祈ブロ460

今日出張で山梨県の山中湖のあたりを運転していて、途中トイレ休憩のために湖のほとりの駐車場に車を停めて公衆トイレに行こうとしたら、駐車場に停まっていた水陸両用バスが急に動き出してマジで轢かれそうになりました。

でも単純に「バスに轢かれる」だったらただ「可哀想」になるのに「水陸両用バスに轢かれる」だったらちょっと面白くなるのなんなんでしょうか。その時は「危ねえなおい!」と素直に思いましたが今となっては「ほんのちょっとの怪我なら水陸両用バスに轢かれても良い」とまで思ってきています。でもその場合人に話すときに水陸両用バスに轢かれた証明が出来ないのがかなり難儀です。その場にいない人からしたらただ怪我している人にでしかないのは悲しいところです。

水陸両用バスが(個人的には)面白いと思うというのは、「珍しいものが面白い」というのともちょっと違う気がしていて、でもじゃあどうして面白いと思うのかと聞かれると上手く説明も出来ません。このへんの微妙な面白いと面白くないのラインが、例え言語化出来ずとも(出来たら最高ですが)自分の中ではっきりしている人はとても大喜利が強い人だと思います。今僕が大喜利が面白いと思っている人を思い浮かべるとまさにそのようなことがしっかり出来ていそうな人ばかりです。このラインが人それぞれ違うのは大前提(面白いと思う対象が人によって違うのは当たり前なので)ですが、ここが自分の中ではっきりしているかしていないかというのは、大喜利における取捨選択に大きく関わってくるような気がします。

まさか水陸両用バスに轢かれそうになったことが今後の大喜利のヒントになるとは思いませんでしたが、大喜利のことについて考える良いきっかけが出来て良かったなと思います。今度水陸両用バスを貸し切ってその中で大喜利できたら楽しそうですね。レッツ「湖大喜利」だ!

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