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小生おじさん選手権 〜星に願いを〜

イギリス領時代の香港で幼少期を過ごした小生にとって、赴任地をシンガポールに決めたのは必然だった。
幼い頃から慣れ親しんだ英語と広東語だけでなく、シングリッシュやマレー語にも自分のルーツとの共通性を見出せるような気がして、直ぐにこの東南アジア随一の国家に親しみを持つことが出来たのが理由の一つだ。

シンガポールでは現地社員とのコミニュケーションに困る事は全くなかった。
しかしただ一人だけ、小生であろうとも中々心を開けない相手がいた。

ショウコ・ウー・チャン。

日系シンガポーリアンのバックオフィスの事務として働く彼女だった。


小生は投資銀行のアナリストとして、シンガポールを地域統括拠点とし、アジア全体の経済について株価の評価や金融の将来予測を行う毎日で、データ分析に溺れるように毎日を過ごしていた。

「この世の全ての事象はデータと数字で解説できる。」
香港から帰国した後、開成と理三で過ごした学生時代を、完璧な解を導き出すことができる数学の魅力に取り憑かれながら小生は過ごした。
それまで滞在していた香港では、
「ルールや正解はいつでも変化する。明日には正反対な世の中になるかもしれない。」という事を国の歴史上嫌というほど体感し裏切られてきた反動なのかもしれない。

アナリストという仕事は自分の資質にぴったりと嵌っていると自負していたが、
日々の過労とプレッシャーが少しづつ小生の身体を緊張させ蝕んでいっている事に気が付かないふりをしていた。
今後のキャリアを築くために、重要なことは高い評価を上げること。誰からも優秀と認められること。満点で最高な自分でいること。
何者かになるためにソツなく業務をこなす中
で、心はどんどん疲弊していた。

午前零時、今日もまた日付けが変わるのをマリーナベイのオフィスで迎えた。この時間はロンドンの株式市場が開いているのだ。
ナイトライフを楽しむ観光客の傍で、小生のように国境を超えた働き方をする者が、その夜景の一部となっているんだなとしみじみ思う。
目の疲れも、頭痛も肩こりも、全て気が付かないふりをしてデスクトップのキーボードを叩き続ける。

“I’ll find the perfect answer…”
消え入るような声で自身を鼓舞するように独り言をはいたとき、コトンとマグカップが目の前に置かれた。


後ろを振り返ると、そこにはショウコ・ウー・チャンが立っていた。
今までロクな会話もした事がない彼女からのまさかの差し入れに驚き、小生は思わず一言も発する事が出来ず、只々彼女を呆け見てしまう。


“I say never be complete, I say stop being perfect. I say let’s...accept the way we are, like 5 points. Never mind-la!”

「完璧なんてよくない。完璧なんて目指さないで。それよりも5点みたいな自分を受け入れて。」

彼女は優しい微笑みを携えながら、シングリッシュ混じりの英語でそう呟いたあと、幻のように小生の前から立ち去った。
泣きぼくろを携えた切れ長の目は、心なしか潤んで見えた。

その日の翌日、意を決してバックオフィスを訪ねたが彼女は数週間の有休を取得していた。後々分かった事だが彼女は既に退社しており、あの日が彼女の最終出勤日だったという。


もう会えないと分かっていてもふとした瞬間にあの日の彼女の言葉と微笑みを思い出し、
何気なしに彼女の名前をインターネットで検索している自分がいた。

秘密主義で神秘的な彼女らしく、webページはおろか、SNSの類も何一つ彼女の情報はヒットしなかった。
しかし検索でトップに表示されたワードに小生は目を奪われてしまった。

「ショウ・ウー・チャン…? 5点ラジオ…?」

気付けばpodcastの再生ボタンを押し、流れてくる話に共感し、笑い、泣きながら聴き入っていた。
何者にならなくてもいい。5点でもいい。
完全なんて目指さなくていい。
小生はずっと誰かにそう言って欲しかったんだ。ショウコはきっと、小生の本質を見透かしていたんだろう。

それが小生と5点ラジオの出会い。
星に願っても手に入らなかったけれど、渡星してようやく手にした大切なもの。

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