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首里手と那覇手、糸東流空手道


空手の原形となった琉球古来の手(ティ)には、首里手(シュリテ)と那覇手(ナハテ)の二種類ある。形(型)に含まれる技から、全体的に、首里手は想定する敵との間合いが相対的に広く、那覇手は相対的に狭い。
また、那覇手では呼吸と身体の締めを修行の初期段階から意識的に重視するのに対し、首里手では呼吸と身体の締めを強調することはせず、これらは稽古を経る中で自然に身につくと考えるという。


沖縄の空手家の中には、突き方一つとっても、両者は異なると言う人もいる。そのために、両方を習うことはできないと考える人もいる。
首里手では、「ナイファンチに始まりナイファンチに終わる」という格言がある。
首里手の基本的な攻防動作は、このナイファンチに集約されている。
ナイファンチは短い形だが、その短い形の中に、空手独特の受け、突き、身体操作の方法が含まれている。
原理主義的に考えれば、首里手をやるならナイファンチだけで十分である、と言ってもよい。
実践名人と言われた本部朝基先生はかつて、ナイファンチしか稽古しなかったと言われている。
実際には、その他多くの形(型)もできただろうし、稽古もしていたと思われるが、それほどナイファンチが空手(首里手)の原理を集約した究極の形であるということを示す有名なエピソードとして、この本部先生の話は広く知られている。


首里手のナイファンチと同じく、那覇手では、「サンチンに始まり、サンチンに終わる」と言われる。
サンチンは、那覇手に特徴的な身体操作を凝縮している。
ナイファンチほど攻防動作は含まれないが、立ち・移動・受け・突きにおける身体の締め・呼吸・重心という、空手的な身体操作の根幹となるもっとも重要な原理的動作で成り立っている。
それらの原理をゆっくりとしたスピードで行い、身体に染み込ませる。
糸東流では、サンチンで習得した身体操作の原理を、首里手・那覇手の区別なく、あらゆる形に含まれる動作や技に適用する。


そして、糸東流には、首里手(糸洲系)の形と那覇手(東恩納系)の形の両方が伝承されている。
大半の流派は、首里手の形もしくは那覇手の形だけを伝承していて、糸東流のように両方を同時に伝承している流派は数少ない。糸東流以外には、一心流や心道流、沖縄拳法などぐらいである。糸東流のオリジナリティと奥深さはここにある。


「空手」を稽古するとしたとき,首里手のみあるいは那覇手のみでは,沖縄発祥の伝統武芸である「空手」を学ぶという点で、極めて勿体無い。
首里手も那覇手もいずれも優劣つけがたい希有な武芸文化である。


また、両者には沖縄で熟成された武道として共通する身体操作がある。


首里手と那覇手の両方を同時に学ぶことはできないとする言もあるが、糸東流開祖であり沖縄空手の達人の一人として列せられる摩文仁賢和先生にしたがい、この両者を学ぶことこそ、沖縄空手の神髄に触れることができると考えるからである。
糸東流を稽古する者は、必然的に、首里手と那覇手を越えた手とは何かを考える。
首里手と那覇手の融合を模索する。手としての共通原理を求めるようになる。
糸東流の首里手は那覇手のように、糸東流の那覇手は首里手のようになる。
そこに糸東流独自の手が現れてくる。
首里手と那覇手の両方を稽古する流派は糸東流だけではないが(一心流や心道流、沖縄拳法など)、いずれにしても,首里手と那覇手の両方を稽古することにこそ、沖縄伝統武芸としての手を習うことの味わい、醍醐味、面白さがあるのだと思う。

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