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Hello,my friend

最近、このnoteをツイートしてくれる方が増えていて(※1)、そのおかげか読者が増えるとともに、有料記事を買ってくれたり、サポートしてくれたりする人も増えていて、日々恐縮しております…。もちろん超うれしいですけど、みなさま、無理のない範囲でお願いいたします。

で、今回は、非常に「青い×痛い×脆い=破壊力」という感じの“激痛な文章”が垂れ流されていて、人によっては気分が悪くなる可能性があるので、そういった文章が苦手な人は読まない方がよござんす。

さて。12月25日(金)、愛聴しているラジオ番組「アフター6ジャンクション」では、年末恒例のシネマランキングがおこなわれたワケですが、その放送後、僕は「別冊アフター6ジャンクション」のポッドキャスト収録にリモート出演することになってましてね。近年は「リスナー枠に選ばれたものの当たらなかった作品ベスト10」を発表していて、今回もそうしようと思っていたので、12月中旬以降は仕事と筋トレの合間を縫って、放送のためのレジュメを書いては推敲するエブリデイだったんですが…。その中で挙げようと思っていた映画の1本である「青くて痛くて脆い」のことについて考えていたら、ちょっと昔の友だちのことを思い出したので、サラッと書いておきますよ。

Kくんと出会ったのは、高校2年の5月ごろ、バレーボール部に入ってきた時。彼はそれまでサッカー部にいたんですけど、不良仲間のSくんがバレー部にいたこと、Kくんが中学まで強豪校でバレーをやっていたことを知ったSくんが積極的に誘ったことにより、途中から入部してきたんですが…。まぁ、驚くほど上手くて即レギュラー&部長になっただけでなく、不良なのに非常に気が良い上に(一般学生に絡んだりすることはなく、むしろ「やめろよ!」と止めるタイプ)、ビジュアル的にも「超イイ男」であり、もうね、「漫画のキャラかよ!」と。嫉妬する…なんてことは微塵もなく、むしろ「Kくんは本当にカッコいいなぁ」と憧れ一辺倒だったのです。

大事な試合の前に、仲間の不良とUWFごっこをして足を壊して試合に出られなくなった…なんて“やらかしエピソード”もありましたが、それもなんだか「Kくんったら(微笑)」と優しさに包まれて許される感じ。当時の僕は「背がデカい割には役立たず」的なポジションだったので、それが悔しくて部活のない日も自主練していたものの、高校まで一切の運動をしていなかったのもあって、なかなか上手になれなくて。「僕はこんなに努力しているのに、どうして上手くなれないのかなぁ…」なんてことを泣きながら話した時も(※2)、優しく話を聞いてくれて、本当にいい人だなぁ…なんてね。Kくんは僕が通っていた高校の不良ランクでは上弦の鬼クラスであり、あまりにも住む文化圏が違いすぎるので、それほど親しくはなれなかったけど、彼が僕を仲間として扱ってくれたことも、高校時代を平和に過ごせた理由の1つだった気がします。

そんなKくんから「結婚式の招待状」が届いたのは、2008年のこと。高校を卒業した後、何度かはOB会で会ったりはしたけど、それだってもう10年以上前だったし、「おおっ、懐かしいなぁ」という気持ち。しかも、披露宴と二次会の受付を手伝ってくれと頼まれたから、とてもうれしかった。結婚式の受付は「出席者からお金を預かる」という非常に大事な役目であり、それを僕に頼むというのは、それだけ信頼してるってことじゃないですか。僕的にはもう「ハイ、よろこんで!」と、やるき茶屋の店員ライクに出席を即答。やる気ゲージを3本ほど満タンにして、いつでも超必殺技を撃てる状態で、式がおこなわれる横浜へ向かったのです。

高級ホテルで開かれた結婚式&披露宴は非常に良い雰囲気でして。同じ高校の人がいても、基本的にはそっち系の文化の人ばかりだから、そんなに話が弾むことはなかったんですが、「料理が美味しいからいいや」と。披露宴後は「じゃあ、二次会のビンゴの景品を持って、先に会場の準備をしてて」って頼まれて、「ハイ、よろこんで!」と会場に大量の景品を1人で持ち込んで、受付の場所をセッティングしたり、お釣り用に自分のお金を両替したり…って、ここら辺でやっと気付いたんです。これって別に仲が良いから頼まれたんじゃなく、「単に便利だから呼ばれたんじゃないか!? 」と。

ちょっとショックでしたけど、もちろん僕は大人ですからね、せっかくのめでたい席に水を差すなんてありえませんよ(苦笑)。むしろ「(立場的に)高校時代に戻った!」と考えればちょっとしたタイムトラベラー気分。さらに「アタシ、都合良く使われてる…」と悲劇のヒロイン気取りもできれば、「そんな中、キッチリ役目を果たすなんて素敵すぎ!」と健気な自分を褒めてあげたい気持ちも堪能できるという、一石三鳥のスーパータイムの始まりだッ! 手伝ってくれる人が誰もいなかったので、若干、受付がスムースにいかなくて知らない人にイライラされたりもしたし、遅れてくる人が結構いて受付を離れられなくて、終わった時にはすっかり食べ物がなかったりしたけど、何とか役目を果たすと、Kくんと奧さんに感謝されましてね(微笑)。適当なおみやげをもらって、帰路につきました。

んもう、心底恥ずかしいというかさ、ごめんなさい、アタシ、ちょっと勘違いしてた。結婚式の受付とかって基本的に面倒くさいことだからさ、普通は“本当に親しい友人”にお願いすることだと思いこんでて。それを頼まれたから、もうすっかりKくんの“本当に親しい友人”気取りだったけど、よくよく考えれば、十何年も会ってなかった僕がそんな存在のワケがないのです。僕は心底アホなのでね、むしろ「何年も会ってない僕に頼むくらいなんだから、友達が少ないんだろうな…」なんて呑気に同情してたんですが、式場に友達はたくさんいて、親友と名乗る人たちも大量に存在。彼は単に“本当に親しい友人たち”には面倒くさいことをやらせたくなかったから、大して親しくもない僕を呼んで、面倒くさいことを押し付けただけだったんですよね。

それなのに僕は「ハイ、よろこんで!」とホイホイ浮かれてご祝儀を持って行って、二次会の会費もちゃんと払って、受付のお礼にコーヒーカップのセットをもらって、文句の1つも言わずに帰ったという…。当時36歳だったけど、まさかその年齢で、好意を持っていた同い年の人間からこういうアプローチを受けるとはまったく予想してなかったから、実際はかなり混乱したし、さすがに凹みました。「行ってくるね♪」なんて意気揚々と出掛けた分、奥さんに落ち込んだ顔を見せたくなくて。自分の夫が「他者からこんな風に扱われる程度の男」だと知られたくなくて、寝た頃に帰宅して、シャワーを浴びながら声を押し殺して泣いたことを覚えております。

って、ここまでの文章は、実は2012年、「ヤング≒アダルト」の感想の時に書いたものでしてね(ちょっと変えましたが)。また映画をキッカケにKくんのことを思い出す程度には、やっぱり傷ついていたんだなぁと。感想をアップした2012年からさらに8年経って、マーク48となった現在からマーク36だったころの僕を振り返ると、「他者からこんな風に扱われた」という以上に「他者との距離のはかり方を間違えたこと」の方がとても恥ずかしくて、ショックだったんだなぁと思います。「勝手に友だちヅラして、バカみたい」。

まぁ、Kくんは間違いなく僕のことを“下”に見ていたけど、それを直接伝えたら反省するぐらいの「いい奴」ではあるんですよ、たぶん。だから、僕の方こそ友だちだと思うのだったら、僕から一歩踏み込んで、不満を伝えても良かったんじゃないかとは思うんですが、しかし。結局、僕だってそれほど彼のことを大切に思ってなかったから、あれで縁が切れて良かったんでしょうな。このころの僕にだって、大切な奥さんがいて、それなりに長い付き合いの友だちがいて。そんな中、わざわざ「自分を尊重してくれない人」の誤解を解こうとしたり、無理に付き合おうとしたりする必要はないものね。いや、一歩踏み込んだら、もっと仲良くなれたのかもしれないけど(実際、そうやって仲良くなれた人もいるし)、その「一歩のためのエネルギー」は、別のことに使った方が建設的な気がします。

って、僕だって意識せずにそういった態度を誰かにとっていたりする可能性はあるし、そうやって離れていった人もいるんでしょうし、そもそも人間関係ってのは大なり小なり、そういうことが多々あるんじゃなかろうか。僕的には「心も筋肉も一緒」というか、ある程度の負荷を与えることで強くなるものだから、多少は「ダメージを食らう経験」や「ダメージを与える経験」をするのも仕方ないけど、とは言え、負荷によっては壊れたり、致命傷になったりするから、難しいものですな…。まぁ、何はともあれ、こんなことを思い出すキッカケとなった「青くて痛くて脆い」はとても“青くて痛くて脆くて、超痛い映画”なのでね、興味のある方はぜひ観てみてくださいな。



※1 ゴスペラーズの黒沢薫さんにツイートされた時は、マジで恐縮しすぎて吐くかと思った…。

※2 「背がデカいから」と、半ば強制的に入れられたバレーボール部でしたが、僕は僕なりに努力した3年間ではありました…。


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