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あいまいのススメ

現代は誰もが多くの情報を発信、受信できる時代です。驚くほどの多くの情報で溢れていて、本当のようなフェイクニュースや信じがたい真実などが混在している状態です。とはいえどれが真実でどれがフェイクかなんてわかりようがありません。

インターネットで色々調べられることができるのはありがたいことですが、わからないながらもその内容を信用していいかどうかまで自分で判断しなければいけないなんて、本当にややこしい時代だなと思うのです。

最近はコロナウイルスに関し、メディアでもインターネット上でも色々な人が色々なことを言うので不安を感じすぎて、ただただ「怖い」「大変だ」という感情だけが強く出てしまっている方も多く見受けられます。

そしてマスクはつけるべきだ、外したほうがいい、といったやりとりや、ワクチンは打つべきだ、ワクチンは危険だといったやりとりが毎日のように聞かれます。


そこでお伝えしたいのが、『あいまいのススメ』です。         (「学問のススメ」的なイメージで捉えてください。)

中医学/漢方の考え方のベースの一つに陰陽学説があります。一見陰と陽に分類するという画一的なものと捉えられがちですが、そうではありません。自然界のあらゆる事象は陰と陽の対立する要素で成り立ち、その陰と陽は流動的で陰は陽であり、陽は陰であるという考え方です。これの大元ががよくみるこの太極図です(「太極は万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生ずるとする。」Wikipediaより)。

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この陰陽についてわかりやすく考えるために1枚の紙をイメージしてみてください。紙には表と裏がありますよね。表を陽、裏を陰と捉えてみてください。表だけの紙、裏だけの紙というのは存在しません。表があればもう一方は必ず裏になります。そしてどちらの側も表にも裏にもなり得るのです。なので、日常では文字が印字されている側を表とするといった共通認識をつくりますよね。

このように陰と陽は陰は何、陽は何と明確に分類し定義づけられるのではなく、ただ存在する森羅万象の中での要素に過ぎないということです。部分でみたら陰と陽に分かれても、それを全体的にみれば同じ一つのものであり、そこでは陰と陽も単なる要素の一つに過ぎないというわけです。見えないものを見える化するためのツールのようなものです。

こういう話しをしても、「ふ~ん、そうなのね。」といって終わってしまうかもしれないですね。それが何の役に立つのか・・・と。あまりのよくわからなさと、このふわっと感がムズムズさせるかもしません。

でも、このように宇宙の真理がはっきり分けられる世界ではなく、元々いい意味でのあいまいさでできており、その中で生きている私たちにも同じことが当てはまる、ということを知っていると、私たちが日々何でも良い悪いを明確に分けようとしているけれど結局は捉え方なのではないか・・・?そしてそれは人それぞれ違うのではないか・・・?、となるのではないでしょうか。


捉え方の違いは観る視点の違いにより生まれるということについて、漢方の勉強会で聴いた私の好きな例え話があります。

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『上の図のように円柱を縦に置き「これは何か?」と問いた場合、上から見た人はそれは円だと言い、正面から見た人は長方形だという。どちらも見えたとおりなので嘘はいっていない。でもどちらも真実ではないのです。』

このように物事を部分的に見てしまう(上からだけ、正面からだけ)と、本質(円柱であること)を見失う危険性があるのです。

先ほどのマスクやワクチンのいい悪いについても、これらの意見はある立場のある人の視点を通して出たもので、どちらが正しいも間違っているもないと思うのです。マスクは感染拡大を防ぐという意味では必要かもしれないし、ずっと口を塞いで健康を害するという意味では気を付ける必要があるという感じですね。

よって、「皆がこうであるべきだ」よりも「私はこうします」でいいのではないでしょうか。


”あいまいのススメ”といっても「適当でいい」とか、「自分の意見を持たなくていい」とか、「何となくやり過ごせばいい」とか言っているのではありません。

大事なのは、色々な意見を聞きつつも、自分が何を選択するかだと思います。メディアや誰かの意見に流されて選んだ答えは、さきほどの円や長方形といった一つの視点でしか見ていない可能性があります。このような時代だからこそ、想像力を働かせて、色々な角度で物事を見て、自分なりの答えを見つけ、それに従って行動する。答えは一つではないので、色々な見解の良いと思うところだけを切り取ったハイブリッドでもいいのです。


私は漢方の世界に入ったことで、今自分の目に見えているものは全体の一部に過ぎず、自分の思う以上に目に見えていないものの存在があることを知り(気のエネルギーは見えないものの代表格)、「絶対」という言葉を使うことの重さを感じるようになりました。

デジタルの時代の今、1か0をはっきりさせる世界に私たちはいます。

目の前に見えるもの、はっきり明確が強く求められるデジタル的な今の世の中だからこそ、見えていないこともあるという認識をもって、もっとアナログなあいまいさを許容してもよいのではないかと思うのです。


何事もいいバランスが取れているときが、一番エネルギーが満ちて安定するのですから。





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