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今日も挑戦するあなたへ

こんにちは!
訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみです。
いつかもっと大人になったら犬を飼いたいです。(この春42歳)
猫も好きだけど、小さい時に野良猫に頭をガブリとやられたことがある。怖かった。

そんなことより、近頃の私は、life一色の日々を送っています。
life一色と言っても、利用者さんの暮らしといのちは一つとして同じものはないので、それはもう色とりどりです。
ただ、私の頭の中がその色とりどりの暮らしといのち、それにまつわることでいっぱいになっている、という意味です。
今年度も終わりにさしかかっているうえに、求人活動、ソフト移行、新規対応、診療報酬改定、などなど、業務がたくさん。
子供はもうすぐ春休み。
目の前のことに追われているうちに大切にするべき何かをおろそかにしている気がする…と、ふと不安に襲われることがあります。
「多忙は怠惰の隠れ蓑」と言いますが、ほんと、そんな感じです。
なので、今回も学びになるようなことはお伝えできない気がするな。(暗っ)

でもご安心ください。
訪問看護ステーションlifeは元気いっぱい営業中です!
わたしはこう見えて根っからのポジティブ人間で、人生に失敗はないと思っています。
そして一見つまらないように見えることのなかにも必ず面白い種があると信じて疑わず、その上風邪もひかない丈夫な体を兼ね備えています。
(〇〇は風邪ひかないってヤツかしら…)
2月からはスタッフ2名に役職を与え、3月からはリハビリスタッフも新たに1名迎え、lifeは進化しています。
私には、手帳やノートにその月に達成したい目標やありたい自分の姿を書くという風習があります。(満月と新月に書くこともある)
ポイントは、達成できている、叶っている前提で書くこと。
2月と3月には「新しい出会いに恵まれて、lifeにまたすばらしい花が咲きます。ありがとうございます!」と書いていました。
まさにその通りになりそう。
ゆーみん、出会ってくれてありがとう。
あなたはすでにたくさんの蕾をもっているね。
lifeには明るい光が差し込んでいるし、おいしい水もある。
時に爽やかな風も吹いている。
倒れそうになったらみんなで支えることを約束しよう。
そしてともに自分の花を咲かせよう。
そういえば、起業する時にも叶えたいことをいくつか書いていていました。
その中の一つが、
「lifeのスタッフはどの人もキラリと光るものを持っていて、働きやすい職場になる」
です。
3年前、まだまだ夢見る夢子だった私ですが、なかなかいいことを考えている。
思考は現実になります。
スピリチュアルではないよ。
真剣に考えていること、本気で叶えたいことは見えるようにしたほうがいいという話です。
行動に影響するからね。

そんなわけで、ここからは徒然なるままにわたしの近況を文章にしたいと思います。
今回は子育てを通じて気付いたことです。
挑戦し続ける人に読んでもらえたらうれしい。


幼稚園生活と田代家の生活
先日、6歳の長女(通称こっちゃん)が幼稚園を卒園しました。
あっという間の3年間でした。

この制服も見納め。赤いリボンがかわいかった。


幼稚園に通う3年間、こっちゃんは本当に楽しそうでした。
お友達大好き。先生大好き。
入園当初から年長にお兄ちゃんがいたこともあってか、行き渋りは一度もありませんでした。
いつもニコニコ、どんな遊びにも全力で取り組んでいて、我が子ながらに眩しかった。
わたしと夫は長男が年長さん、こっちゃんが年少さんになった年に起業したので、しばらく「バタバタ」としか形容することができない日々が続いていました。
前職ではわたしが定時に帰宅できたので、夫や子供達のサポートに徹することができました。
まだ2人とも小さかったのでバタバタすることももちろんあったけれど、早起きして散歩をしたり読書をしたり。
料理をする時間もあったので、常備菜を作って家族や自分をケアする余裕もありました。
そのような日々から一転。
田代家の暮らしは大きく変化しました。
大きく変化するって、本当に大変で。
細かいことはほとんど記憶にございません!笑
今の私が早起きしてすることは仕事をどのように進めるかのスケジュール管理。
前日の残務処理。
読書は隙間時間にちょっとずつ。
(なんなら飛ばして読むこともある)
家事はあとまわし。
コープの冷凍食品にいつも助けられています。
イライラして子供達を叱りつけた後は、「一体何のために会社を始めたんだ私は…!!」と、泣きたくなるし、実際に泣きながら通勤する朝は現在進行形で存在しているのさ!
(あえて明るく言ってみる)
私が子供達を叱りつける時は、自分に余裕がない時と決まっています。
夫とのコミュニケーション不足がある、
コントロール外の出来事に翻弄されている、
仕事が滞ったっまま見通しが立てられてない、
寝不足、
など、自分が整っていないことに要因があるのです。
起業してから数ヶ月した頃、ぽっと空いた時間に友人に電話したことがありました。
「さとみ、それは大変だよ。生活が大きく変わってるんだから、大変なんだよ。だから、私は大変なんだ!って、助けを求めていいんだよ」と言われたっけ…
そう言われて初めて、自分が色々なことに追い詰められていたことに気づきました。
私っていつもそう。
自分の大変さや辛さの限界がよく分からず、頑張り続けてしまう傾向がある。
そんな日々を共に乗り越えてきた子供達も、いつの間にか大きくなった。
2人とも小学生になるなんて。

卒園式にて
厳粛な空気の中、卒園式が始まりました。
あんなに落ち着きのなかった子供達が静かに座っている。
成長を感じずにはおられない。
そしてステージの上で卒業証書を堂々と掲げる卒園児たちの姿を見て、

わたしたちは、生きているだけで素晴らしい。
ここにいるだけで、それだけで、もうじゅうぶんなんだ。

ということを思い出しました。
それと同時に、あんなふうに頑張った証を堂々と掲げられるって、いいなぁと思いました。
わたしにもそんな強さがあったらいいのに。

こっちゃん、3年間、本当によく頑張ったね。
こっちゃんの笑顔に何度助けられただろう。
ありがとう。

こっちゃんの担任の先生が最後のお集まりで子供達に伝えていた。
「初めての担任で至らないことばかりだったけれど、みんながわたしを先生にしてくれました。本当にありがとう。みんなは先生の宝物です。」
涙が出ました。
いつも一生懸命で、子供たち一人一人の個性を大切にする、とっても素敵な先生でした。
(しかも可愛い)
至らない点なんて一つもなかった。
大切に育ててくれたこと、感謝しかありません。
そして、先生が言っていた、
「みんなが先生にしてくれた」って、よくわかるなぁと思いました。
わたしも子供達がいるから、お母さんになれたのだと、深く共感しました。
思えばなんでもそうである。
夫がいるから妻でいられる。
親がいるから子供でいられる。
弟がいるからお姉ちゃんでいられる。
スタッフがいるから、管理者でいられる。
訪問させていただける利用者さんがいるから、訪問看護師でいられる。
自分が存在する意味を与えてくれる相手がいる。
これってとてもありがたいことだと思います。
生かされているってことだと思います。

卒園式のあと、夫にもらった花束。
「ママも卒園おめでとう。」




愛しているようで愛されている
幼稚園の朝の送りは長男の時もこっちゃんの時も基本的には私が担当していました。
玄関で別れる時、
「ママー、今日はママお迎え?」
「うーん。今日もパパかなぁ」
「そっか。お迎えじゃなくてもいいから、ママ早く帰ってきてね」
こっちゃんとの定番のやりとりです。
「今日はお迎え行くよ!」と約束しても、守れないことばかり。
でもそのことでこっちゃんに責められたことは一度もない。
「そろそろママにきて欲しいな。さみしいんだもん」と言われるくらいで。
お迎えに行くと、
「キャーー!ママーーーーーーー!!」と100点満点の笑顔で玄関に走ってくる。
愛おしい風景。
こんなに全身で愛情表現した時代が私にもあったのだろうか…(多分ない)
当たり前のように享受してきたけれど、卒園したらもうこんなこともなくなるね。

長男はもともとストレートな愛情表現はしないですが、
(モジモジしていてどちらかといえばオタク気質。それが面白くてとってもいいところ)
お迎えに行くとはにかんでくれるし、夜、たまに隣で寝るとくっついてきます。
私が好きそうな食べ物は「お母さんどうぞ」とお裾分けしてくれるし、缶ビールをプシュッと開けると「僕やるー!」と、コップに注いでくれます笑

私は子供を愛しているようで、愛されている。
私は産んだだけで、そのあとはずっと愛され続けている。
子供が子供でいてくれる時間はきっとあっという間。
そう思うと、仕事ばかりしている私は、母親としてとりこぼしている瞬間がたくさんある気がする。
いつか、今よりも大人になった子どもたちに「もっと一緒にいてほしかった」と言われる予感もひしひしと感じる。
それでもこんな私を母親として愛してくれる子供たちに、自分は何ができるだろうかと考える。
やっぱり、私は自分の人生を自分らしく生きることを頑張りたいという結論に至る。
考え抜いて、納得して選ぶ人生は、きっと素晴らしいと信じている。
自分と深くつながり、自分を好きなる。
子供たちにもそうあって欲しいと願っているし、きっとわかってくれると信じています。

私にとって大切なこと
私がこのnoteやlife通信で文章を書くこと。
それは、緊急ではないけれど重要なことです。
(時間管理のマトリックスでいう、第二象限を意識しています)
緊急で重要なことは本当は少ししかないのだろうけれど、
それでも日々判断を迫られるし、経営者・管理者たるもの常に上昇志向であるべきだ、と自分に言い聞かせている。
常にON状態で、PDCAを回し続けている。
もし大切な親友がそういう生活を何ヶ月も続けていてしょんぼりしていたらどうする?
そろそろ正直に申し上げると、私、最近疲れていると思う。
自分でも認めざるを得ないものを感じます。
弱音は吐かないと決めてるけど、吐きたくなる日がある。
先日参加したある勉強会で、
「人生の残り時間があと半年だとしたら、あなたは何をしますか?」と問われました。
真っ先に浮かんだのが、家族の顔でした。
子供たちに愛していることを伝えなければ!となったわけです。
でもここまで書いて思う。
伝えなくてもいいや、と。
伝えようと思うと、私のことだから、またなんやかんやと努力して結果を求めて評価して改善しようとしてしまうよ。(PDCAの鬼)
まずはPDCAサイクルから一旦離れる。
OFFモードに切り替える。
自分が愛している人とただ一緒に過ごす。
ともにいる。
それこそ私が今したいことです。
すぐにでもできる、私にとって大切なこと。

おわりに
忙しくしていると、自分を見失いやすい。
自分のことがよくわからなくなる。
そんな時には、自分のこととそうでないものを分ける境界線が必要なのだと思います。
最近の私は、lifeで働く自分とそうではない自分がごちゃ混ぜになっていました。
卒園式に出て母親モードになったことでやっと気付いた。
あなたは最近疲れていませんか?
不安な時代の波に、飲まれそうになってはいませんか?
あなたももしかしたら、境界線が曖昧になっているのかもしれません。
疲れを感じた時は、OFFモードに切り替えて、休んでいい。
「ただそこにいる」
それだけであなたは素晴らしい存在なのだから。
私もそう思うことにするよ。
今日も頑張るあなたに幸あれ〜!









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