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情報戦の世界迷作劇場 〜幻の豊田公演〜


「もうね、わかってる。楽しみにしているイベントに限って、結局キャンセルになってしまうんだよ、そういうもんよ。だからわたしは楽しみじゃないってスタンスで振る舞ってる。自分に思い込ませてる。で、その日を迎えたら、あぁそんな予定あったね忘れていたよ、くらいの気持ちのつもりね」
「いーや、めっちゃ楽しみにしているだろそれ」
「いやいやいやぜんっぜん楽しみじゃない、ぜーんぜん」

そんな事をふざけて夫に言いながら、指折り数えその日を待っていた、福尾誠さんのミュージカル「世界迷作劇場 6月3日豊田市文化会館13時の部」が、本当に、公演中止となった。それも当日の朝に。ほら、だから言ったでしょ。

初めてのことではないのだ。年末に、これまた首を長くして待っていた東宝ミュージカル「エリザベート」がコロナで中止となった苦い(苦すぎる)経験があったばかりなのだ。だから「楽しみにしない」と口では言っていた。でもまさか、本当に無くなるなんて。ファンクラブ枠で手に入れた二列目チケット、こんな近けりゃ誠の汗を浴びられるかもしれないぜぐふふ。そう本気でニヤついていたが、ただの紙切れとなった。

さすがにこたえた。前日の台風二号の事は分かっていたが、特に影響はなかろうと高を括っていたのが愚かだった。

早朝、念のためTwitterを確認すると、飛び込んでくる衝撃情報。主演の「だいすけお兄さん」こと横山だいすけさんが、新幹線の運休で東京から動けていないらしい。血の気が引く。まさか、まさか。いや、お昼の公演だし、どうにかなるよ、時間遅らせてスタートとかさ。そう自分に言い聞かせ、夫の弁当の支度や家事をしつつ5分おきに公式アカウントをチェックする。この状況を知った夫は、心痛な面持ちで「心中、お察しする」という言葉を残し出社していった。いや、上演するよ大丈夫、だいじょうぶ。友人にこの状況を逐一LINEで報告する。迷惑な奴である、こんな朝早くから返信があり本当に有難い。今のわたしは、この思いを吐き出さないと気が狂いそうなのだ。

午前9時、公式発表。「本日予定されていた13時の公演は、中止とさせて頂きます。なお、16時の回は予定通り上演予定です。」

膝から崩れ落ちた。床に突っ伏し、声を上げて泣いた。なんで、なんで…!神よわたしが何をしたと言うのだ。エリザベートに続き、こんな楽しみにしていたモノに限って。家事に子育てに奮闘している、それだけのわたしに、救いはないのか。わんわん泣いている大のおとなのもとへ、三歳の長女がそれに劣らぬ泣き声をあげながらやってきた。テレビのチャンネルが気に入らない由。寝転がってメソメソしている母親に「お母さん何で休んでんの!」ってアンタその仕打ちはないよ。娘を抱き寄せる。楽しみにさせるのは良くないと思い(だって楽しみなイベントは以下略)、今日の予定は伝えていなかった。

少し落ち着きを取り戻したところで、わたしはスマホを握りしめた。諦めてたまるか。
公演には、毎回当日券の枠がある。夕方公演のソレを狙うしかない。しかし今回は13時涙目組が多くそこに流れてくるはず、確保するのは容易ではなかろう。

まずは公式に問い合わせる。当たり前だが現場は大混乱、対応に追われているはず。電話口の男性の口調からも、それは充分感じ取れた。

「当日券はあるんですよね?これまで通り一時間前から購入可能なんですか?もっと早くから並ぶ人、絶対いますよね。わたしも並ぶつもりで行くんですけど、現場では何時くらいから並べるのかなって。」
「はい、早く並んでもらえます。ただ…中止を知らず、13時公演に来てしまうお客様が必ずいます。その方たちへ、優先的な当日券の案内があると思います…」
「えっ、それじゃあ間違って来た人の方が、得、という言い方はアレですけど、そんな感じですよね?本来の発売時刻に行くより。」
「そうなります、ね…」

なるほど。この状況で、公平不公平の訴えはナンセンス。こうして得た情報をもとに、思考を巡らせる。とにかく行ってみて、状況次第で動こう。その前に、万一に備え七月の名古屋公演のチケット状況も確認。まだ買えそうだ。そちらへの完全移行も考えたが、否。わたしは今日、誠に会うんだ。

不退転の決意で、娘二人の支度を済ませ、会場へ向かう。片道一時間のドライブ。酷く頭が重い。肉体が悲しみに蝕まれているようだ、なんて考えながらハンドルを握りしめた。そして思い出す。ずいぶん前から、この日に向け子どもたちの体調に注意を払っていたこと。何を着ていこうか、胸を弾ませていたこと。今朝はアラームより前に目覚め、真っ先にチケットを鞄にしまったこと…。あぁ、惨めだ、惨めで仕方ない。バイパスからのぞむ空は、台風一過の晴天である。

無事に到着すると、案の定、中止を知らない人たちが驚きの声をあげている。気の毒極まりない、その場で知る方がショックは大きかろうよ。そして既に、ロビーには当日券の列が出来ていた。わたし達も加わる。その時点で13時。15時まで子連れで並ぶなんて無謀だ。そもそも皆さん、そんなつもりで来ていない。不穏な空気の中、「そんなつもり」で来たわたしは、列の中で小さなレジャーシートを広げ娘たちと昼食をとり始めた。明らかに異様な親子である。おもちゃも絵本も持参している。覚悟も、ある。(無論、迷惑にならぬよう気を配り、あくまで並んでいる立場として振る舞っていたつもりだ。)
とはいえ、さすがに15時まで耐えるのは無理だ。お連れ様は、一才と三才。はよ何かしらの措置がなかろうかと思っていると、スタッフからの案内が。

この状況で皆さんが並ぶのは大変だから、今並んでいる順に整理券を配る。それは当日券を買う為のもの。15時になった時点で、この場で整理券順に購入案内をする。15時にいなかったら整理券は無効となる。因みに、公演は16時30分からに変更。

ざっくりこんな感じだ。その場に安堵の空気が流れる。わたしもホッとし、一桁代の整理券を受け取った。とりあえずチケットは確保出来そう。しかし、現在13時半で、15時に当日券…で、上演は16時半…。この子らを連れて、行ったり来たりはかなり過酷だぞ。すがる思いで、ここまで避けてきた最後の手段にでる。義母、召喚。義両親は豊田市在住なのだ。しかし距離があるため、ぎりぎりまで助けを求められずにいた。そうも言っていられない、お義母さん、どうにかなりませんか?!

結果、協力してもらえることに!た、助かった!!こちらに合わせて動いてくれたので多大なる迷惑をかけてしまったが、本当に本当に有難かった。
安心して心も軽くなり、とりあえず会場を出る。すると、興奮した女性の声が耳に入った。
「中止なんて、聞いてないよ!メールとかしてほしいよね!」
何も知らずに来てしまったご家族らしい。ご夫婦と2才くらいのお子さん。奥様は、お腹が大きい。涙声でご主人に不満を訴えている。返す言葉が見つからないらしいご主人。思わず声をかける。
「かくかくしかじかで、まだ整理券貰えるかもしれませんよ、聞いてみたらどうですか?」
「えっそうなんですか!行ってみます有難うございます!」

彼らと別れ、祈るような気持ちで車に向かった。近場まで来てくれた義母と義妹家族と合流、長女だけを預け、わたしと次女はまた移動。無事に当日券を確保。そしてまたまた、長女を迎えに行き、三たび会館へ。

つ、疲れた…。三度目の正直だ。会える!会えるぞ誠に!!もうこの時点でわたしのHPは限りなくゼロだったのだが、いやこれからが本番よ。こんな…こんな事になるなんて誰が予想しただろうか。待ってろよ誠、わたしは諦めなかったぞ。

そして、ここまでバタバタと訳のわからない行動に付き合わされている娘たち、有難う。楽しんでおくれ。
グッズ売り場にて、ガチャガチャに挑戦する。一回五百円の白目価格だが、景品の中でも大当たりはなんとサイン付きポストカード、特賞なんてお兄さん達と会える券!!
神のお導きによってこの伝説回にたどり着いたわたしなのだ、奇跡が起きるのでは、と期待するもまぁそんな事あるはずもなく、ペラペラのリストバンド(という名のリボン)を手に入れた。

そして着席。ちょっとした興奮状態の長女とアウトロー次女をどうにか制しつつ、幕が開くのを待つ。なかなか始まらない。ファミリーミュージカルなので、会場はどこもかしこも泣くわ叫ぶわ立つわのカオスである。予定より15分遅れで、ようやく開演!

もう、感無量であった。初めて生で聴く、だいすけお兄さんの伸びやかな歌声は、優しさの中に力強さがあり、真っ直ぐ胸に届くようだった。そして、「最推し」である。時が止まるような瞬間だった。実在した。ただそれだけだ。本当にいたよ福尾誠は。この世に存在した。信じられないくらい顔は小さく手足は長く、完璧だった。

長女は、着席せず立ったまま熱心に舞台を見つめ、次女はなんとなく場の空気で拍手をしたり周囲を見たり、まぁどうにかなっていた。とは言え舞台も終盤に差し掛かると二人とも飽きてしまい、長女はわたしの足に絡みつき、次女は釣り上げられたイキの良い魚状態、わたしの胸元をまさぐり大暴れ。まさしく混沌だったのだが、兎にも角にも最後までちゃんと観劇できた。充分だ。

会館を出ると、夕方の風が髪をなびかせた。前方を歩く家族が、整理券の事を伝えたあの妊婦さん達だと気がつく。無事に見られたようだ。

劇中で、だいすけお兄さんの(恐らく)アドリブの
「いやぁ、遠かった…!新幹線止まってるって聞いてもうどうしようかと…」という台詞があった。我々観客は勿論だが、キャストもスタッフはそれ以上に大変だったのだ。なんと、キャストが劇場入りしたのは本来の開演時刻、16時だったそうな。この公演の実施も奇跡的だったという事。関係者各位に感謝の思いである。

そして今回の件で、つくづく思った。この世は情報が全てだと。知ってた者勝ち、聞いた者勝ちの世の中なのだ、特に緊急事態においては。全てに言えることだと思うので、改めて肝に銘じた。

今回の全国公演は全50回。そのうちの一回が幻と消えてしまった。結果、まさに東奔西走の努力(?)で忘れられない思い出となった訳だ。いや…言うまでもないが、何のハプニングも無く予定通り二列目で生・誠を堪能したかったに決まっている。なんでこんな大変だったんだよまじで。
二度とごめんだ。楽しみなイベントなんて、もうこりごりだ。

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