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その紙飛行機が落ちるまでに~文芸少女とヒガンバナ~

二羽のカラスが鳴いてなんだかさみしい気持ちにさせる。夕日が地平線に沈み地球の反対側へ帰っていこうとする。教室がだんだん暗くなりそろそろ電気をつけなければといったころにその男は現れた。建付けが悪く開閉のたびに洗濯機のような音を出すドアをその男だけはとても静かに開けることができた。男の所作は洗練されておりドアに敬意を抱いているかのように丁寧だった。たかだかドアにそのようにふるまえる男に優子は尊敬の念を抱いた。男が教壇に立ち発言する5秒前までは。

「今日は紙飛行機を作って飛ばしまーす!」

30代の教師が発する言葉ではないだろう。思わずため息が出る。教壇に上る足取りが軽く、珍しく鼻歌も歌っているものだからきっと何かあると思っていた。だがまさか紙飛行機を作るのが今日の活動目的だったとは。優子は授業の課題を思い出しさっさと帰ればよかったと後悔する。この学校に所属する生徒はなんらかのクラブ活動に参加することが義務づけられている。めんどくさがりの優子は年に一度の文化祭で活動結果を報告すればいい文芸部に所属することにした。文芸部は大きく3つのグループに分けられる。一つは優子のように楽だからという理由でしぶしぶ入部した人たち、もう一つは部活動の時間も勉強にあてるガリ勉たち、最後は日頃から熱心に文章を紡ぐ真の文芸部員たち。部員の中には優子が知らない者もちらほらいる。そんななか幽霊部員の優子が文芸部の活動教室にいたのは早苗に会うためだった。早苗は優子と同い年でおさげがよく似合う控えめな女の子だ。ひょんなことから知り合った二人は意気投合し今では親友といえる仲になった。いつも活動の30分前には机に座って小説を読んでいる早苗と話でもしようかと優子はその日めずらしく文芸部の教室に立ち入った。これが間違いだった。いつも2,3人がいる教室にはなぜかだれもおらず、部屋は西日に照らされていた。優子はなんとなく窓辺に立ち、外の景色を眺めた。窓の外は田舎だった。典型的な田舎の例にもれず優子の住む江南町はほとんどが田んぼだった。優しい風が吹き稲穂が揺れている。優子は田んぼに生える花が好きだった。ある時はピンクの小さなレンゲソウ、またある時はボンボンみたいなシロツメクサ。いまはヒガンバナがきれいなんだよなとこちらに手を振る田んぼを見て思う。席につき頬杖をつく。早苗と一緒に帰るときヒガンバナの話をしたことがある。黄金色の田んぼに深紅のヒガンバナがぽつぽつ咲いているのを見て田んぼから血が出ているようだと、そしてこれは自然が生きていて人間に訴えかけているといったきがする。地球温暖化やここ最近の異常気象は自然からのメッセージだと。エルニーニョやらラニーニャなど習ったばかりの単語を並べて適当に思いついた考えを冗談交じりに口にした。早苗はその話を笑わずに真剣に聞いてくれた。そうだねえとかなるほどとか相づちを打つことはあっても私の考えは決してないがしろにしなかった。早苗はヒガンバナを怖がっていた。おどろおどろしい花色やほかの花と違って葉っぱが見られないところが気持ち悪く感じるらしい。さすがの私もヒガンバナが彼岸花と書かれることくらいは知っているがあんなに鮮やかできれいな花を気持ち悪く感じるなんて他人の感覚はよくわからないものだと思った。早苗は迷信といわれているけど、と前置きをしてからヒガンバナにまつわる話をしてくれた。それはある村人の話でヒガンバナを摘んだことからおきる悲劇だった。領主の土地に生えていたヒガンバナがあまりにきれいでその村人は花を摘んで持ち帰ったらしい。きれいな花を眺めて村人は満足だったがその日から何かが変わり始めた。初めに異変が起きたのは腕だった。屈強で太くたくましかった腕は次第に青くやせ細りしまいには動かなくなってしまった。両腕を思うように動かせなくなった村人は不注意から家に火を付け燃やしてしまった。やけどで全身ただれるもその村には治療する医者がおらず、村人は苦しみながら亡くなってしまった。そんな話だった。さすが文芸部員は話がうまいねえと冗談交じりに褒めたが、早苗は八の字眉の渋い顔をしていた。それは噂をもとに作った話らしかった。私がヒガンバナを摘んだことはないかと本気で心配していた。実は小学生くらいの時に「花泥棒はツミビトならず」なんていいながらいくつか失敬したことがあるのだが早苗が子犬のように目をうるませて訴えかけてくるのでその時は黙っておくことにした。そのあとはどこからか流れてくるカレーのにおいに私は夢中になったっけ。

「紙飛行機をつくろー!」

何度も言わなくてもわかる。お前は壊れたロボットか、と心の中でつぶやく。ドアを閉めるときに見せた緊張した空気と裏腹にいま目の前にいる男は眼鏡の奥をキラキラに輝かせてはしゃいでいる。そんなに紙飛行機がつくりたいなら一人で作って遊んでください、私そんなに暇じゃないんで。

「あっ!崎本さん嫌そうな顔してる。これは文芸部の立派な活動の一つだよ。
ふっふっふ、、、。というのもだねえ、今から僕が紙飛行機を作って飛ばします。これを文章にしてください、とこういう課題をやってみようと思うんだ。どう?文芸部的だろ?」

ナンチャッテ文芸部員の私に向かって文芸部的なんて言われてもいまいちピンとこないがとりあえずあいまいにうなづいておいた。なんでこんな教師が人気なんだろうか。私以外の生徒は見る目がないのか、そもそも見てないのかの二択だろう。まあそんないいかげん教師でもそれなりに先生らしいところはある。進路相談会ほどこの先生が輝くときはないであろう。「熱血メガネ」のあだ名がつくほどこのときの先生は生徒に対して熱心に指導してくれる。卒業していった先輩たちはみんな先生に感謝しながら去っていった。私も進路を考えなければならないときに一度だけ話し合ったことがある。ほかの先生と違って私のやりたいことをしっかり考えてくれる先生だった。ほかの先生は私の事をデータでしか見ていない。テストの点や普段の行いから最適な学校を見つけて勧めてくる。でも先生はあの時「私」を見てくれていた。手芸とファッションが好きなこと、将来の夢は大型犬を飼って暖炉のある家に住むこと、スタイル抜群の誰にでも手を差し伸べられる最強おばあちゃんになること。先生はしっかり聞いてくれた。まだ卒業が見えるような年じゃないから進路っていうより雑談に近かったけど私のこと見てくれる大人もいるんだって少しだけ見直したことは覚えてる。

「崎本さんってあまり部活に来ないじゃない?だから今日は来てくれてうれしいんだよね。この課題真剣に取り組んでくれたら文化祭の提出物にしてもいいよ。今日だけやってくれればあとは何してもOKだよ。どう?やってくれるかな」

思わずニヤリとしてしまう。どうしてこの先生は人の扱いを心得ている。紙飛行機が飛んで落ちるまでを書くだけで作品として認めてくれるというのならばやるしかない。幽霊部員の血が騒ぐってもんだ。先生の口車に乗せられたとは思わないが私はこの課題に挑戦することにした。

教師は教壇で紙飛行機を折り始めた。朝刊におりこまれていたスーパーのチラシを使っているところにこの男の生活がにじみ出る。男の紙飛行機は簡易な折り方ではあるものの、閉じた貝のように折り目は重なっており、幾何学的な美しささえも感じるほどに左右対称である。男は完成した紙飛行機を見つめ、満足そうにうなづくとそれをつかみ飛ばした。男の手を離れた紙飛行機は自分で意思を持っているかのように加速していく。一直線に進む軌跡はブレがなく、男の几帳面さが乗り移ったかのように曲がることなく進んでいく。わずかに減速しかけたとき、そこに壁が現れた。突然の障壁に飛行機はなすすべもなく墜落していく。保健委員からのお知らせだった。どこのクラスにもある月に一度のお知らせの紙が貼られた教室の壁にぶつかり男の紙飛行機は落下した。

優子は先生がチラシを取り出すところから紙飛行機を拾う瞬間までを克明に記憶した。が、書けない。正確には書くことはできるのだがそれを作品といえる文章に昇華させることができない。普段から文章を書いている早苗でも苦労しているのだから幽霊部員の私が書けるはずもない。書けないのだがこのまま引き下がる私ではない。なによりこれを書けば今後一切何もしなくてよいというのは魅力的だ。私は持てるすべてを出し切った。あまり読んでこなかった小説から唯一残っているフレーズを寄せ集め私と混ぜあい、色をつくった。言葉を紡ぐのは苦手だ。言葉の創出は仰向けで海の底に沈んでいくみたいだ。光が遠ざかって何も見えなくなる前に私はつかみ取らなければならない。もがき苦しんでつかみ取ったそれは他人にとってはガラクタだったり、誰かにとっての宝物は私が簡単につかめるものだったりする。前に一度だけ賞をもらったことがある。小学生の時に出した読書感想文のコンクールだ。思ったままの事をただ書きなぐっただけなのに優秀賞を取ることができた。たいして苦労することなくとれてしまったその賞は私にとってはどうでもよくて、もらった大きな賞状はどこにやったか覚えていない。そんな小さなことにクラスの友達は目を輝かせて私を褒めてくれたけど、私はみんなが簡単にできていた縄跳びのあやとびができなくてとても悔しかった。私は数人しか選ばれない優秀賞よりもみんなが出来るあやとびがしたかった。私は放課後グラウンドで何度も何度もとんだ。来週のテストが怖かった。みんなの前で恥をかきたくなかった。冷えていく体に飛び損ねた縄が追い打ちをかける。あの時は冬に縄跳びをする体育教師を恨んだなあ。私にとっては懸命に努力して習得できたあやとびの方が読書感想文なんかより何倍も価値がある。みんなが出来ることができるってのが私の中では一番大切だ。

「どーお?書けそうかな。何ならもう一回飛ばすよー」

うるさい。もう少しで書けそうだったのに。この先生は絶妙なタイミングで邪魔をしてくる。もういい、今日は帰ろう。先生にお辞儀し教室を後にする。私はきっとこの物語を苦労して書くだろう。ガラクタになるか宝になるかはわからないが早苗はきっとほめてくれる。そんな予感がする。

廊下に出ると風が吹きぬけた。廊下の掲示板の紙たちが騒ぐ。夕日に染まる一本道を少女がひとり歩いて消えた。黄金に燃ゆる稲穂の海に彼岸の花が煌めいて。

これは誰にも知られていない私だけのライフハックですが、かわいい犬の画像を見ると元気が出ます!かわいい犬を見ると元気が出ます!