ドラクエ ユア・ストーリーの感想を読み回るうちに浮かんだとりとめのない考え

前回のドラゴンクエスト ユア・ストーリーの感想を読んでくださった皆さんありがとうございます。今回は前回の感想で触れなかったけど触れておきたかったことを一つ。思い付いたままに書き、ほぼ推敲無しで公開します。

皆の感想を読んで皆のドラクエV像を探る

映画を観に行った後は、色んな人の感想を読んで回るのが楽しみになっている。大きく指摘するところは大体皆同じだけど、それに対しての是非が大きく分かれるところが面白い。単純にドラクエVをプレイしたことがあるかないかで分けられるかと思えば、既プレイ側、未プレイ側の両方でそれぞれイケた人とダメだった人がいる。ドラクエVをプレイしたことがある人にお勧めできるかという点についても、純粋にお勧めしたいと言っている人を少数ながら観測している。

ドラクエVへの触れ方は人それぞれで、自分でプレイしたことがある人、他人がプレイしているのを見た人、プレイしていなくてもビアンカ・フローラ・デボラ論争くらいは知っている人といたりする。自分でプレイしたことのある人なら、誰を嫁にしたかに加え、ベビーパンサーや自分の子どもにどんな名前を付けたか、どのキャラクターをメインメンバーにしていたか、どんなモンスターを仲間に入れていたかといった要素もある。

それに加え、ドラクエシリーズならではと私が思っている要素の一つに、小説版や4コマ劇場などゲーム以外のコンテンツがある。主人公は基本的に自ら喋らないので、主人公をどのような人格だと思うかもまた、人によって振れ幅が大きいのではと考えている。他の登場人物は各場面の行動や会話でキャラクター像はある程度固まるが、小説版や4コマ劇場によってゲーム内では見られない一面が補完された場合、最終的にイメージされる姿はやはりそれらのコンテンツを触れていない人と比べたときに何かしらの違いが見られそう。

また、ゲームをどのハードで遊んだかによってもきっと印象は大きく変わってくるはず。ドラクエVの場合、分かりやすいところではリメイク版に新たな結婚相手が登場したというのがあるが、初めにSFC版をプレイした私にとっての大きな違いは、パーティーメンバーが3人から4人に変更されたことだった。SFC版では主人公家族4人からどうしても1人をパーティーメンバーからは外さないといけなかったが、リメイク版ではそんなことを考える必要がなくなった。逆に、戦闘の都合を考えて、家族4人並べられるはずのところを敢えて別のメンバーにするという選択肢が生まれた。システム的には単なるパーティー人数の追加でも、私にとってはリメイク版で新しいストーリーが生まれた要素になった。

リメイク版では他のプレイヤーキャラクターとの会話システムが追加されたことも、自分が思うキャラクター像の形成に大きな影響を与えるきっかけになった。あらかじめ用意されたイベントシーン以外にも、都度キャラクターに話しかけて反応を伺うことができるようになった。SFC版では「ここではこんなことを考えているんだろうなー」と自分で想像していたのが、リメイク版ではゲーム内でハッキリと意思を明らかにする。会話システムによって、従来はプレイヤーがそれぞれ補完していたキャラクター像が固定されたのではと思っている。ところで自分にとって会話システムといえばVよりもIVのアリーナの件をよく思い出すけど、その話をすると今回のお題とズレるしこれまた長くなりそうなのでここではやめておく。いずれこの話も書きたい。

話がちょっと脱線しかけているが、ともかく、ドラクエVというゲームはいつどんな形で触れたかによって、自分の想像以上に多様なイメージが作られているのかもしれないということが感想を読み回るうちに感じられるようになった。


ここまで考えたことを踏まえて映画についてさらにぼちぼちと思い浮かんだことはあるけど、ひとまずはここで区切り。続きを書き出すかは、たぶん気分次第。


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