外に出るにはあまりにも臆病で

わたしは臆病だった。

人の評価が気になりすぎて、一つ一つの動作さえも人への影響を考えてしまっていた。

人は、わたしのような人を「優しい人」と呼ぶかもしれない。確かに、わたしは人に対して優しかったが、あまりにも優しすぎたのだ。

外に出て、人と関わると、この優しさは足かせとなる。

しかも、この優しさは、時に人を悲しませる。すべての人に優しくするなんて、そもそもできなかったのだ。

この世は、誰も傷つかないようにはできていない。残念だけど、アダムとエバが禁断の果実を口にしてしまった時点で、この世の秩序は乱されてしまった。

そんな世界を、元の誰も傷つかない世界に変えようとしたのが、イエスキリスト、あなたなのだろうか。

あなたは、神の子として祝福されてこの世に生まれるはずだった。でも、生まれたのは馬小屋の飼い葉桶の中で、祝福に訪れたのは東の方から来た異邦人だけだった。あなたの同胞、あなたの民であるユダヤ人は、誰一人として訪れなかった。

あなたは、隣人を愛し、神の律法を守ることを説いた。それは正しいことだったのに、あなたは十字架によって殺されてしまった。

それなのに、あなたは殺される寸前まで「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないのです」と、今自分を殺そうとしている人のために祈られました。

わたしは、あなたこそ神の御子であることを信じ、いつかこの世界から悲しみが無くなることを信じています。

ですから、どうかわたしに、この世で生きるための強さを与えてください。恥を恥と思わず、むしろ喜びと思えるように変えてください。悲しんでいる人をそのままにせず、愛の手をさしのべるための力を与えてください。

小さき物の祈りを、どうかお聞き下さい。

※聖書の「詩篇」風に書いてみました。今ある思いを詩にするという作業は、自分の内面をさらけ出しているようで、かなり恥ずかしいです。でも、この取り組みは良いと思ったのでやってみました。よろしければ投げ銭をお願いします。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?