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第1話 時間を外して生きる。リシケシの祈りの音色。



死んだように生きていたあの日々。
精神安定剤がお守りだったあの頃。

マンションから飛び降りようとしたその夜
わたしは死ぬ前に自分で自分を救いたいと心から誓った。


誰かに救われることを待っていたら、そこに出口はないんだ。

自分を救いたいと心から叫んだ時、腹の底から何か熱いものが湧き上がってくるのを感じた。

そのこみ上げるなにかを私はただただ信じて、ここまで来た。

〜インド物語 カミュの日記より〜


長野の田舎で一般家庭に生まれ育った私は
20歳でフリーターとして上京した。
しかし都会での暮らしの中で精神と身体を病み
どうしようもない苦しみに襲われるようになった。

心にポッカリと空いた大きな穴を常に感じたまま
導かれるように日本を出て、旅を始めた。

旅は私を丸裸にし、曇っていた心の視界はどんどん開けて行った。

これは日本で物質にもお金にも環境にも恵まれて育ったのに、生きづらさを抱えて生きていた一人の少女が、旅を通して本来の自分に還ってゆく物語です。

✴︎体験に基づき書いていますが、これは時空を超えたフィクションです✴︎

出逢ってくれてありがとう。

あなたの人生に心踊るスパイスを✴︎お届けできたら嬉しいな。


魂は共鳴する。

それでは、はじまりはじまり。

第一話 時間を外して生きる

ガンジス川のことを、インド人や旅人たちはガンガーと呼ぶ。

「ガンガー」とその聖なる河を呼ぶ時、胸の奥に懐かしい響きを感じ、祈りがそこに灯るような気がした。デリーからバスでリシケシまで10時間ほど揺られ、バスの薄汚れた小さな窓ガラスの向こう側に朝日に照らされた黄金色のガンガーを見つけたとき、わたしは喉の奥から熱いエネルギーがこみ上げ、涙がドバーッと溢れて止まらなくなった。

ただ流れていくガンガーを見て涙が溢れて止まらないって、、、なぜなんだろう?

その涙は、私の魂から湧き上がるようだった。魂から流れる涙は、頭で考えても理由など分からないことが多い。私の魂が、懐かしいと言っている。見たかったと言っている。愛おしいと叫んでいる。そうか、そうなんだ。。。そこに理由などなくていい。

暮らしの真ん中に流れる聖なるガンガー。

聖なる山々から流れてきたその水は、聖なる恵の河だった。

人々はそこに花と火を浮かべお祈りをしたり、神々へ捧げるバジャンを歌い祈ったり、身体を清める沐浴をしたり、自分の身体を包む衣を洗ったり、時には生を全うした命の器をそこに流したりする。

いのちの源、母なるガンガー。流れを見つめているだけで、自分の内側が清らかになるようなそんなパワーがこの河にはある。

気がつけば一ヶ月という時間を、ここ北インドのリシケシで過ごしていた。雪の降る日本を出発して、人でごった返ったデリーから猛スピードで走る命がけのバスに乗って、リシケシへ向かったのは、確かクリスマスイブ。それから1ヶ月。。。

もう今日が何日で、何曜日で、今、何時なのか。

そんなこともすっかり忘れてしまうくらい、ここリシケシの時間は路上を歩く牛のようにゆっくりと流れていた。テンプルから時折聞こえてくるカーンカーンという鐘の音色は世界へと美しく祈りを届け、そして内側にある絡まったものをすっと溶かして意識を向かわせないような響きを持つ、独特の音色だった。

朝に、昼に、晩に、あちこちから聞こえてくる、神様への歌、祈り、そしてお香の香り。。。

時間のない、いやそもそも、時間などいらない世界に私は存在し始めていた。


時間などない世界には、約束がなかった。重たくてかさばるスケジュール帳も、いつでも誰かと繋がれる携帯電話も置いて来た。

朝日の光が出始めると、泊まってるアシュラムの前にフルーツ屋のおばちゃんが現れた。お腹が空いたらそこへ行って、朝ごはん用にバナナを二本買った。少し歩くとチャイ屋のおじちゃんがいて、そこでチャイを一杯買う。そしてもう少し歩くと駄菓子屋のおじちゃんがいて、そこでクッキーを三枚紙に包んでもらう。

それをアシュラムの屋上で食べるのが私の朝食だ。そして食べ終わったバナナの皮は屋上からアシュラムの前を歩く牛の前をめがけてすっと落とす。それがその牛の朝ごはんになった。最初はゴミを投げるなんてという罪悪感が襲ったけど、インド人サドゥも同じことをしていたので、ここではそういう風に巡っているんだと私の意識が書き換わった。ふらっとガンガーのほとりへ行って瞑想したり、そこへふらっとやってきた牛や犬のの背中をマッサージしたり、またまたふらっとやってきたサドゥと会話したり、好きなだけ絵を描いたりして日中を過ごし、またお腹が空いたら路地を歩いて気に入ったお店でカレーを手で食べた。そしてそこで閃いた書きたいことをノートに書き、胸が踊った風景や人にシャッターを切り、たまたまやってきた旅人と対して喋れない英語でいろんな会話をして、またねと言って別れて、また会えたらいいななんて思ってたら、夕方カレーを食べに行ったお店にまたその子がいたりして。時間や場所の約束などしなくても、会う人とは会うという現象が次々と起こり始めた。そして約束のない時間を外した生活は、ノーパンノーブラのように解放的で心地よかった。

バックパックには二日分の衣類と、車酔い防止のための乾燥梅、日本食が恋しくなった時のために塩、味噌、乾麺一袋。読みかけの本、詩や絵を描くためのノート、写真や動画を撮るためのデジカメに充電器、そして竹で出来た横笛のバンスリ、タオルに石けん、歯磨きとパスポートにルピー。そして出発前におばあちゃんからもらった金平糖。日本にいていつも当たり前のように有り触れていた物も、インドでそれを手に乗せた時、とっても貴重な物に感じる。中々手に入る物じゃない。そう思った時、私はそれらを大切に使おうと初めて感じるようだった。カラフルな金平糖は、光にかざすとまるで宝石のように美しくみえる。

大切に大切に一粒ずつ味わって舐めると、甘くて優しい味がした。出会ったインドの子供達にもあげることができて、ピカピカの笑顔で喜ばれた。

私は生まれた時から食べ物にも、衣類にも困ったことががなかった。それらはいつも当たり前に与えられていて、特に生きる上での不自由を味わうこともないはずなのに、何か満たされない欲求をいつも抱えていた。母親は「あなたのためにこんなによくしてあげているのに、何が不満なの?」といつも悲しみ、怒っていた。母は時折通帳を持ち出し、あなたのためにこんなにもお金を使って来たのだと、私に訴えた。お父さんもお母さんも、あなたのために精一杯やっている。と。母は自分には全くお金を使わない人だった。お金も時間も自分の病弱な身体も人生をも全て、社会に恥じない人間、平和な家族を守ることに使っていた。父は視覚に障害があった。障害があることを隠すように父はいつでも平然としていて、弱みを人に見せず、社交的でよく働く人だった。


大きな不幸があるわけでもない。

それなのに、、、私は両親の望む私には、一向になれないのである。

自分を犠牲にしてまで母は子供のために色々なことをしてくれていたのに、不満を抱えてしまう自分でごめんなさいと、私は自分を責め続けた。

胸の奥に大きく開いた穴。

この穴はなんだろう。

その穴を埋めるように、私はありとあらゆる欲しいものを買っては、部屋を物で溢れさせ、そして片付けられず、そこに埋もれていた。

「もっとこんな風になれたら、私はもっと愛されるんじゃないか。認められるんじゃないか。生きてることを許されるんじゃないか。」そうやって外にある情報、社会の流行、誰かの真似を必死で追いかけていた。
世の中はそんな情報で埋もれていた。

駅を歩けば大きな広告。電車に乗れば目の高さにまた広告。
街を歩けば溢れるお店、人、情報、鳴り止まない音。

お店に入ればアナウンス。キャッチにセールス。宗教の勧誘。
一休みしようとカフェに入っても、人のおしゃべりが止まらない。

東京という街に心が休まる場所を見つけることが出来なかった。
それでも家賃を稼ぐために、食料を買うために、友達と遊ぶために、自分の欲求を満たすために、働かなくてはいけない。

なぜかずっと不安だった。


どんどん自分を見失い、過呼吸になっていった。

呼吸がうまくできないというのは、死を常に感じることだった。

過呼吸の発作が起こると視界は真っ白になり、私は息を吸っても吸っても吸えていないというパニックの中で、地上に釣り上げられた魚のように狂っていった。全身は痺れ、そのまま身動きが取れなくなり、意識が失われ、それは日常の中にある、身体の死なない死を経験しているようだった。

その日常の死は突然起こった。時には仕事へ向かう電車の中で、人の暗いエネルギーを感じた時。付き合っていた彼氏に言いたいことが言えない時。あなたは何を考えているのかと問い詰められた時。職場の更衣室の匂いを嗅いだ時。コンビニのレジで、私がお財布を出す時、後ろで並ぶ人たちから「早くして」と言われているように感じた時。都会で長い長い黒い蛇みたいな電車に、沢山の人が詰め込まれているのを見ていた時。。。私は一体何に恐れ、焦っていたんだろう。

海で泳いでいたはずの魚が、小さな水槽に閉じ込められてしまった姿が心にふと浮かぶ。

こんなに贅沢な水槽を与えてあげたのに。

お前に毎日ちゃんと餌を与えているのに、なぜこの水槽で

満足できないんだい?


生きることが困難な生活は5年ほど続いた。私は色々なところで過呼吸で倒れ、いろんなところで死んだようだった。死んでは生き返り、死んでは生き返り。繰り返される日常に出口はないと思っていた。転職を繰り返し、仕事を辞めるたびに自分は社会不適合者だと、自分を呪った。


心療内科でもらった精神安定剤がいつのまにかお守りとなり、それがないと今度は不安でパニックを起こすようになった。

時には抑えきれないほどの溢れ出す怒りのエネルギーで壁を叩き、時にはテーブルをナイフで切り刻んだ。そのあとでなんでうまくいかないんだ!とクッションを顔で塞ぎ声を立てずに泣いたりもした。

私は誰かに救って欲しかった。こんな私を。

でも、そんな神さまはいつまでたっても現れなかった。

私の人生に神さまなどいたんだっけ?

存在を信じてもいないくせに、困った時だけ神様に手を合わせるなんてしちゃいけないって思ってた。

神さま、、、そう神さま。


私は神さまを探しに、インドへ来たのかもしれない。


つづく









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