見出し画像

そもそも我々の心は、しばしば、迷い、さまよう。坐禅や空手の型をすることによって、何よりもまず、我々の心はさまよいやすいということを知ることができる。坐禅の場合はただひたすら坐るだけなので、自己の心と身体を呼吸で感じることでさまよいを感じやすい。だからこそ坐禅は、自己を知る上で最も優れた方法であるといえるだろう。しかし、そこからさらに、さまよう自己を制御する、今ここにある身体と呼吸に意識を戻し、心がさまよわないように今ここにある身体と呼吸に意識を集中し続けることは、容易ではない。一方、空手の型の場合は呼吸と身体を一致させて動かすので、意識を今ここにある身体と呼吸に集中しやすい。したがって、空手の形は、マインドフルになるための訓練として、非常に優れた技法であるといえる。

そのため、空手は、ときに「動く禅」と言われる。自己の身体と呼吸に意識を集中する点で、坐禅と空手の型は等しい。空手は弓道と同様、他の多くの武道と比較して、特に呼吸法を重視している。型を練る際に身体を意識することは当然だが、同時に型に呼吸を合わせるために、次第に身体と呼吸と意識が渾然一体となり,やがて自己存在が今ここになりきる。このように,空手は特に、武道であるとともに、禅であるとも言える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?