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母の着物  SS0017

きつねの嫁入り 2018/10/23

「こーん」掛け声に合わせて、両手首を胸の高さまで上げ、きつねのように鳴く。

 秋晴れの今日、私は、ふるさとのさくら市の「きつれ川きつねの嫁入り」行列に参加している。
 正直、恥ずかしい。隣の婚約者の護(まもる)は、最初は照れていたが、慣れたのかカメラを向けられると、大げさにきつねの物まねをする。

 前にいる年配の夫婦が、「少し軽いんじゃないのか」とこちらを見て呟くのが聞こえた。

 護は紋付き袴できつねのお面を頭に乗せ、私は母の形見の白無垢を着ている。お互い額から鼻筋におしろいと端に紅(べに)を塗り、鼻の頭には黒点と、両頬にはひげを三本書いている。

 この白無垢は外祖母、母と伝わってきた物だ。できれば嫁入り姿を、母と祖父母に見せたかった。祖父母は母が中学生の時に事故で亡くなり、母は妹を産んですぐに亡くなった。

 花嫁花婿は、前の年配夫婦を含めて四組参加している。それ以外にも多くの人が、着物姿で顔に同じようにきつねのペイントをして、きつねのお面や耳を付けて練り歩いている。

 弟が、「着物なんてこんな機会じゃないと着られないだろう」と勝手に申し込みをした。
 弟は、妹と一緒に笑いながら、恥ずかしがる私を撮っている。後で絶対にいじめてやる。

「自衛官と聞いていたが、何か頼りなさそうだな」、「あら、最近の若い人にしては、しっかりしてそうじゃないの」前の黒い着物の夫婦は、品定めをするかのようにこちらを見てくる。いささかぶしつけではないかと思う。

 護は海上自衛官で護衛艦「ひゅうが」の乗組員だ。海の日に求婚され、来年結婚する。

「おじいちゃん、おばあちゃんも花嫁花婿ですか」少し皮肉を込めて聞いたら、「私たちの頃は忙しくて式が挙げられなくてね」、「あんたのお蔭だよ」ときつねの物まねをした。

 祭の終わり頃、晴れているのに小雨が降ってきた。大切な着物が濡れてしまうと慌てて軒先に隠れようとしたら、寺に続く道の角でこちらを見ている着物の女性に気付いた。
 女性は静かな足取りでこちらに向かってくる。近づくその顔を見て、私は目を見開いた。

 ──亡くなった母だ。ありえない。

 母は私の前に来ると、柔らかい笑みをたたえた。驚きで声が出ない。母は護に深々と頭を下げた。「愛海(あいか)をよろしくお願いします」
 護は、「はいっ」と緊張した声を返す。

 そして母は私を見る。眼が真っ赤だ。
「すごく、きれいよ。今日まで、よく頑張ったわね……」母が亡くなってからの、哀しく切ない日々が思い起こされ、目頭が熱くなる。

「それじゃ、お父さん、お母さん、行きましょうか」と母は前の夫婦に声を掛けた。二人とも見守るような笑顔で、私と護を見てくる。
「二人とも幸せにね」、「次は陸夫(りくお)の時にな」

 ──二人は、亡くなった祖父母だ。

「ま……待って」何とか声を絞り出す。

 雨が止み、母と祖父母は忽然と消えていた。

 護と顔を見合わせ、瞬きをする。

「何ぼうっとしてんのさ」、「はーい、こっち向いて」と弟と妹の、脳天気な声がした。
「ここに年配の夫婦が、いたよね」
 私の質問に、二人は首を振る。
「何、言ってんのさ。今回の花嫁花婿は三組だよ」弟のデジタルカメラを取り上げ、履歴を確認するが、母と祖父母は写っていない。

 私と護は、大きなため息を同時についた。

「次は、陸夫と美空(みそら)の時にだね」
「何だよ、姉貴、変な物でも食ったのかよ」

 訝しげな顔をする弟と妹を見て、私と護は笑った。秋の日のきつねの嫁入り──一雨の奇跡に、虹の空を見上げ、ありがとうと呟く。

「こーん」天高く、鳴く声が聞こえてきた。

第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して自衛隊ミステリー『深山の桜』で作家デビューしました。 プロフィールはウェブサイトにてご確認ください。 https://kamiya-masanari.com/Profile.html 皆様のご声援が何よりも励みになります!