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写真は思い出を美しくしてくれるというから。(2018年振り返り。)

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続々とみんなの振り返りがアップされていて、

久しぶりにnoteでも書こうかと数日ぶりにキーボードに触れてみています。

ホットココアと読みかけの本を傍に置いて。

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総括すると、今年は物理的にも精神的にも、あまり動けない年でした。

それを象徴したのがこの記事でした。

私を生きるのに精一杯

この言葉が本当にぴったりな1年。

辛くて暗くて光なんてどこにもなくて。

まじか〜〜〜〜〜つらっ!って感じの1年でした。

だけど、ひとつ私を救ってくれたものがありました。

それが"写真"です。

高校1年の時に初めてバイト代でカメラを買ってからというもの、自分で現像してみたり、オールドレンズに手を出してみたり、飽き性の私がどこにいくにも連れて行くカメラ。

生きていれば死ぬほど辛いことがあるのだけれど、それをどこか尊く美しく書き換えてくれるのが写真なんじゃないかなって思ったんです。

だから、今年はそんな写真で1年を振り返ってみようと思います。

◼︎1月

一発目、Google photosを見返すと、マザーハウスの今はなき社宅で撮影していた、このあずきバーが出てきました。

よっぽど食べたかったんでしょうね。

この頃は、あとインターン生活も残り3ヶ月を切ったという状況で、どう過ごそうか、和歌山に帰ったらどうしようかと悶々とした日々を過ごしていたような気がします。

それがこの地味だけれどじんわり沁みるあずきバーに集約されているのではないでしょうか。

この頃は、もうしばらく東京で年を越すことはないだろうと思っていました。人生は何が起こるかわかりません。


◼︎2月

MAKERS生に出会いました。

人生の転機になったと言っても過言ではない、MAKERS UNIVERSITYの合宿が毎週行われていた2月でした。

一気に東京生活が楽しくなり、反面、インターン以外、何もアウトプットできいない自分に焦りを感じていた月でもありました。

「実はすごい、ただの友達。」を象徴する1枚を選びました。

朝まで呑み明かしまくって、次の日にはちゃんと出勤していて、本当に馬力しかなかった20歳。


◼︎3月

インターンを卒業しました。

ずっと憧れていた山口さんが、ぐっと近付き、それでも夢は雲のようで、まだまだもがき続けなければいけないなと痛感したインターンの締めくくり。

思い返せば、周りに馴染めず、学校に行きたくなかったあの頃、救ってくれたのは、山口さんをはじめとする志の高い起業家の人たちでした。

会うことはできたけれど、自分自身の力不足を思い知った9ヶ月でもありました。

思い返すと、実は、この頃は自分への焦りと何もアイデンティティがなくなってしまうという恐れからマウンティング野郎になっていた時期でもありました。


◼︎4月

和歌山に帰ってきました。

春からまた勉強を頑張ろうと思い、周りの予想とは裏腹に大学にもきちんと復学。

自然っていいなあ、やっぱり和歌山好きだあ。と思う反面、東京での忙しさから解放されて燃え尽き症候群になっていました。

何をやっても、どこに行っても満たされない日々。

「私がやりたいことってなんだろう。」

とずっと目を背けていたことと向き合い始めました。


◼︎5月

21歳になりました。

1ヶ月に2回以上は東京と和歌山を往復。

交通費がなさすぎて、polcaでたくさんの人から支援してもらいました。

この時のおかげで、makersのプログラムには皆勤賞で参加できました。

5月病と重なり、このまま大学でそう過ごそうか、何をしようかずっと悩んでいたのもこの時期でした。

たくさんの事業アイディアを思いついては、本当にやりたいことなのかと問われ続け、どれもやりたいことではあるけれど、一生かけてやりたいことや本気でやりたいことには出会えなくて。

合宿中に悔し涙を流したのもこのくらいの時期でした。


◼︎6月

WEBメディア Ft8を立ち上げました。

まずは好きな食器という分野から何か自分の仕事を作ってみようと、いろんな人にアドバイスをもらいながら立ち上げました。

最近、更新できていないのでまた年明けから一新頑張ります。

自分ではじめて小さいながらも仕事を「つくる」ということができて、小さな成長を遂げました。

少し心が安定した6月。


◼︎7月

最大級に髪色が金髪だった時期。

こういう色になる時は精神的に不安定な時期とか言われて、図星だった夏。

毎日記事を更新していて、インターン生も協力してくれて、やっとチームになりかけていたけれど、どこか一抹の不安がよぎる。

メディアの事業とは別に、少しずつ、CURBONの立ち上げメンバーとして積極的に関わり始めました。

フォトグラファーに囲まれて、私は、クリエイターとして生きていると、生き生きしている自分に気がつきました。

と、同時に大きな組織を引っ張り続ける起業家には向いていないのかもしれないと徐々にアイデンティティを失いかけた時期。


◼︎8月

高円寺に引っ越しました。

この頃は、とりあえず夏休みだけというつもりで東京に復活しました。

深夜までコワーキングスペースにこもって、ひたすら記事を書き続け、バイトもできず、極貧鯖缶生活を送っていました。

かくいう今も鯖缶を食べながら振り返っているのでなんだか感慨深いです。

とにかく記事を書いて書いて書き続けた1ヶ月でした。

この時のメモには、「私はどこに向かうんだろう、ずっと不安しかなくて、自分は生きている意味がないって思えてきて、死にたいと思うことがある。」と走り書きされています。

死ななくてよかった。


◼︎9月

MAKERSのゼミ生で広島へ。

往復20時間近くの車中旅はおもしろかった。

少し仕事に疲れていた日々から解放された気がしました。

私にとって旅をすることは酸素なのかもしれません。

同時に、ずっとずっと社会的成功を追い続けていたのに、少しずつ「何か違うのかもしれない」という違和感に苛まれ始めました。

常に何かの価値を出し続けなければいけないと思い込んでいた矢先、どうやら私は存在しているだけで価値があるらしいと気付き始めたのもこのくらい。

はじめて、バイト以外で、自分の力で仕事を作ってお金をいただいた経験ができました。
https://makers-u.jp/people/mentor-interview/post-4006

どんなにキラキラした成功よりも、小さな自分の中の成功が輝き始めていました。


◼︎10月

鬱、それから父と2人きりの旅行。

今年一番辛い一ヶ月でした。

ほぼ毎日布団から動けず、日の光を浴びるのは3日に1度あればいい方で。

3日3晩、涙が止まらなくなったり、あげく鬱状態だと言われたり、自分や家族のこと、今までの辛い経験を全て洗いざらい見に行って、自分が壊れるんじゃないかと思うくらいまでぐっと自分と向き合った一ヶ月でした。

そんな中、はじめて、父と2人きりで旅行をしました。

どうでもいいことはペラペラ話すけれど、真面目な話はあまりできませんでした。

だけど、このタイミングで行って本当によかった。

実は、私は父のことをあまりお父さんだと思ったことがなく、友達のような存在でした。

本当は、「元気にしてる?ご飯食べてる?」そんな何気ないことを聞いて欲しくて、でも、いつも話すのは実家のパン屋の話とか、ちょっと難しい話。そんな思いを持っていたんだって、自分でも気付かなかったけれど、母越しにでもその思いを伝えられて、やっと親子になった気がしました。


◼︎11月

東松原のみんなとシーシャに救われる。

ひょんなことからアオイエ東松原に入居することになりました。

ホームレス生活も限界を迎え、短期滞在するつもりでアオイエに入居。

とても居心地が良くて、家族よりも家族だと思える場所で、帰りたいと思える場所で。

私はここに来るために辛い数ヶ月を過ごしたんだなと思えたくらいです。

受け止められないくらいの愛情をたくさんもらって、やっと前に進む準備が本当の意味ででき始めたと思っています。

うめちゃん、あきゃりー、はやぴ、しげちゃん、おかしょー、あやか、くりりん、かい、かすみん、このタイミングでこのメンバーと、嬉しい日も悲しい日もおもしろい日も何気ない日常を過ごせて幸せです。

ここにいるのは偶然ではなく、きっと必然だと思っています。

今よりずっと、数年後、数十年後、このかけがえのない数ヶ月がきっと私の人生の糧になっていると思います。

もうひとつ忘れちゃいけないのが、シーシャ(水タバコ)。

MAKERS生の中で非公式にできているMAKERSシーシャ部。もともと、ホームレスをしていた時期に、新宿で、君の膵臓を食べたいという映画のレイトショーからシーシャという流れで始発を待っていたことから始まったのだけれど、本当にシーシャは人生を豊かにしてくれた。

真面目な話をしやすくなったり、無言の間が苦じゃなくなったり、嬉しいも悲しいも全て包み込んでくれる不思議な空間。


◼︎12月

「今ここ」を感じる。

最近思うことは、「今ここ」を見つめられるようになったなあということです。

常にいつかのための今を生きていて、ずっと満たされなかった日々から、少しずつ、目の前に「在ること」に目を向けられるようになりました。

まだまだ不安もありますが、愛されることで溶けていったプライド、見栄、そんな思い出も写真と一緒にぎゅっと抱きしめて、少しずつ前進していきたいなあと思っています。

雨風をしのげる家があって、おかえりと言ってくれる人たちがいて、一緒に夢をおう仲間とおいしいご飯がある。

これ以上足りないものは何もないと思えたから、やっとちょっと進む勇気が出たかもしれません。

深く深く根を張れた1年だったなあと思いながら2018年最後のnoteにしようと思います。


おまけ

◼︎来年やりたいことの走り書き

・留学準備をする

・ペルーにいく

・オーストラリアにいく

それ以上にやりたいことはきっとまだまだ出てくるだろうけど、いろんな国でいろんな人達から刺激をもらって、川を下るように生きていければいいなと思います。

また来年もいろんなことにチャレンジしていきたいと思います。

何卒よろしくお願いします。

友人とシーシャに行きます。そして、また、noteを書きます。