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かもカフェの格闘史~店の抽象化の社会哲学~



  「えらいてんちょうの社会科学」(https://note.com/kamocafe_note2/n/n67034bf44ad9)の最終章にて、「かもカフェ」というカフェについて言及して終わりました。かもカフェは私(かもカフェ)が開いたカフェですが、かもカフェは実験中の店で、インターネット上にある抽象的な店であり、現実の店舗にダウンロードできる店です。かもカフェはコロナ以前から抽象化されてインターネット上に存在し、また現実の店や地域にもダウンロードされていました。現在は川西のケプリにダウンロードされていて、かもカフェのコーヒーなどを売ったり、川西の人達と協力して地域に色々なプロジェクトを作り込んだりしています。このnoteもかもカフェのお店の中においてある研究ノートという扱いです。「えらいてんちょうの社会科学」では、現実×インターネットの社会科学をスケッチしましたが、かもカフェはえらいてんちょうとは少し違ったやり方で現実×インターネットの社会的実践を行い、現在でも続いています。かもカフェは実験中の店でありプロジェクトで、そのポテンシャルは未知数です。店を抽象的なものにするという事が将来的にどういう意味を持ってくるのかもまだ分かりません。
 本稿ではどういう背景で私がかもカフェという店を作ったのか、どういう事がやりたくて、何を模索しているのかを、今の私が手探りして考えている範囲で書きたいと思います。



1.背景~かもカフェ前史~

 これを書いている2022年3月現在で、私がかもカフェというカフェをやり出してもう5年目になります。私は2018年の1月(29歳の時)にかもカフェのアカウントを作りました。川西のケプリができたのが2018年の2月です。2018年の2月は、私は初代エデンハウスの住人を1か月間くらいやったりしていました。2018年の2月にエデン本店で初めて、統合失調症リハビリカフェというのをやりました。
 しょぼい起業のムーヴメントが勢い付いていたのが2018年と2019年でした。この二年間はえらいてんちょうと久木田郁哉が東西でドライヴをかけて、沢山のしょぼい店が日本全国と海外にできました。そのビッグウェーブに乗りながら、かもカフェはインターネット上をふわふわして存在していました。
 元々、私がかもカフェを作ったのは、自分の社会復帰のためでした。20代をまるまる統合失調症との認知行動慮法的格闘に費やして
https://note.com/kamocafe/n/n169540d449ff)、27歳(2016年)の時に回復の見込みが立ったものの、その代わり脳と精神の認知が繊細になってダメージを受けやすく、特に人の言動に影響を受けすぎて(反応し過ぎて)しまい、社会性が著しく失われてしまっていたという個人的な事情がありました。28歳(2017年)の時に機械製造業の会社にバイトで入社したりしましたが、脳と精神の認知や感度が繊細過ぎて疲れてしまったり、刺激や人間関係の変化への耐久力が低く、社内の衝突や手荒い指示に耐えられなくて(具体的には激しい頭痛がしたり、トイレで眠ってしまったりしていました)、数ヶ月で辞めたりしました。この頃、一年の内、働いていない時は寝てたりしていました。
 そんな中でも、25歳(2014年)くらいから始めたカフェでコーヒーを淹れるアルバイトだけは数年間続けられたので、自分でカフェでもやろうかなと思ったのがかもカフェの始まりでした。
 2018年の年始に、大阪でコーヒー屋をやっている知り合いから、自分のコーヒー屋で働いていたスタッフが開業した扇町のカフェが諸事情で休業中で、よかったら間借りでカフェをやってみないかと言われ、2018年3.4.5月にかもカフェ扇町店というカフェをやりました。この時はまだ関西にエデンもなく、しょぼい起業の店はケプリとかもカフェだけでした。かもカフェをTwitterを使いながら開業しましたが、かもカフェ扇町店に来てくれた人には、久木田郁哉(難民社長)、エデン大阪の店長をやったよしはやさん、エデン京都の店長のまよてんさん、中東カフェfinjanのご夫妻、川西かっぱ食堂店長のきゃめろんさんなどの人達がいました。
 扇町では3か月間毎週末かもカフェをやりましたが、感想としては、ちょっと厳しいな、という物でした。店をやったら分かるのですが、店をやるのは(週末だけでも結構)大変で、前日から材料や道具ややり方を調整し、準備して、営業日当日は何時間も身体を動かして働きます。当たり前の事なのですが、これが心身ともに結構大変なのです。店の家賃はかかっていたので、返済金額や損益分岐点を見ながら、仕入れをして商品を作って単価を決めて提供してお金を稼ぐというのも初めての体験で、心身共にプレッシャーでした。この時点では、これを今すぐ自分で毎日やるのは難しいなと思いました。
 かもカフェ扇町店が終わった後は、関西や東京のエデンで時々バーテンをするなどしていました。その間に東西でえらいてんちょうと久木田郁哉がダイナミックに動き、しょぼい起業の種を蒔き、日本全国にしょぼい店が沢山できて行きました。それを見ながら私は、う~ん、この先どうしようかなぁと考えていました。えらいてんちょう発の社会経済活動(それは「えらいてんちょうの社会科学」で書いた様に、実店舗とインターネットを掛け合わせて社会を作り、ネットワークとコミュニティを拡大生産して人々の社会経済活動を喚起して行くという物でした)のダイナミックな動きに、その時の私の脳と精神の繊細さでは着いて行けないと分かっていたのです。しかし自分でも実店舗は持ってみたかったし、そうやって(失敗しても良いから)タフな社会活動を頑張れば脳と精神も強くなると分かっていたので、どうにかして工夫できないかと考えていました。
 そこで、実店舗経営に挑戦しつつ、それをやりながら店をインターネット上に保存・バックアップすることはできないだろうか。実店舗とその抽象的な分身の階層的な体制を作って、失敗しても復活・再起動・再挑戦できるように上手い形でかもカフェを作り込めないだろうか。インターネットを上手く利用すれば、なんなら用途や場面で着脱可能な店みたいなのを作れるのではないだろうか。かもカフェの雰囲気やSNSを見ている人々への表示の蓄積の仕方次第ではそれができるのではないだろうか。そういうことを考えていました。統合失調症に失敗はつきものなので、失敗してもまた立ち上がることが大事だと経験上分かっていました。また、しょぼい起業の理念として、自分の性質に合わせた持続可能な経済活動の手法としてのしょぼい起業というのがあり(えらいてんちょうはそれを「生活の資本化」と呼んでいます)、私にとってそれはどういうものがあり得るだろうかと考えた場合、そういうかもカフェの姿が浮かんだのです。

2.かもカフェ夙川店(2019.1~9月)

 この様な背景から、2019年1月から物件を探し始め、2月に夙川の阪急神戸線の高架下に家賃5万円で物件を見つけました。小さなバーの居抜きです。木でできたカウンターが立派で、ここで良いかなと思いました。
 かもカフェ開店前の2018年末から2019年1月と2月にかけて、エデン京都で何度もバーテンをしました。現実でもネットでも認知・衆知を広めてお客さんを作っておこうと思ったのと、京都を選んだのは、私の雰囲気に合っていたからです。政治哲学バーや東洋思想バーなどを開催しました。2019年1月と2月の二か月間、毎週一回くらいの頻度でやっていたと思います。エデン京都でのバーの様子はかもカフェのSNSのアカウントで逐一Twitterにアップロードし続けました。毎回結構盛況で、色んな人が来ました。コンテンツ系のバーやカフェは認知を広めるには良い手段です。
 3月初め頃に小さなバーの居抜きでかもカフェ夙川店は開店しました。店を毎日開けるのは楽しかったです。色んな人に出会えましたし、色々な事の社会勉強をしました。しかし自分で実店舗を持つのは大変でした。実店舗は、間借りで店をやるのとは負担の度合いが全然違うのです。自分の店と商品の強みを分かってもらう事は大変でした。また、カフェという業態の性質上、人が比較的長い時間滞在しますから、お水を出したりお皿をいっぺんに洗うことができなかったり、複数の人を同時に相手にしなければならなかったりと、付随して色々な煩雑な仕事が出てきます(これは当たり前と言えば当たり前ですが、カレー屋よりもカフェの方が店内での接客や仕事は難しいと思います。業態や商品でこういうことは色々違います)。毎日営業すれば資材も早く減りますから買いに行かなければなりませんし、コーヒーを焙煎して商品を作る時間も必要です。帳簿も付けなきゃいけないし、ずっと立って仕事ですから、店は本当に大変なのです。大変なので、人と協力しないとやって行けないのですが、この時の私の統合失調症の脳と精神の認知の性質では、それをやったら、人に対して気を遣い過ぎてしまったり、人に店番を頼んでも地域のお客さんと揉めたりしたらどうしようなどと不安になってしまったりと、思念が膨張して頭が変になってしまい、できませんでした。
 この様な店の営業における具体的なやるべき仕事は間借り営業でも生じるものですが、実店舗で毎日営業となると非常に仕事量が多く、比較になりません。素朴な言い方で表現すれば、実店舗は毎日毎時間手間暇かけて育てなければならないのです。棚が沢山置かれたり、商品が沢山並べられたり、看板が小まめに更新されていたり、商品や店の色んな事を紹介する張り紙が壁にペタペタ張られてあって賑やかだったり、店に人が訪れていたりして、とにかく中も外もワイワイ賑やかにやっていれば、店はエネルギーを蓄えて元気に育って行きます。店舗経営は小さいものを大きくしていく育成ゲームの様な感じがあります。社会的な観点では、それは店舗をしっかり営業することで地域に信用を積むゲームの様になって行きます。また寧ろ、そうしないとお客さんが来ないどころか店の悪い評判が立ってしまい、社会の悪い部分から突撃などをされます。これも実店舗をやった事のある人には分かると思います。
 そういうことで格闘しつつ悩みつつ、私が統合失調症独特の哲学っぽいことをずっとツイートして店でも喋っていたので(これについても書くと長くなるのですが、あの頃は私の脳と精神の認知にそういう統合失調症の分析哲学の様なドライヴがかかっていたのです)、そういうのが好きな人が集まり、かもカフェ夙川店はコンテンツ系のカフェになり、結局は当事者系のカフェになって行きました。大変でしたが、それはそれで良かったと思います。しかし、こういうカフェは人に任せるのが難しくて、やはり私がやらなければなりませんでした。そういう意味ではしょぼい喫茶店のえもいてんちょうが言っていたことと同じで、カフェの経営を属人的な方向に振り切ってしまったのです。
 通常の起業では、立ち上げは必ず人物に依存します。店や会社を立ち上げつつ商品と販路を試して、売れ筋の商品が定まって来たところで、増えて来た手仕事などを人に任せて経営者は更に販路を拡大する、というのが起業の初期のパターンだと思います。
 かもカフェ夙川店は人物依存のカフェ経営で、そのような展開を実行する事ができませんでした。あの頃の私の脳と精神に残っていた思念過多の統合失調症の性質のせいで、人に仕事を頼んだり店番を任せたりすることが、不安や神経過敏を引き起こしてしまい、できなくなっていたことが一番の原因でした。それは、店と店長が自己完結的になってしまっている訳で、現実において社会が広がりません。
 難しい現実に悩みつつも、私にその自覚があったので、かもカフェはインターネットを使って工夫しました。かもカフェが工夫したのは、上記の仕事内容だとか、作った商品とか、お客さんとのやり取りとか、喋っている内容などを、徹底的にかもカフェの名前のSNSでアップしたことでした。実店舗の名前がかもカフェで、店長の名前もかもカフェで、SNSのアカウントの名前もかもカフェなので、三つのかもカフェが動けば動くほど、かもカフェという人物(店長)であり店とSNS上のアイコンの同一存在は、インターネット空間と人々の間の認知に蓄積されました(これについては第7章で理論的に検討します)。私は写真の表現が上手いところもあって、それも結構良かったかもしれません。現実では対人的な協働ができず社会展開をやって行けないのに、インターネットにはかもカフェを展開して行けたのです。
 2019年は初めからずっとかもカフェ夙川店と共に走り続けましたが、2019年8月頃から身体がしんどくなり始め(人物依存で自己完結的な経営のカフェに立ち続ければ、当たり前ですよね)、9月の初めに色々考えた上で閉店を決めました。店は撤退作業も結構キツくて、冷蔵庫やエアコンなどの機材を取り外す事や、開店にあたってお世話になった人への挨拶など、色々な事をやらなければなりませんでした。2019年9月末にかもカフェ夙川店は閉店しました。

3.川西にログイン(2019.10~)

 かもカフェ夙川店を閉めてから、2019年10月に久木田郁哉が作っている川西のケプリにログインしました。私を拾ってくれた久木田に感謝しています。
 川西にログインする時、「かもカフェ夙川店は閉店しましたが、かもカフェは川西に移りました。引き続きよろしくお願いします。」とツイートしました。かもカフェの実店舗という物体はないのに、ヤドカリの中身、タコツボのタコだけが、川西に引っ越して来たのです。川西にはかもカフェ目当てで来てくれる人もいて、店を抽象化できてきているかもしれないと思いました。
 川西ではまずケプリでカレー屋の仕事を一通り覚えました。カレーの作り方、オペレーション、商品の配置の仕方、お皿のしまい方、ご飯を炊くタイミング、などです。ケプリはカレー粉工場でもあるので、カレー粉の作り方も学びました。
 一人で店をやっていた時とは違い、川西では周囲との協力・協働を意識して挑戦しました。かもカフェ夙川店を撤退してからすぐですが、むしろかもカフェ夙川店ではできなかったことを頑張ってみようと思いました。かもカフェの自己完結性を脱構築して社会的にするプロジェクトです。
 実際に協働をするとなると、周囲の人物達との間で自分がどういう役割を果たせるかを考える事が大事だと思いました。また、自分がどのように人々と協働できるかはやってみなければ分かりませんし、それは挑戦の回数と経験値を増やさなければならないと思っていました。そして、川西は立ち上げたばかりの時期で、何でもやってみる余地が沢山あるし(裏を返せば何も決まっていないという事なので、だからこそ難しい事も沢山あるわけですが)、失敗は許されているので、とにかく何でも他者との関係で行動してみようと思いました。
 また更に、これも書き出すと長くなるのですが、統合失調症の私は主観と客観のグラデーションにおける精神的な認知のカメラが、主観の位置に強く固定されがちで、他者目線から客観的に自分を見ると、主観的に見た自分の像と客観的に見た自分の像の差(社会的に生じる認知の歪みみたいなものです)に、精神的に耐えられなくなるという傾向がありました。よくある統合失調症の妄想などは主観のエネルギーが強くて思い込みで暴走している訳です。主観が強くなると人は自己完結的になる訳ですが、反対に客観的過ぎると個性がなくなります。私は川西で頑張って他者との協働関係を作って、成功や失敗の回数を積み重ねて悲喜交々喜怒哀楽を沢山経験すれば、他者からの客観的な目線を自分でも持つ事に耐えられるようになって、精神的・身体的な社会性を強くできると思っていました。自分の認知システムの主観と客観のバランスを変えようと思ったのです。
 また、ここでも私が意識して行ったのは、その協働や社会的な行動の様子をかもカフェのSNSのアカウントでアップロードすることでした。川西の活動をSNSにアップロード・記録をしつつ、かもカフェは川西で続いており、関係人物との間で物語が生まれているのを、かもカフェのフォロワー達はそれぞれの窓から見ることができ、やはりかもカフェは蓄積されていきます。えらいてんちょうがしょぼい政党を引っ張っていた2020年5月の最後の方で、「双極性障害が悪化しているからつらい(泣)」という様なタイトルと内容のYouTube配信を布団で寝ながらやっていましたが、えらいてんちょうはそういう配信でも、障害者政党であるしょぼい政党の離陸には役立つと思って配信していたと思います。しょぼい政党もかもカフェと同じで、インターネット上の実体になるという目的がありました。かもカフェはしょぼい政党とは違い、実店舗と店長とSNSが、名前も実体も全部かもカフェなので、かもカフェの名前で私が活動すればするほど、インターネット上でかもカフェの名前の抽象的なスロットにデータが溜まっていき、かもカフェはインターネット上の実体になって行きます(これについては第7章で理論的に検討します)。
 これを書いている2022年3月現在は、私はしょぼい起業の村・川西について、かもカフェのnoteで2本の長めの記事を書いて発表していますが、かもカフェはそういうライターとしての役割を果たせそうだなと思っていました。かもカフェは川西で活動しながら、川西での色んな動きや社会現象のデータを採っています。川西についての記事は結構アクセス数も良いです。川西で活動すればするほどデータは溜まるので、書けるnoteも出てきます。かもカフェが書くnoteも抽象かもカフェのコンテンツになります。
 また、現実レベルでの私は川西には展望があって来ました。自分の全ての状況をひっくるめて考えると、社会経済活動を川西に一元化して、一点突破するのが良いと思っていたのです。この時は別の件でも川西で関わっている人物がいて、それもひっくるめて解決できないかと考えていました。
 山と川と盆地以外には何もない川西では社会的な縛りがあまりなく、何をやっても基本的に注意などはされません。行動は自由で、その代わり明日も将来もどうなるか分かりませんが、この先どうなるんだろ~と思いつつ、半分笑いながら、毎日活動していました。
 そうこう考えている内に、2020年が来て、コロナウイルスが世界を席巻し、日本にもやって来ました。

4.川西に作り込む(2020.2021)

 コロナ問題が激化し出した2020年3.4月頃から、これは逆にチャンスだなと思い、川西でのかもカフェ活動のドライヴをかけました。コロナで社会がロックダウンしている時に川西市内で物理的・社会的に頑張れば、ネット上に認知を蓄積できるかもしれないと思いました。そのため、2020年と2021年はほぼ休みなしに川西で活動し、その様子をかもカフェのアカウントで画像付きで発信し続けました(皆んながコロナ自粛中のお家の中で川西の画像を見てくれたら嬉しいなと思っていました)。川西能勢口駅の陸橋でビラ配りをやっていると時々、かもカフェさんですか?と声をかけられました。
 川西では毎回、「本日も川西に作り込みます」というツイートを川西の画像付きでやっています。この表現は気に入っていて、ポジティヴなドライヴ感があることと、川西という地域に全ての資源を投入して、色んな事業やプロジェクトの種や成功への原因を集中して作り込み、一点突破して良い結果を結実させたいという思いを込めています。特に、ケプリでの作業中などに関係者が複数名いる時は、必ず人々の写真を撮ってSNSにアップします。SNSは川西関係者(市役所の人とかも)も見ていますので、何となく盛り上がっている感が川西の内部で醸成されて良いなと思ったのと、外部に対しても川西に来てみたくなるような感じが出てくれれば良いなと思いました。また、コロナで社会活動が制限されている中で頑張って集まってカレー粉を作り込んでいる姿は、川西のタフさを表現できて、印象が良いかなと思いました。
 かもカフェ(店長)は通常はケプリの店番などをやっていますが、川西ケプリでも時々かもカフェ(店)を開いていて、かもカフェ・ケプリ店という名前でカフェをやっています。かもカフェのコーヒーをお出ししたり、かもカフェの物販を行ったりしています。これができるのは、ケプリの中やインターネット空間、私が関わる人々の間に抽象的なかもカフェがあるからなのです。
 この様な感じでかもカフェ夙川店という実店舗を開いた上で川西に移動して、2019.2020.2021年の3年間ほぼ毎日、実際の活動、実店舗、周囲の人物との協働関係、などの様子をかもカフェのSNSのアカウントにアップロードし続ける活動をやり、かもカフェの認知を蓄積し続けました。
 毎日川西の地域に作り込めば作り込むほどライターとして書けることが増えます。ミクロな地域で具体的な事をやっているので、具体的にスケッチできる社会活動のデータとイメージが毎日溜まります。この前発見した事で嬉しかったのは、エデン京都店長のまよてんさんが、私が書いた「川西ケプリタウンの社会学~しょぼい起業の街づくり~」(https://note.com/kamocafe/n/n755ac9975b91)のnoteを見ながら川西のしょぼい店巡りをしてくれている事でした。かもカフェのnoteが川西への窓口や地図になっている訳です。読者はそういう方もしてくれるんだと思いました。現実レベルとインターネットのレベル、二つの次元で川西に作り込めば、現実とインターネットが連動して川西の店と地域と人々が元気になります。

5.分裂と統合の抽象店舗~協働の射程~

 この様に、夙川や川西という現実の地域の中で、実店舗・店長・SNSの三つのかもカフェは活動し、同時にインターネット空間と人々の間の認知に蓄積され続けました。かもカフェがエデン京都や福岡や本店などでかもカフェを開くと、実際お客さんは結構来ます。エデンなのでお酒も出します。エデンでかもカフェをやれば、エデンの勘定システムで私に最低時給分くらいのお金は入ることが多いです。
 初期の頃は私が保有するコンテンツ(政治哲学バーや東洋思想バー等のタイトル)をやっていましたが、今ではそういう内容的な限定をつけずに、一般名詞としての「かもカフェ」としてかもカフェを開催しています。かもカフェが一般名詞なのかどうかは分かりませんが、内容的に限定されていないという意味では一般名詞な訳です(言葉遊びみたいですみません。しかし、これまで紹介した実店舗・店長・SNSの三つのかもカフェによる現実×インターネットのかもカフェ活動はかもカフェが一般名詞に近づいて行く作用があります)。
 一応私のメインのTwitterアカウントの名前は今は「川西かもカフェ」となっており、川西という限定がついています。これはダウンロードされている地域を指します。福岡に行ったときは福岡かもカフェになり、東京に行ったときは東京かもカフェになります。また、かもカフェTwitter店としてのかもカフェのアカウントもあり、これは川西かもカフェよりも抽象的なかもカフェということです。Twitterに複数のかもカフェのアカウントを用意して、抽象度に差をつけられるのです。私がいつも動かしているアカウントは、SNSのかもカフェ本人であり、かもカフェの店長であり、かもカフェの店でもあるのですが、それよりも更に抽象的なかもカフェがあるということです。これはもう概念ですし、概念・人物・店などが重複しても重畳しても全然構いません。また、SNSを利用してそういうのを作れる訳です。カタチとしては見えませんが、確かにかもカフェはネット上の皆んなの心の中にある気がします。
 抽象的なかもカフェがあるならば、かもカフェを分裂させることもできます。誰か私の他にかもカフェをやりたい人がいたら、例えば埼玉かもカフェや神奈川かもカフェになってもらって、各地のどこかの実店舗にダウンロードしてかもカフェの活動をしてもらえるわけです。
 理論上かもカフェは無限増殖できます。Twitter上にアライさんというキャラが沢山いますが、あれと同じような感じかもしれません。違うのは、かもカフェは店です(もちろんキャラでもあります)ので、最低限コーヒー豆やカレー粉くらいは買ってもらえるかもしれません。

6.店の抽象化と例外状態

 2020年から世界で発生したコロナウイルス問題で、日本でも外出禁止や酒類の提供禁止、時間短縮営業の命令が政府から出されました。この措置による社会的影響は甚大で、特に普通の街中の普通の店舗は大打撃を受けました。時短協力金は貰えますが、一旦減った客足を取り戻すのは店舗にとっては非常に苦労するところで、大手コーヒーチェーンで破産してしまった会社もあります。
 今回のコロナの様な感染症の例外状態では、イベントバーエデンの様な人を集めてシャンパンを売る業態は、条件的に相性が悪いです。一方、物理的にカレーを売っている久木田のカレー屋は実直に成長を遂げています。
 しかし、かもカフェはそのどちらとも少し違い、あるいはどちらでもあります。かもカフェはカフェであり、元々物理的には、バーとカレー屋の中間くらいの位置の業態です。また、かもカフェはコロナ以前から抽象化していましたので、仮にかもカフェ夙川店のままコロナ期間を迎えても、かもカフェが潰れることはありません。かもカフェは川西に引っ越してカレー屋にも成れますし、エデンにダウンロードしてかもカフェをやる事もできます。
 これは到来していた例外状態が大震災でも変わりません。抽象的なかもカフェは壊れないからです。かもカフェは抽象化しているので、仮に地震でかもカフェの実店舗が破壊されても、別の地域に逃げて、すぐに再起動できます。
 細かいパターンはまだ分析できていませんが、恐らくダウンロード型店舗は、例外状態のリスクが最大化するのを回避できる相性にあります。タコツボが壊されても、タコは無傷なのです。

7.店の抽象化の社会哲学

(1)実店舗⇔店長⇔SNSの三位一体的協働説

 以上、かもカフェが数年間かけてやって来たことを検討しましたが、今、私が分かっている所では恐らく、個人で始める店の抽象化の仕方は三つの要素(位格)が必要です。つまり、実店舗のかもカフェ・店長のかもカフェ・SNSのかもカフェです。現実のかもカフェには三つのかもカフェがあるのです。イメージすると以下の図のようになります。

かもカフェ三位一体図(直線)修正

この現実の三つの位格のかもカフェが社会活動を行い、インターネット空間と人々の間の認知に照射したかもカフェの社会的な光が、真ん中の抽象的なかもカフェをインターネット空間と人々の間の認知に浮かび上がらせます。抽象的というのは、インターネット上ではデータとして、人々の間では認知として、かもカフェは存在しており、概念として存在している訳です。それは実店舗に受肉しておらず、時間と空間に限定されていないメタなかもカフェとして存在しているのです。
 今のところは私はかもカフェの実店舗は持っておらず、川西ケプリの中にダウンロードされ続けているという状態です。時々各地のエデンでかもカフェを開いたり、あるいはケプリにてかもカフェ・ケプリ店を開きます。実店舗⇔店長⇔SNSの三位一体によりアップロードされた抽象的なかもカフェは、まず箱としての実店舗が着脱可能な状態になりました。タコがタコツボを次々に乗り換えられるような感じです。
 三位一体の内、店長とSNSも別の人やアカウントが担当することも可能です。かもカフェA、かもカフェA´、かもカフェA´´、かもカフェA´´´‥‥の様にかもカフェの店長は増やせるし、SNSも同様に増やせます。こちら二つの発展性についてはまだ未開拓ですが、もちろん、マクロに増殖させないで個人用のインターフェイスとして使い続けるのも良いと思っています。
 上の図はキリスト教の三位一体説みたいです。冗談みたいに聞こえるかもしれませんが、割と本気で店の抽象化には三位一体が必要なのかもしれないと思っています。というのも、三つを二つずつに分解した場合を検討してみると、①SNSのかもカフェと店長のかもカフェだけでかもカフェをやると現実的な具体性がありません(実際に店やった事ないんでしょ?と言われる)。②店長のかもカフェと実店舗のかもカフェだけでかもカフェをやると、当たり前ですがインターネットでの抽象化はできません。また、③実店舗のかもカフェとSNSのかもカフェだけでかもカフェをやって店長が別の名前の人物で活動しているとすると、人格性・キャラクター性に欠けるので多分店舗が人々の記憶に残りません。例えばリサイクルショップ落穂拾は実店舗とSNSアカウントはえらいてんちょうが動かしていましたが、えらいてんちょうは落穂拾ではないので、落穂拾自体が魂的なものを持って存在する実体としてインターネット空間と人々の間で認知されることはない気がします(すみません、このあたりもまだよく分かっていないのですが、イメージやニュアンスだけでも伝われば良いなと思います)。
 実店舗⇔店長⇔SNSの三つの位格のかもカフェからネット上にかもカフェをアップロードし続けないと、上手くかもカフェをメタ存在にできないのです。別の言い方をすれば、これら三つは協働的な関係にあり、結果としてかもカフェは抽象化されていきます。
 つまり、かもカフェが箱を持たない抽象的な店で、現実の箱にダウンロードできるカフェになれたのだとすると、私のやり方では、

①カフェの名前を自分(店長)の名前として使って活動した
②一度本当の実店舗を開いた
③SNSのアカウント名もカフェの名前にした
④カフェの名前のSNSに実店舗と店長両方の立場から人格を注ぎ込み続けた
⑤実店舗閉店後もカフェとして他の地域で活動した

これらの条件・要件が思いつきます。抽象的な店を作るにはいくつかの条件があるかと思われますが、まだこれもよく分かっていません。オススメは、川西の様な事業主体を育てている地域の中に、概念的に入り込めそうな余地があるならば、SNSのアカウントを作って入り込み、活動の様子をアップして協働して行き、その事業主体や地域の中でできれば一回自分の実店舗を持ってみて(川西では久木田等により色んな実行支援があります)、それら現実の基盤を使ってSNSに認知を蓄積し続ける事です。抽象的な店というのは実店舗というハードウェアから離陸してソフトウェアだけで存在できているという事ですが、離陸のためには恐らくハードウェアを何らかの形で利用する必要はあると思います。

(2)現実の抽象化の社会哲学~かもカフェとしょぼい政党の比較検討~

 イデアとメタファーという言葉上の対比がありますが、かもカフェはイデアへの志向性があり、それが店の抽象化を成し遂げました。一方、えらいてんちょうもしょぼい政党を立ち上げていた時、「しょぼい政党はバーチャル政党なんだ」「しょぼい政党には実体が無いからさ」と繰り返し発言していました。えらいてんちょうはも、しょぼい政党をインターネット上に抽象実体化して、自分以外の様々な人が気軽に参入できるようにして、自分がずっと先導することからは降りつつ、インターネット上に政治的に巨大なエネルギーを作りたかったのだと思います。しかし、えらいてんちょうはしょぼい政党を抽象化し切れませんでした。それは、恐らくイデアに関係していると思います。しょぼい政党は、プロジェクトの大きさに比しては、抽象化レベル、イデアへの上昇レベルが足りなかったのです。かもカフェは私の個人的な店ですから、上記の三位一体図の様な構成を取った上で、私がSNSを通して人格を注ぎ込み続ければ、かもカフェはインターネット上で抽象的な実体になって行きます。また店の名前と自分の名前が同じなので、SNSに接続されれば常に、私の全ての行動が店に人格を注ぎ込むことになります。SNSで何でもいいのでちょっとでも発言すれば、かもカフェは今日も何やら動いているんだなということを表現できるのです。かもカフェのスケールでは、私一人がそういう活動を頑張れば、量的に充分に抽象化できました。しょぼい政党や上で例に出した落穂拾はこの様な構造になっていません。落穂拾は、えらいてんちょうと落穂拾は同一の存在ではないので、人格的には分離していて、抽象化しませんでした。しょぼい政党に関しては、えらいてんちょうは沢山の人を集めてしょぼい政党にイデオロギーや人格を注ぎ込もうと頑張りましたが、恐らくしょぼい政党という政党がインターネット上で抽象的な実体になるために実際に必要なイデオロギーや人格などの観念の注ぎ込みの量は、結構高かったのではないかと思います。
 この論点を深堀りしますが、別の例を検討すると、N国はやはり抽象度が高いと思います。NHKから国民を守る党が正式名称ですが、N国という略称は何だか新しい秘密結社感があって抽象的ですし、この様な名前と、政党の目的、SNS(YouTubeも広義のSNSです)の使い方の三要素が、N国をインターネット上で抽象化するのに有効に作用していると思います。N国はNHKをぶっこわすという目的を定めて、その一点で話題を喚起して社会的に争点化します。NHKをぶっこわす事を争点化するには、インターネットが相性が良いです。テレビを見ない人達はインターネット上にいますから。その中で一定数NHKに不満を持っている人達に刺さればいいわけです。それをやり続ければ段々とNHKをぶっこわすことについてのイデオロギーが肉付けされ構築されていき、インターネット空間と人々の間の認知に蓄積されながら、社会的に争点化したイデオロギーをバネにした抽象的なインターネット政党が立ち上がっていきます。N国のやり方は、上記のかもカフェを抽象化したやり方の①から⑤までの内容とはまた全然違います。かもカフェは私の個人的な事情から店のバックアップを保存するために行ったコピー型(それを三位一体図で表現しました)ですが、N国のやり方は目的とイデオロギーと手段を考え抜いて争点化した一点突破型です。また、えらいてんちょうはしょぼい政党で全国のしょぼい店を利用した星火燎原型を狙っていました。
 しょぼい政党は政党としてあまりイデオロギー的な縛りや定めを設けませんでした。大きな括りは精神障害者・発達障害者フレンドリーな政党という事でした。しかしそうすると、N国の様にイデオロジカルなバネは自動的にはかかりません。N国は名前の時点でイデオロギー的に争点化していて、支持する人も不快に思う人も沢山います。その不快感もN国をインターネット空間と人々の認知の間で抽象化することに役立つのです。一方しょぼい政党は、名前は確かに何か見た人の心を快にせよ不快にせよ変な気持ちになるにせよ揺さぶる力はありますが、名前の時点ではN国の様なイデオロギー的な争点化は足りていません。しょぼい政党がインターネット上で抽象的な実体になるためには、沢山の人達がしょぼい政党に参入して量的にイデオロギーや人格を注ぎ込む必要があったと思います。それは政治的な文法では、「しょぼいけど~をやることに政治的な意味がある」という形になったと思います。
 またかもカフェの検討に戻りますが、かもカフェはイデオロギーとは基本的に無関係です。かもカフェが店だというのもありますし、カフェを使ってイデオロギー的な戦いをしてもあまり効果的ではありません。その代わり、かもカフェはかもカフェの店長の人格がずっと注ぎ込まれていて、何だかかもカフェという存在の実体がありそうな雰囲気ができていきました。政党の抽象化と店の抽象化では、必要なイデオロギーや人格の注ぎ込みの量が違うかもしれません。

(3)抽象を経由する社会的協働~しょぼい起業の新しい可能性~

 かもカフェがイデアを志向したのは、統合失調症で色々な困難を抱えているというかもカフェの店長の個人的な理由から、かもカフェのイデアをつくれば店を再起動できるという発想から生まれたもので、極めて個人的事情から出発したものでした。今ではかもカフェはどういう場所であれかもカフェをダウンロードして店を開けます。かもカフェが居る所がかもカフェであり、かもカフェは歩くカフェです。メタバース(仮想現実)という次世代インターネットサービスが社会実装されたら、かもカフェの様にメタバースから現実に何かをダウンロードできる様な感じの社会になるのかなと思います。現実の具体的な存在の抽象的な実体を浮かび上がらせる技術は、実現したら便利ですね。現実×インターネットの社会科学は今後どんどん発展して行くと思います。これまでの人間社会は時間と空間の中で、自分と他者の距離感や協力関係において、主観的だったり客観的だったりすることに悩んだり工夫したりしてきましたが、メタバースが実装されたら、人間社会に抽象社会という次元が生まれるということです。現実から抽象という次元を一回経由することで現実的に可能になる新しい形の社会的協働は沢山あると思います。
 私がちょっと考えているのは、抽象実体は共有論的に使えるだろうかという事です。これは簡単そうで意外と難しい論点な気がします。一般的に、人類社会において、物事を分割して配分するのはそんなに難しくありません。商品への所有権は簡単に作れますし、土地も分割するのは簡単です。しかし逆に、物や資源や生産手段を共有物にしたり、土地を共有地にすることは難しいです。共有物や共有地を管理するルールの作り方が難しいのと、必ず生じる内紛の問題です。
 N国では立花さんやN国のイデオロギーに歯向かったらパージされると思います。N国ではN国的な共有地を荒らしまわるのは無理だと思います。かもカフェでもそうです。かもカフェは店なので共有型にするなら暖簾分けとか別人格の「熊本かもカフェ」などの店長が立つとかのパターンがありますが、謎に熊本かもカフェの店長から川西かもカフェが攻撃などをされたら困ってしまいます。しかし、えらいてんちょうのしょぼい政党は寧ろ、しょぼい政党を内部でも、レスバトルでも何でもありの共有型にしたかったのだと思います。彼の社会科学の方法論の一つにバグの利用という物があり、レスバトルや炎上を利用して彼はネットワークとコミュニティを大きくできる手法を持っています。ですから、しょぼい政党はイデオロギー的な縛りを設けずに、大きく、精神障害者・発達障害者のバリアフリーという点だけを縛りとして設けていました。
 株式会社もある意味抽象的な実体ですが、人類は有限責任制度を発明し、株主が持ち分に応じて会社を所有することになっています。しかし、インターネット上の抽象実体には持分は観念できないと思います。しかしそうなると内紛が起きる確率は高まります。人類にとっては責任の共有などは難しくて、上手くやれないのです。この点やはり上手くいっているなと思うのがアライさんです。抽象的なアライさんは無限に色々な具体的アライさんに分裂しており、また各種のアライさん同士は基本的に仲良くやっており、良いやり方だなと思います。
 抽象社会を経由して社会を作ると良いことがあるのは、現実社会における機動力が高まる事です。かもカフェを抽象存在にしたおかげで、私は現実で色々な方向に自由度が高く動けるようになっています。抽象の次元に色々なデータや認知を蓄積すればするほど、何か新しい可能性がある気がします。現実×インターネットの社会科学は現実×抽象社会の社会科学であり、しょぼい起業の新しい可能性はそこにあると思います。


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