夏の終わり

夏の終わりを就職後に迎えることは、私の自尊心を保つためには必要なことであった。

無事に就職が決まり、堂々と胸を張って親戚の家を訪れることができる。私はそんなことを考えていた。

もしかしたら、就職なんてしなくても、生きていればそれで良いと思ってくれるかもしれない。でも、現実的には、高専を卒業しておいて就職していないなんてことは、許されざることのように思えた。

卒業したあと、私はなんのために長い間学校に通っていたのかを考えた。

在学中は、今勉強していることだけを考えていた。目の前にあるテキストと、その先にあるテストが全てだった。もちろん勉強する意味を考えたこともあったけど、すぐに忙しくなって、そんなことを考える暇はなくなった。

でも、学校を卒業してしまって、しかも就職先が無い状態に陥ると、一体自分の学生生活は何だったのかを考える日々が続いた。

その結果は、やっぱり「学んだことで生きていくため」だった。そういう意味で、仕事をしていない自分を見せつけられることは、私の自尊心を傷めつけた。

就職してみたら、確かに自尊心が傷めつけられるような感覚はなくなった。けれども、別の種類の痛みが訪れた。

結局、自分の人生を自分のために生きているうちは、人生に意味なんて見いだせそうにない。

自分本位の見方で人生を眺めた時の感覚は、ちょうど夏の終わりに夏を振り返る感覚に近い。楽しかったような思いはあるけれども、振り返ってみれば「あれもできたのではないか?これもできたのではないか?」という悔いが残る。

人生に、過ごした夏に意味を持たせるには、夏が過ぎたあと、つまり人生が終わった後にも希望がないといけないのではないかと思う。

お盆に墓参りをしながら、そんなことを考えた。

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