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自分軸を立てることが本当に大事。そう感じたエピソード。

こんばんわ

今日は、ちょっと悲しかったことをお話しをします。

佳奈 です。

アメリカは偉い!日本は最低!!

86歳の、私のリハビリのクライアントさんからよく聞く話です。

「日本もバカだよね、あんなに大きな国に戦争仕掛けるなんて、バカだよね。」

「日本の男の人は、威張ってばっかりだけど、アメリカの人は、レディーファーストですごい優しい。」

「マッカーサーのおかげで、泥だらけの道路がアスファルトになって綺麗になった」

「アメリカのおかげで、、、、、」

書いていて悲しくなるのでこのくらいにしますが、

日本の星条旗新聞社で事務として働いていたその女性は、

アメリカはえらくて、日本は愚かだ

という思想が根強い。すごく。

私が、アメリカの真の目的、日本弱体化について話し始めると

部屋の空気を変えるほどに拒否的エネルギーをバシバシ出してきます。

日本を褒めるなんてNGなんですww


私は日本大好き なので、その話を聞くたびに、悲しくなっちゃうんですよね。


アメリカが好きであることは、別に良いのです。個人の自由ですから。

ただ戦勝国に優位な刷り込みで、

「日本が愚かだ」という考え方、思想になってしまうことが

私はとても悲しく感じるんです。

しかも、その方は、小さな頃の思い出までもねじ曲げて

「不幸な国に生まれた、哀れな自分」

をずーっと感じてて、

日本人であることに劣等感をずーっと感じ続けているんです。


この方、会話の端々に自分を蔑む言葉を言います。

自分に全く自信がないんです。

自己肯定感のなさの要因の一つに、アメリカさんのすり込んだ「罪悪感」と「劣等感」があると思うと

はらわた煮えくりかえりそうになりますよ、まじで。

ここで争ってはいけない。

WGIPについて知っている私は、このおばあさんの日本に対するイメージを変えなければ!

なんて思って、「説得」しようとしたのですが、

ちょっと待てよ  と、一旦冷静になってみた。


ここで、日本人同士が、争って、なんか意味ある?

むしろ、これが狙いか?

日本人同士が争うことで、得をするのは??


確かに、そのおばあさんの思い込みには、だいぶエラーがありますが、

そのおばあさんを攻めたところで、きっと、何も変わらない。

おばあさんの心だって癒されない。

おばあさんにとって、その刷り込みは、

時代の混乱を生きていく上で、必要だったのかもしれないし。

だから、おばあさんを説得して、おばあさんの思考を、コントロールすることになんの意味もないって思ったんです。


むしろ、おばあさんのその考えを変えられるとしたら、それは「アメリカ」さんだけなのかもしれないです。

そのあばあさん、当時は、二十歳そこそこの麗しき乙女。

その乙女に自国、日本の悪態をすり込んだ張本人「アメリカ」さんから、

「実はあれは、日本を弱体化させる戦略だったんだ」

とでも言ってもらわないと、おばあさんには伝わらないでしょう。

私が伝えたところで、何も知らない若造の戯言 になってしまうから。

それで、物分かりが悪い人だな!って私が怒るのも意味のないことなんですよね。

そのおばあさんの心を癒すものは?

でも、私は、どうせこれからも日本人として生き、

そして日本人として死んでいくことは必然なのだから、

だったら、アメリカが偉いとか日本が偉いとか、どっちが正しいとかじゃなく、

日本人なら、自分の国が素敵だなって思った方が

絶対精神衛生上良いって感じます。

死ぬ間際も、日本に生まれてよかった って思いながら死んでいった方が良くないですか。

単純にそう感じます。

日本は最高。それで良い。それだけでいい。

自分の国を愛せることほど、心が穏やかになる単純な方法はない

と私は思います。

同じ年代の方でも、日本を離れ、海外で生活をしたことのある人、

アメリカで生活をしたことのある人は、

口を揃えて「日本がいい」「日本人は優しい」と言います。

日本にずっといる人たちは、アメリカさんの、口伝で、アメリカの良さを聞いただけ。

実際、体験すると断然日本が素晴らしい ってなる。

それは事実。体験に勝る真実はありませんよね。

沢山の体験をする。

体験によって得られたエネルギーをでっかくでっかくして

いつか、日本を愚かだと思い込んでしまっているおばあさんの心に届いたらいいなと

余計なお世話と思いつつ、考えずにはいられません。


おばあさんと、アメリカー日本の話になると、

私はいつも無性に悲しくなります。

それは、私が日本大好きだから だけじゃなくて

おばあさんの「悲しさ」が伝わってくるからです。

おばあさんは、本当は、心のどこかで、日本が素晴らしいって思いたがっている、

ねじ曲げられた感情が、悲しいエネルギーとなって私に伝えてくるんです。


日本を託されている。

そんな風に感じます。


時代の変わり目。「思想」の変換期

幕末も、戦後も、「思想」を変換「させられる」出来事で

世相の変わり目で、

その混乱の中で、自分の気持ちを保つために

必要な「思想」「意志」を模索する。

だから、「思想」と『思想』

「意志」と『意志』がぶつかり合う。

争いに良いも悪いもないって思う。

むしろ、わかりあうために、

「ぶつかりあう」ことはあるものかもしれない。

幕末も、戦争も、「ぶつかり合う」中で、

沢山の人の命が失われたけれど

今回は、できることなら、「命」を失う様な「争い」は

起きないでほしい。

そんなことを、ぼんやりと感じています。


今日も、お付き合いいただきありがとうございます。

今日で、102日連続投稿です。

ありがとうございます。

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