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他人に関心を持つことの奨め

他人に関心を持つことは大事なことだと思う。
それは、他人から学ぼうとする姿勢の表れなのかもしれない。

他人の名前を覚えるのが苦手な人がいる。
記憶力の問題として覚えられないからなのか、そもそも覚えたいという気持ちがないのか、という違いがある。

人間関係は鏡だという人がいる。
こちらが笑えば、相手も笑ってくる。
こちらが怒れば、相手もいらだってくる。
こちらが泣けば、相手も悲しい気持ちになる。
確かに当たっているかもしれない。

相手が“私”にあまり関心がないだろうなと、どんな時に思うか?
相手が自分のことばかり話しているとき。
相手が“私”のことをこんなにも知らないと感じたとき。
相手が“私”について何も質問してこないとき。
相手が“私”の名前を呼び間違えたとき。
相手が“私”の名前を知らないことがわかったとき。

反対のことを考えてみると、自分が他人に対してどんな態度を取っているか、それが自分の相手への関心を示しているのかもしれない。

ある大企業の社長さん、部下たちの名前を全く覚えようとしなかった。
めったに会わない部下たちだけではなく、部長級の幹部社員の名前をもだ。
会議でときどきいっしょになるのに、「あなたは、、、、」「あなたたちは、、、」と言って、役員以外の人間を決して名前で呼ばない。
一対一の対面で打ち合わせをしても、6人程度の懇親会の酒席でも、ついに一度も名前を呼ばれなかった。

この社長さん、4年間の任期でほぼ成果なし、会社の業績はがた落ちで、通常は社長退任の後は会長なり、XX顧問なりという花道が用意されているものだが、退任後、いつの間にか姿を消していた。

もちろん、名前を憶えないことだけが問題ではないのだが、私自身も誰もこの人のために何かをしようとは思わないだろうと、常々思っていた。

学校の先生で、中には名前を憶えない先生がとても稀ではあるがいるそうだ。
生徒の名前を憶えない先生を、生徒はどう見るだろうか。
自分に関心のない人から、何かを学びたいと思うだろうか。
この人を信じて、教えてもらいたいと思うだろうか。

教える人と教わる人。
仕事をいっしょにする人。
いっしょに学びをする人同士。
スポーツをする仲間。

他人に関心を持ち、また、他人から関心を持たれて、はじめて健全なコミュニケーションが成立するのだと思う。

他人に興味がないと、せっかくの酒席なども、自分勝手な話に終始して、さらに人間関係が悪くなる。
他人に興味のない人は、往々にしておしゃべりで、あまり周りに気を使わない。

他人に興味のない人は、教えることだけに異常に執着することがある。

他人に興味のない人は、読書やWebからの情報に強く依存する。

そして他人に関心のない人は、やがて人がそばから離れていく。

人間は一生、学び続けるべきだと思っている。
そして、多くのことは、他人から学ぶはずだ。
だから、他人を尊重し、他人に関心を持つことはとても大事なことだ。

ネット社会で、人々の人間らしいコミュニケーションが希薄になっていく中で、他人への関心を忘れないようにしたい。

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