は硬くなる。

これは、筋肉が繰り返し過剰に使用され(あるいは使用されな過ぎて)、その周辺組織(細胞外マトリクス)が高密度化(ぐちゃぐちゃに絡みあう)か、線維化(コラーゲン線維の異常配置)した結果である。

だが筋肉は粘土ではない。

高密度化や線維化した組織が、ただその部分を押すだけで粘土のように柔らかくなることは、おそらく一生ないだろう。

では柔らかくするにはどうすればいいのか?

硬くなった筋肉に、繰り返し負担をかけ続けた悪しき癖やアンバランスな行動習慣、そしてそれを無意識に実行している脳を改善しなければならない。

これを実現するには、ベッドに寝ているだけでは不可能だろう。

ということで、整体師が良く言う「肩がものすごく“硬い”のでしっかりと揉んでおきますね。」は、スジが通らないことがわかる。

プラセボ効果|絶大なる威力を持つ魔法

しかし、硬いと言われる筋肉をほぐされると楽になるのは紛れもない事実だ。

痛みも軽減し、柔らかくなった気がする。

ここで“プラセボ(プラシーボ)効果”という魔法に注目しよう。

痛みの感覚は非常に複雑で、脳によってコントロールされているという認識を持つことは重要である。

例えば、テレビの音量が大きすぎれば、リモコンでボリュームを下げることができるように、脳にも筋肉から送られてくる痛みの信号のボリュームを、上げたり下げたりする機能があることがわかっている。

(中脳水道周囲灰白質(=PAG)や吻側延髄腹内側部(=RVM)などにある細胞とμオピオイド受容体とエンケファリンなどの化学伝達物質との相互作用によって)

これらの機能は、感情や情動を司る脳の他の領域と連携しているので、安心感やリラックス感を得るだけで、痛みのボリュームを下げる効果がある。

筋肉の状態は全く変化がないにも関わらずだ!

このことは研究によってすでに証明されているが、マッサージによる痛みの軽減のどのくらいの割合が、痛み発生物質の除去による効果なのか、リラックスしたことによるプラセボ効果なのかを調べる術は、今のところないように思える。

しかし筋肉が一切柔らかくなっていなくても、それを実感させ、満足感を与えることは可能なのだ。

これは、世界的に信頼がある名誉ある専門家の方が、駆け出しの見習いよりも治療の効果が高いことの事実の一部を説明するだろう。

専門家の主観的感想の危険性

プラセボ効果の威力を理解すると、カリスマ的美容家や専門家が豪語する、「私はこの方法で改善しました!」という主張を鵜呑みにする危険性が見えてくる。

なぜそう言えるのか?

仮にその主張をしている本人が、心底効果を実感している商品や方法だとしても、その実感をもたらしている根拠のうち、プラセボ効果がどの程度含まれているのか証明できないからだ。

そして、この主観的感想のみを根拠にした広告には、別の不可解さも含まれている。

人体は一人ひとり違うというのは周知の事実であり、ある刺激に対する反応の仕方は人によって何通りも考えられるという個人差を、全く考慮していないではないか。

つまり、私には効果的だったが、その方法があなたにも同じような効果を見込めるかどうかの保証はどこにもないのである。

神尾の妄想である

では、10年後も20年後も美しく健康的でいたいと望む人は、いったい何をどうすればいいのだろうか?

1つはエビデンス(科学的根拠)があるのかないのか見極めることが考えられる。

しかし公式に公表されているエビデンスですら歪められた情報である可能性もあるので、信頼し過ぎるのも考えものだが、個人の感想や意見にのみしか根拠がない手法よりは信憑性があるだろう。(エビデンスがあります!という広告にもプラセボ効果は有効に働く)

ではこの経済第一主義の世の中で、何を頼りにすればいいのだろう?

そこで、私が強く主張したい最も効果的で信頼性が高い方法はこれだ。

すなわち、美と健康面でも『自律』すること。

なぜ自分の身体の問題の全てを他の人に託そうとするのだろうか?

自分が感じる生の感覚や本能、反応は自分にしかわからない。

たとえ私がどんなに勉強しても、あなたの感じていることの全てを理解することは絶対に無理だ。

古代ギリシャの格言“汝自身を知れ”は、現在進行中である。

自分の身体をしっかり見つめ、試行錯誤を繰り返すことが最上で唯一無二の方法だと私は思う。

その自律した試行錯誤に役立つ材料を、私たち人体の専門家は提供できるだけではないのだろうか。

こいった認識や概念を、全人類一人ひとり持つようになることが私がひそかに妄想している世の中の在り方なのだ。

エピローグ~議論を巻き起こす意義~

さて、この記事のタイトルの由来となっている[神は妄想である]の著者リチャード・ドーキンスは、この本を発行した後に世界中の宗教家や信仰を持つ人からバッシングを受けたのは、想像に難くないだろう。

それだけ影響力があったのだ。

(読めばお分かりいただけると思うが、神とそれに由来する宗教、あとホメオパシーなどの信仰療法を本当にコテンパンにしているw)

だが、否定的視点を持つことや批判することは、建設的であれば正しい問題提起になる。

意思のないとりあえずの共感は、その場をうまくやり過ごすには重要なスキルかもしれないが、その集団が何か新しいものを生み出す可能性は限りなく低いだろう。

そして何よりつまらない。

私がこの記事で伝えたかったのは、マッサージや整体や主観的な感想が無意味だということでは決してない。

目的と方法が一致していない商品やサービスが、あまりにも多すぎるという問題を提起しているのである。

ドーキンスが世界中で引き起こした議論の波が、同じように美容健康業界でも引き起こされる日は近いと、私は確信してる。

この記事を書いた神尾健太という人物➤https://wp.me/P9oEaZ-41

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