悲しみと向き合うには
こんにちは!
訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみです。
今、自分の前髪のこれからについて考えています。
伸ばしたままでいくか、そろそろ切ってみようかといったところです。
先日、1年半前に自宅で奥さん(ゆみさん仮名)を看取ったご主人(やすおさん仮名)から連絡をいただきました。
お悔やみ訪問には、当時の管理者が行きました。
私もお線香をあげたいと思いつつ、なかなか連絡ができずにいて、お別れから1年半が経過してしまいました。
やすおさんから、「どうしてもさとみさんに来てほしい」と連絡をいただきました。
お話したいことをずっとあたためているとおっしゃるのです。
すぐに日程を調整し、訪問することにしました。
今回はその時のことについて書きます。
ゆみさんのこと
ゆみさんはがんを持っていました。
もともとパーキンソン病もお持ちで、日常生活にさまざまな支障がありました。
パーキンソン病薬を飲みながら癌と共存していました。
治療に励みましたががんの完治は難しく、末期状態。
自宅で最後まで暮らしたいと、lifeに依頼がありました。
ゆみさんとやすおさん
ゆみさんとやすおさんは夫婦2人暮らし。子供はいません。
「ゆみちゃん」「やすおくん」と呼び合い、本当に仲睦まじいお二人でした。
当初、lifeでは入浴のお手伝いとリハビリをしていました。
出会った頃からゆみさんは弱音は一切吐かず、
「もう治療はしなくていい。このまま家で死ぬ」とおっしゃっていました。
ゆみさんはキラキラしたものやカラフルなものが好きで、抗がん剤の副作用で短髪でしたが、綺麗なウィッグとド派手なワンピーススタイルでネイルに出かけたりしていました。
ものづくりも得意で、陶芸をしたり絵を描いたり、バッグやブローチを制作したり。
自宅はゆみさんの作品でいっぱいでした。
家全体がゆみさんのエネルギーで溢れていました。
そんなエネルギー溢れるゆみさんのことが大好きなやすおさん。
「ゆみちゃんはほんとすごいよ」と、ゆみさんのことをいつも愛おしそうに見つめていました。
亡くなる前夜の臨時訪問
病状は徐々に進行。
鎮痛剤を増量し、ベッドで過ごすことが多くなりました。
眠っている時間が長くなり、ゆみさんとのお別れが近いと感じていたある夜中、やすおさんから連絡がありました。
「ゆみちゃんが病院に行くっていうんだよ。こんなこと言ったことないのに。いつもと様子が違うし、看護師さん呼んでって言ってるから来てもらえますか?」と。
その日待機当番だった私。
3時過ぎに訪問すると、ゆみさんは身の置き所がなく、苦しそうでした。
眠りたいのに眠れない。
体の向きを変えたり、坐薬を入れたりして対応し、寝息を立て始めたことを確認して、私は朝方自宅に戻りました。
その日の午前中、ゆみさんは息を引き取りました。
やすおさんは、この時の様子をスマホの録音機能で録音していました。
病院に行くと言い出し、いつもと違う!と咄嗟に録音ボタンを押したと言います。
その音源が、ずっと聞けずにいた。
あの夜を知っているのは、ゆみさんとやすおさんと私の3人だけ。
だから、「さとみさんとじゃなきゃ聞けないと思ってた」と、その音源を聞くために自宅に呼んで下さったのです。
あの夜のこと
音源は2時間以上にわたって録音されていました。
久しぶりに聞くゆみさんの声。
絞り出すように訴える切れ切れの言葉が、一気にあの日の夜に私たちを引き戻します。
「ゆみちゃんの声だ…」と、2人でスマホに向かって耳を立てました。
病院に行く。連れてって。
なんでこんなに苦しめるの?
何か悪いことした?
ゆみさんが苦しむ様子が痛いほどに伝わります。
私たちには決して見せなかった姿です。
ゆみちゃんどうしたの?
病院には行かないよ、先生が来てくれてるでしょ?
病院に行ったら会えなくなるよ。
ゆみちゃんは何も悪いことしてない…
ごめんな、何もしてやれなくて。
俺は無力だな…
やすおさんもまた、苦しむゆみさんを前に苦しんでいました。
助けたい。でも何もしてあげられない。
しばらく2人のやりとりが続き、lifeに連絡。
「今来てくれるよ」と、10分後くらいに私が到着します。
以下、私とゆみさんとのやりとり。
私「ゆみさん、苦しいですか?」
ゆみさん「病院連れてって」
私「病院に行きたい?病院で何したいですか?」
ゆみさん「病院に行く」
私「ゆみさん、お家でできることまだたくさんあります」
ゆみさん「(沈黙)」
私「苦しいの和らげる坐薬入れましょう?」
ゆみさん「嫌。入れない」
私「じゃあ、少し体の向きを変えましょう?」
…
看護している自分の音声。
初めて聞きました。
このやりとりを聞いて、私は愕然としました。
苦しみ、病院に行きたいと搾り出すように主張するゆみさんに対して、
「病院に行って何したい?」
ゆみさん、ごめんなさい…
後悔
私はゆみさんの苦しみを理解しているつもりでいました。
このいつもと違った様子も、亡くなる前に見られる変化。正常なものです。
でも実際の私は、介入時からずっと聞いていた「家で死ぬ」ということにとらわれて「自宅で最後まで過ごす」ことに注力していました。
私もまた、いつもと様子が違うゆみさんを目の前にして動揺していました。
ゆみさん、看護師を待っていてくれたのに、分かってもらえず苦しかっただろうな…
どこで最期を迎えるか、よりも、どんなふうにその時を迎えるか、症状に対処しながら関わるべきだったと今なら思います。
「このままでは苦しくていられない。病院に行ったら楽になるかもしれない」
このゆみさんの苦しみを、あの日の私は受け止めることができなかった。
「苦しいんですね…病院に行きたいんですね」って、なんで言えなかったんだろう。
ばかやろうだな私は。
音源を聞きながら後悔でいっぱいになってくる。
悔しいやら情けないやら…
あの日にはもう戻れないし、ゆみさんにはもう会えない。
今の今まで、看護できていたと思い込んでいた自分が情けない。
私がお二人のためにできていたことと言えばなんだろう。
「背中剥がして」と言うゆみさんの要望に応えるため、ゆみさんを起こして抱き抱えるようにして端座位にしました。
腕引っ張って、足引っ張って!と、身の置き所がないゆみさんに言われたように手足を動かして、心地がいいポジションを一緒に探しました。
「もう腕がもげてもいいから」と言ってたな…
輸液に毒が入ってる!ポンプの電源抜いて!と訴えるゆみさんに対し「わかりました!抜きましたよ」と、電源を抜いたり差したり。「ゆみさんの体に必要なものしか入れないです」と伝えたりしていました。
共にいた。
唯一できていたことは、共にその時間を過ごしていたこと、になるでしょうか。
やすおさんと一緒に試行錯誤しているうちに坐薬も効いてきて、ゆみさんは落ち着いてきました。
「やすおくんも気をつけてね」とゆみさん。
これが、ゆみさん最後の言葉になりました。
音声を聞いて
「ゆみちゃん、最後まで俺のこと気にかけてくれてたんだ」とポツリ。
色々覚えているつもりだったけど、実際に音声を聞いても思い出せないことがたくさんあるとおっしゃっていました。
そのことにまた悲しみを感じている様子でした。
「今日は眠れないかもしれない」そして「これはやっぱりさとみさんとじゃきゃ聞けなかった。1人じゃとても無理だよ」と。
今まで来られなくて、本当にごめんなさい。
やすおさんの暮らし
やすおさんはゆみさんに先立たれて、本当に寂しそうです。
訪問していた頃も「ゆみちゃんが死んだらどうやって生きて行ったらいいかわからない」とおっしゃっていました。
実際に1人になり、やすおさんは少しずつ日常を取り戻しています。
お仕事も続けながら、週3回はジムで体を動かしているそうです。
月命日には必ずお墓参りをして、備えたお花とお墓の様子を写真にとって記録しています。
ゆみさんの誕生日をお祝いする仲間とのバーベキューも、去年から再開。
自宅にはゆみさんの描いた絵や作品がまだいっぱい飾られていて、ゆみさんはもういないけれど、ここでゆみさんの存在を感じながら、やすおさんの暮らしが続いていることがよくわかりました。
でも、それでもやっぱり寂しい。
悲しみの波に不意に襲われることがある。
1人の日常が当たり前になればなるほど、ゆみさんがいないことを受け入れるようで悲しくなる。
これが現実なのだと思います。
1年半が経過した今、私は改めてゆみさんの不在を強く感じています。
やすおさんとお会いして、ゆみさんの声を聞いて、自分の看護を振り返って。
もっとできることがあったのに。
もっと一緒に過ごしたかったのに。
ゆみさんを失った悲しみに、ようやく向き合うことができました。
やすおさん、ゆみさん、ありがとう。
また会いに行きます。
心と向き合う
その後、やすおさんから
「今日は訪問いただきありがとうございました。1年半の胸のつかえがスッとおりた感ががあります。またいつでもコーヒー飲みに寄ってください。大歓迎です」と、連絡をいただきました。
ありがたいことです。
1人ではとてもこの悲しみと向き合うことはできなかった。
これは、私にも言えることです。
自分の心の存在に気づくには、もう一つの心が必要なのだと思います。
ここに、悲しみを感じている心があるよ。と、やすおさんが教えてくれた。
悲嘆のケアもまた、医療者が一方的に提供するものではなく、遺族と相互に生まれるお互い様のケアなのだと思います。
ちなみに、この体験はlifeのナースミーティングで共有させてもらいました。
自分にがっかりしていた私だけど、みんなに話しながら泣けてきてしまい、ここでもまた「あ、私は泣きたかったんだな」と、自分の心に気づきました。
みんなが一生懸命聞いてくれるので、その心に触れて、泣いちゃった。
案外、自分の心ってわからないものだなぁと思います。
簡単そうで、実は捉えどころのない心。
ありそうでない、心。
これからもたくさんの心に触れて、出会いながら、看護を続けたいと思います。
おわりに
私の看護師歴はもうすぐ20年。(スゲー!)
管理者なんてやらせてもらっていますが、私の実力は、こんなものなのです。
どんなに知識や技術を持っていたとしても、必要な時に発揮できなければ、意味がないよなァ。
私は妻としても母親としても、まだまだできないことの方が多い。失敗もする。
でもこれも全ては進化ポイント。
ダメな自分を「ダメダメだな自分は!」となるのは、実は簡単。
(落ち込んで、パワーを溜め込む時間はもちろん必要です)
でも落ち込んでおわりにするのではなくて、ここからどうするか、どうありたいかを考えて実践することが大切で、人として尊い生き方だと思っています。
今日も頑張るあなたと私に幸あれ〜!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?