言葉の即席化
「言葉を発酵する」
我ながらいい言葉だなと思った。
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「言葉の粒度が合わない。」
そう思ったのは、確か初めて彼氏ができた14歳の時。確か、アメーバピグとかGREEとか流行ってたな。懐かしい。
ネットネイティブに生まれた私たちの世代は、思いついたことはすぐに相手に伝わるのが当たり前。
3分感覚で返ってくるメールは、麻薬のような心地よさはあれど、時間が経つと、また扱いようのない不安が押し寄せる。
夜に送った文章は、朝になって見返すとちょっと恥ずかしい。
そんな風に深夜1:00の文章も、即座に相手に伝えられてしまうのだ。
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そんな時代だからこそ、言葉を発酵させるという意識を持っていたいと思う。
24時間いつでも連絡が取れる時代にいるからこそ、あえてインスタントなやりとりから距離をとり、ぷくぷくと発酵させた言葉を紡ぎ続けていたい。
これは、パン屋の娘に生まれた性なのだろうか。
ぷくぷくぽこぽこゆらりと発酵させている時間が好きだ。
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「新着メッセージがあります」
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「仕事ができる人は即レス」
まあ、それはそれで好きなようにすればいいと思う。
私もどちらかというと、仕事に関するメッセージは即レス派。
だから、大事な言葉はちょっと間をおいてみる。
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ひみつの日記を書いている。
誰にも見せない、自分とないしょ話をするためのノート。
かれこれ3年くらいかな。
そろそろ2冊目が終わりそう。
ここにある言葉はすべて発酵されている。
その時のまっすぐで素直な感情も、恥ずかしいことも、怒っていることも、毎月の生理痛でめっちゃやられてることも、好きだった人のことも。
その時は、感情のままに書いていたはずなんだけど、発酵が進んだ言葉たちは、何だか作品のように見える。
ちなみに、noteにも下書きが30件以上ある。
誰にも公開しないないしょ話のnoteもあれば、タイトルだけ浮かんでまだ言葉になっていないnoteも、途中まで書きかけたけど何が言いたいのかわからなくなったnoteも、全部発酵中。
時代が進むにつれて、言葉がどんどん即席化している。
Twitter上には、刺激のある言葉が並べられている。即席麺みたいなスピードでみんなが言葉を消費する。
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何でも伝えること、表明すること、すべて即座に説明することが求められる。
言葉を発しないということは、まるで意見がないかのように、存在しないかのように。
だけど、クラスの隅っこで静かに座っていたあの子が、はたと漏らした言葉がじわりと熱を持つこともある。
どうしてか、私たちは、即席化された、わかりやすくて、刺激のある言葉を求めてしまう。
それは、短期的にはおいしくて、映えで、キラキラしていて、ブレがない。
誰が作ってもおいしい即席ワードの出来上がり。
だから、私はあえて言葉を発酵させる。
たまには、即席化された言葉が簡単で都合がよくて、伝わりやすいこともあるだろう。
でも、「発酵っていいよね」そんな言葉をこっそり交わせる誰かとじっくりえんえんといっぱい話したい。
友人とシーシャに行きます。そして、また、noteを書きます。