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あれから1年

こんにちは!訪問看護ステーションlifeで看護師をしている田代さとみです。
ナイチンゲール生誕記念日の5月12日をもちまして、株式会社life pieceは4期目のスタートを切ることができました。
こういう時、よく、「おかげさまで」といいますよね。
聞いている人は「いやいや、何もしてないヨ」と思っているけど、言っている側の人間は本気です。
皆さんのおかげで生きていられると、心から思っています。
いつも応援していただき、心から感謝しています。
ありがとうございます!

では今回のnoteは4期目に向けての決意表明を…とはなりません。
父と弟のことを書きたいと思います。
自分を癒すために書きます。

去年の5月、夫の父が天国に旅立ち、その1週間後、わたしの弟も続けて旅立ちました。
去年の5月はlifeのユニフォームと礼服ばかり着ていました。
父の葬儀が終わる頃、入院中の弟の容体が悪化したと連絡が来て、急いで郡山に戻りました。(正しくは、苦しみが強いので深く鎮静をかけます、と言われた)
夢か現実かよくわからないような、不思議な時間を過ごしていました。

当時のlifeの看護はまだまだ人員の余裕がなく、実働している看護師はわたしとしんのすけとかなちゃん。
3人で待機当番を回している状態でした。
そこに、入職したばかりのこんちゃんとあっきー。
あの時期、本当によく踏ん張ってくれたと思います。
まだまだわたし1人で抱えている仕事ばかりだったから、簡単に手放すこともできない。
(今となれば、わたしに手放す勇気がなかったとわかるけれど。)
「力になりたいです」
「お父さん、弟さんのそばにいてあげてください」
そう言って、連日の待機当番を引き受けてくれました。
たけるは夫の分までたくさん訪問してくれました。
申し訳ない気持ちでいっぱいですが、どうすることもできません。
立ちすくむことしかできず、なんだか孤独でした。

父と弟のこと
病に伏してもなお偉大な父でした。
(在宅酸素をしながら自宅療養中でした)
その父との予期せぬ別れ。
確かに衰弱はしていたけれど、ちょっと入院しただけで、またすぐに会えると思っていました。
悲しむ夫のその胸の内を想像しながら、明日は自分の弟が死んでしまうかもしれない。
どうしたら良いのかさっぱりわかりませんでした。
悲しみの中で、何を試されているんだろう?と考えた時、
自分のスタッフを信じなさい
自分のしてきた仕事を信じなさい
そういう時期が来たんだよ
と、父に言われているように思いました。
夫も同じように考えていて、2人でそんなことを話しました。
葬儀の間は全てをスタッフに委ねました。
父の葬儀が終わった翌日には仕事に戻り、待機当番をしながら夜中に弟の面会に行きました。
その頃、弟にはほとんど意識がありませんでした。
そっと病室に入ると、付き添っていた母親が弟の腕をタオルでベッド柵に縛り付けていました。
「何してるの?」と聞いたら、
「こうしないと酸素マスク外しちゃうんだよ。
さっき看護師さんが縛ってくれたんだよ」と教えてくれました。
私も看護師です。
状況は理解できます。
でも、明日死んでしまうかもしれない自分の弟がベッドに縛られている。
衝撃でした。
ショックでした。
「縛らないでよ。かわいそうだよ」
咄嗟に言いました。
「なんで?酸素吸わなきゃ苦しいでしょ?」と、当然のように訴える母。
言葉を失う体験をしました。
弟はもう酸素を取り込める体ではありません。
それは明らかでした。
それでもなんとか生きていてほしい。
酸素を吸って楽になってほしい。
母の気持ちが痛いほど伝わりました。
我が子の腕を縛ってしまう理由が理解できました。
そうだよね…となりました。
母もまた、明日にも子どもを失うかもしれないという恐怖と対峙していました。
今の私には怖くて想像もできないこと。
なんだかもうすべてが悲しい。
時間を取り戻したくなりました。
でもどうすることもできない。
「苦しすぎて外しちゃうんだよ。
外したらまたつけてあげればいいんだよ。」
正解かどうかわからない対処方法を伝えて、縛っていたタオルを外して、夜中の病棟を去ったのでした。
悲しい夜でした。
こんな気持ちになるんだな…とどこか遠くから自分を見つめていました。
まだ失っていないのに、何かを失ってしまったような気持ちで。
そして、
これから出会う人の苦しみは最大限取り除きたいし、
わたしは誰のことも縛りたくないと思いました。
弟が身をもって教えてくれているんだと素直に思えました。


数日後、弟の葬儀になりました。
葬儀で夫と私が不在の間、当時のスタッフは事故もトラブルもなくlifeの日々を繋いでくれました。
その直向きな姿勢には、感謝しかありませんでした。
1年経った今、改めて感謝の気持ちが溢れます。
本当にありがとう。

父の葬儀には、たくさんの方が郡山から駆けつけてくださいました。
失意の中にある夫がどれだけ励まされていたかわかりません。
何より父が喜んでいたと思います。
多くの支えを感じながら、夫はしっかり立っていました。
こころから感謝しています。

弟の小さな葬儀には、私の友達が駆けつけてくれました。
どんなふうに伝えたかも覚えていないのに、遠くからわざわざ来てくれた。
嬉しかったです。

そのあとのこと
lifeはその後、新しいスタッフを迎えながら前進してきました。
子供達もすくすく成長。
lifeの日常が、父と母としての日常が、夫と私に役割を与えてくれました。
役割があることは、居場所があるということです。
居場所は私たちに安心を与えてくれました。
だから、悲しみに押し潰されることなく、悲しみに意味を見出すことができました。
管理者としても、経営者としても未熟な私。
知らないことが多くて、人間としての器が試される毎日です。
余裕がなく、スタッフへの配慮ができず自己嫌悪に陥る日もあります。
仕事が山積みで途方に暮れる日もあります。
それでも、わたしが生きている今日は、父と弟が生きたくても生きられなかった今日。
わたしが吸っている空気は、父と弟が吸いたくても吸えなかった空気。
そう思えば、やっぱりこうして生きていることがありがたいし、
生きているうちは自分にできることをやろうという気持ちになります。
欲張るつもりはないけれど、だからと言って何もしないのもなぁというくらいの気持ちになってきます。
自分がいいなと思うような人生を歩めばいいですよね?と、小さく尋ねてみたりします。
自分以外に話しかけられる相手がこころの中にいるって、幸せだなと思います。

父と弟を失ったばかりの頃は、父や弟と同世代の人に出会うと「生きているだけでありがたいんだからもっと頑張れ」とか、「生きてるだけでありがたいんだから不平不満は言わなさんな」とか、「やりたいことがあるならやるべきだ」とか「タバコなんてやめれ」とか、やたら攻撃的な気持ちになったこともありました。
(今はもう大丈夫です。ただの老害?あれはなんだったんだろうか笑)
たぶん、悔しかったんだと思います。
何もできなかった自分を重ねて責めていたのだと思う。
(タバコは吸ってないけどね。)
でも、今の季節、バイクで気持ちよさそうに飛ばしている若者を見かけると「いいよなぁ」とちょっぴりセンチメンタルな気持ちになります。
弟はバイクが好きだったので。
でも、もう悲しくはありません。
わたしは、大切な人たちとともに、
自分らしく生きていこうと思っています!



おわりに
今日は父の1周忌です。
無性にお父さんと弟のことが書きたくなりました。
だから書いたのさ!
請求書まとめなきゃいけないのにそっちのけさ!
お父さん、また会いたいです。
弟よ、いつもありがとう。
ここまで読んでくれた優しいあなたに幸あれ!

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