見出し画像

第4話 Massage is Message 〜身体に宿る記憶〜

フリーダムがジンジャーティーを飲み終え、私たちは「see you tomorrow 」と心目と目で合図を交わし、それぞれの時間の流れへと別れることにした。私はフリーダムの光に透ける金色の髪の毛が好きだった。腰まで届く一つに束ねた三つ編みが好きだった。笑った時の、目尻にできる皺が好きだった。若草色のパンジャビ姿が好きだった。世界を美しく見ている、彼女の魂が好きだった。お姉ちゃん。そう、年の離れた気の合うお姉ちゃんのような、不思議な懐かしさがあった。

彼女のちょっとした仕草が私の内側にすうっと宿り、私は彼女を内側に宿すことで、今まで忘れていた感覚が目覚めていくような気がしていた。

なんだろう。この感じは。。。フリーダムに会う前の自分を、もう取り戻せなくなってしまった。わたしの内側には今、フリーダムがいた。

フリーダムを知らない前の私は、どんなだっただろう。。。

そう思い返せばインドに来る前の自分、どこかドキドキしていて、何かに窮屈さを抱えて、何かに強く渇望していたあの私にも、もう戻れなかった。

私という存在は常に変化していて、まるでカメレオンのように、その場や、そこで出逢った人のカラーにとても影響を受ける。よく考えてみれば、それは小さな頃からずっとそうで、私はいつも自分が人からの影響を受けて生きてきたんだとふと気づいた。

私は空っぽ、、、?

私は誰?

私はどこにいるんだろう。。。

通りすぎていくリシケシの風景も、カラフルなサリーを着たインド人も、牛も犬も、いつもの果物屋のおばちゃんも、今日出逢った絵描きのサンも、フリーダムも、みんなそれぞれのオリジナルのカラーを持ち、自分を生きているように見えた。でも私は、、、自分の色のない無色のパレット。。。もっといえば、私はわたしのパレットに、人の色をすぐに入れてしまうパレットだ。人だけじゃない、今いる場所、風景、食べ物、全てのエネルギーに染まっていくような。。。

私はどこに、、、いるんだろう。

私が見えない。私が消えてしまう。。。いやだ。

どこかで「怖い」と、しがみつきたくなる自分がいた。

私は自分の右手で左手をそっと握った。

右手は私の左手の甲を撫でる感触が感じられた。すべすべした温かい肌だった。左手は私の右手に撫でられる感触が感じられた。その手はとても大きくて、包み込まれるような安堵感があった。

手で触れる先に、私がいた。

私はここにいる。。。わたしの肉体はここにある。きっとみんなから見たら、私は私という存在としてこの世界に見えているんだ。

そんなことを思い少し安心した。私はここにいる。

私は少し肉体との繋がりが薄まっていたのかもしれないと思った。もっと身体に触れよう。そう思い路地を歩いていると、ひとりのインド人のおばちゃんが私を呼んでいる。こっちへ来いと手を大きく振る。私は吸い込まれるようにおばちゃんの前に引き寄せられた。

「came 」 そう言っておばちゃんは、部屋へ入れと手招きする。

入口の古びた看板には「oil massage」と書かれている。なるほど。

ずっと気にはなっていたけれど、まだ受けたことがなかった。あいにく、私には予定がない。ここは思い切るべきか?かなり古いけど大丈夫かな?騙されたりしない? 頭で瞬時に色々考えている自分がいる。マッサージは相性が大切。フィーリングが違うと感じるならやめよう。私はもう一度おばちゃんの顔色を見る。おばちゃんのあどけない笑顔がそこにある。

うん、嫌な感じはない。

私は「OK」と言い、そのマッサージ屋の門をくぐった。部屋に通られるとそこは薄暗いコンクリートの小さな部屋があった。小さな窓から一筋の光が差し込んでいた。古びたマットレスが置いてあり、布がかかっていた。壁にはシバ神の絵が一枚飾られ、その空間を見守っているようだった。棚には瓶に入ったオイルがいくつか置かれていた。いわゆる、南国リゾートにある高級スパのような、癒し感やセレブ感はこのマッサージ屋さんにはなかった。もっと地味な、もっと質素な。でもなんだか妙に気軽でいられた。そう、親戚のおばちゃん家に遊びに来たような、そんな感覚だ。

おばちゃんは横に立つと意外と小柄だった。着ている物をパンツ以外全て脱いで籠に入れろと言う。私は言われるがままに全て脱ぎ、パンツだけ履いたままマットレスにうつ伏せになった。おばちゃんはすぐに布をかけてくれた。

とても静かな空間だった。街の騒めき、インドの音楽も、人の話し声も遠くの方にうっすら聞こえてくるだけだった。マッサージのコースを聞かれ、おばちゃんオススメの、フルボディで2時間のコースを選んだ。もうなすがままだ。。。

背中の布をはぎ、おばちゃんが温かいセサミオイルを垂らした。心地よい手の感触。自分では触れなかった背中を撫でてもらうのはいつぶりだろう。

おばちゃんは柔らかな手のひらで、私の背中をスクロールし続けた。心地よいリズムにいつのまにか眠たくなってくる。それと同時に、私の呼吸はどんどんゆっくりと深くなっていき、身体に詰まっていた、外の世界から吸い込んだ騒めきのエネルギーが、私の外へ排出されていくようだった。

おばちゃんは仰向けになるようにと私の身体を転がした。するとおばちゃんは私のお腹に手を当てた。すると片言の日本語でこう言った。

「ココ、アカチャンノ イエ。ダイジダイジナ イエ  サムイサムイ ダメ」

「ここ?赤ちゃんの家?ああ、子宮?」

「ソウ、ココアタタメテ。ココ、ヒエル、ダメヨ」

おばちゃんは私のお腹に温かいオイルを更に垂らし、ゆっくりゆっくりとマッサージしていく。すると少しにぶい痛みがあった。

「イタイ?」おばちゃんが私を笑顔で見る。

「うん、いたい」私は苦顔しておばちゃんを見る。

「イタイイタイネ、ダイジョウブ」おばちゃんはそう言いながら今度は脚を全体的にスクロールしだす。足の血流がどんどん良くなり、お腹がポカポカし出すのが分かった。そしてお腹がポカポカし出すと急に何かの詰まりが取れたように、涙が溢れそうになった。あれ、なんで、、、?なんでわたし、泣きたいんだろう?

おばちゃんがまた言う「ダイジョウブヨ」と。

まるで小さな子供をなでなでするお母さんみたいに。

その時溢れそうで堪えていた涙が、一筋滴り落ちた。頬がどんどんと濡れていく。



ああ、そうか、、、私寂しかった。。。心も、身体も、本当はずっとずっと寂しかったんだ。。。


インドに来る前、東京のマンションで一緒に暮らしていた彼氏のことを思い出す。20歳で私たちは一緒に長野から上京し同棲していた。お互いフリーターだった。彼はいつも一生懸命働いていた。私も新宿でアパレル店員をしていた。私たちはいつもお金がなくちゃ生きていけないと思っていたし、そのお金を稼ぐために働かなくてはならなかった。彼はポスティングのバイトをしながら、一日に何キロも歩いていた。そして休みの日はレコードを買いに渋谷へ行ったり、曲を作ったりしていた。自分の夢に向かって精一杯頑張る彼を私は隣の部屋で応援しながら、自分には夢中になれることが何もないといつも思っていた。ファッション雑誌を開き、流行りの服や、ブランドを見つけては、私もこうなりたいと憧れていた。

彼との時間のすれ違いはどんどん大きくなっていった。同じ家にいるのに会わない日も増えた。私はどんどんと消費に走り、六畳の私の部屋は洋服で埋もれて行った。買ったきり一度も着ない服もあった。何か渇望し、日常の中で時折襲って来る過呼吸とパニック。職場で倒れたり、駅で倒れたり、仕事中の彼を電話で呼び出して、わざわざ迎えに来てもらうこともあった。気づけば精神安定剤を飲まなくちゃ、生きていられないようになってしまっていた。

そんなある日のことだった。それは私の26歳の誕生日。婚約者の彼は私にプレゼントをくれた。それは、7万円もするブランド物のお財布だった。彼は一生懸命何キロも歩いたお金で、私にそれを買ってくれた。私はその時気づいてしまった。本当に欲しかったのは、見栄をはるために身につける7万円もするお財布じゃなくて、あなたと一緒にいる時間だったんだよと。彼は一生懸命働いて、私の好きなものを買って私を喜ばせようとしてくれたのかもしれない。でも私はそれを、心から喜べずにいた。見栄をはるためのブランド物のお財布のために、彼の大切ないのちの時間を奪ってしまったのだとも思った。私はいつからそんなつまらない女になってしまったんだろうと、自分に対して吐き気がした。彼に好かれようと思って、いつも彼好みの女の子でいたくて、私は随分と自分を加工して、本当の自分の声を忘れてしまっていた。もうこれ以上、奪っちゃいけないって思った。彼の時間も、私の時間も。

私たちは婚約を破棄し、6年間の同棲生活に幕を閉じた。どうしてあの時、私は本当の気持ちを言えなかったんだろう。

「寂しかったんだ」って。。。

重たい女でいたくなかった?いや、もう十分なほど重たい女だった筈だ。本音を隠して、自分を隠して、相手に好かれようと頑張って、勝手にパンクして。ずっとごめんねって思ってた。こんな私でごめんなさい。そして本当は怒ってた。本当の私をもっと愛してよって怒ってた。でも、本当の私って何?私だって分かんなのに。そう、みんな本当の私を知らない。だって私が、本音で生きて来なかったからだ。。。

「リラーックス リラーックス」おばちゃんが優しくお腹に両手をあてる。

私は一度大きく深呼吸をした。おばちゃんがマッサージをして身体が緩むと、不思議とわたしの過去の悲しみが浮き上がっていった。もうそんなこと、忘れていたってことが次から次へと浮上する。そうして私は泣く。恥ずかしさも忘れて、泣く、泣く、泣く。

父や母との関係でも、同じことをしていたと巡り巡ってたどり着く。嫌われないように、愛されるために、父と母の望む私でいたいのに、そんな自分に近づこうとどんなに頑張っても、そんな自分にはなれなくて。そんな自分を責めていたわたし。そう、ずっと思ってた。

こんな私でごめんなさい。

そう、ずっとそう思ってたんだ、、、。

そんな自分でいることが苦しくって、もうやめたくて、逃げたくて、私は旅を始めたんだった。

サンの色彩の部屋が見える。「全ては自分が信じた世界に住んでいるんだ」というサンの言葉が響いて来る。白いヒゲに、少年みたいな目。彼は何を捨ててきたんだろう。何を捨てて、サンはサンになったんだろう。

そう、全ては自分が信じた世界に住んでいる。サンが言っていたように。

こんな自分でごめんなさい

そうだ。私が信じて見ていた世界は、そこが根っこにあった。こんな自分でごめんなさい。という想いで、私の生きるこの世界は出来ていたんだ。。。

なんて、悲しい世界だったんだろう。自分が、自分の存在を、この世界に生きることを許していなかったなんて。。。

おばちゃんがもう一度お腹をマッサージした。さっきにぶい痛みがあったところだ。不思議と何も痛くなくなっていた。

「モウダイジョウブネ。サヨナラシタネ。」

不思議だった。私がまず捨てるもの、それはこんな私でごめんなさいというマインドだった。

「私は、私を好きでいたい。」

壁画のシバ神と目があった。


私はぽかーんとしていた。それはまるで今、生まれてきた赤ん坊のようなほやほや感だった。マッサージ後のお茶を飲んだ後トイレへ行った。手を洗い少しオイルでベトベトになった身体に服を着て、おばちゃんに何度もありがとうと精一杯伝えてお金を払い、おばちゃんは水をいっぱい飲むようにと教えてくれた。身体はホカホカと暖かく、まるで温泉の入った後のように心地よかった。血液がぐるぐると勢いよく巡ればめぐるほど、私は元気がみなぎった。そして、視界がくっきりとしていくのがわかった。

マッサージ屋を出ると、もう薄暗くなっていた。紫色の空にうっすらと細い月が浮かんでいた。シバ神の目 Shiva eye だ。わたしを見ている?

ペットボトルの水を二本買って、私は部屋へ戻った。もう眠い。今夜はこのままご飯を食べないで寝よう。 


明日のガンガーの沐浴のための準備は着々と進んでいるようだった。



つづく














この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?