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尹良親王 駿河姫

只今
尹良親王(ゆきよし親王)関係はまり中です。

始まりは
駿河姫と話したこと。

駿河姫が居るのは
姫街道を見守り続けてきた神域の一つ、
浜松市北区細江町気賀に鎮座する二宮神社

井伊家ゆかりの神社でもあります。

階段の上に御社。

御祭神は駿河姫。

駿河姫は井伊道政の娘であり、名を重子と言う。

井伊道政の元で滞在していた宗良親王の妃となり、
尹良親王をもうけた。

墓地はこの近くの金地院。

駿河姫は若くして亡くなったけれど、
命のつながりを残したんだよね。

姫曰く

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ようお出でくださった

姫として生を為し
お家とお子を護るが役目

如何なる時であるにせよ
姫が人とし生を成す

日々永らえて
無限の力を湧き出立ち
天津御世にて眞の生を

生き得る其方の全ての想が
いとも美し色なりぞ

受け継ぎ受け結がれ眞となる
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やわらかく大きな愛に触れ、
神詞をいただき、
それを温存していた後の、

鳩ケ嶺八幡宮とのご縁。

鳩ケ嶺八幡宮の御祭神は
誉田別尊 息長足比賣命 武内宿禰命


諏訪信仰に揺らぐことなく

神域には
稲荷神、大黒天、天神さまはじめ
豊穣を導きくださる神神が集う中、

尹良親王も祀られている。

飯田市鎮座ということは、
潮の道、秋葉街道、信州街道があり、

難所の青崩峠を越え、南北の交流した土地。

尹良親王にまつわる土地は
往古信州伊那郡遠山郷に含まれていた
現在の水窪高根城(1414年築別名葛郷城、久頭合城)はじめ、

東栄の川宇連神社など
近辺には「ユキヨシ様」信仰が残るそう。

しかし、
後醍醐天皇の孫である尹良親王の生存は
確かなものではないとされている現在。

井伊谷生まれの尹良親王。

尹良親王、
由機良親王、駿河姫。

尹良親王の父である宗良親王は
井伊谷宮に御祭神として祀られている。

歴史の真を知る人は居らず、だけれども、
きっといた筈。

紅葉の盛りであった鳩ケ嶺八幡宮。

ぶれずに厳かに
此処にある美しさ。

ご縁をいただき有り難うございます。

尹良親王関係は、
今後も続く。


最後まで読んでいただき有り難うございました。

神倭

https://kan-yamato.jimdofree.com/

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