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「西田 大」という人

「西田大」(にしだ まさる)さんとは、僕が高校一年生の時の担任の先生です。



僕の担任をしていた当初は、静岡県内の公立高校で働く普通のいち英語教師だと思っていました。(当時からイギリスの大学?かどこかに研修に行ってたりと、普通の英語教師ではなかったのかもしれないが。)


現在西田先生は、約20年間続けていた高校教師を辞め、静岡で英語塾を経営されています。


通訳としても国際会議や大臣クラスの人達と仕事をしていると。(「2016年G7伊勢志摩サミット」や「2019年ラグビーWorld Cup日本大会」などの国際行事に通訳として参加。)

その一方で、首都圏予備校・英語塾、企業内講師として英語教育に携わる。
英語教育に関するセミナーや講演会への登壇経験も多数。
英語教育に関する寄稿も多数あり、大学入試の小論文試験などでも利用されている。


という、やべえ人になってました。

書籍も何冊か出版されていて、西田先生が書いた本がAmazonベストセラー(分野別)1位になったこともあるという実績。



こんなにすごい方になるとは思ってもいませんでした。


僕が高校一年生の時(2014年)の担任の先生ということもあり、現役の高校教師として活動していた頃の西田先生を見てきたわけなのですが、思い返してみれば「この人は他の先生とは違うな」と思わされるエピソードも確かにあるわけです。


今回のブログは、その西田先生と僕の高校一年時当初のエピソードについて書きたいと思います。



僕が高校に入学して初登校日、クラスみんなでソワソワした雰囲気で教室に座っていました。

緊張した面持ちで待機していた頃、西田先生が教室に入ってきました。


初見の西田先生をみて、

「怖い。厳しそうだな」

そんな第一印象でした。


「この高校を卒業していった先輩方は、きっと俺のことを優しい先生ではないと言うと思います。怖い、厳しい先生というイメージをもってると思います。」

そう西田先生は言いました。

先生は出身が関西ということもあり、しゃべりがゴリゴリの関西弁だったので余計に圧のあるというか、影響力のある口でした。


やはりそうか、見た目通りやなと。



西田先生の授業は気迫がありました。

「しっかりと伝える。熱意を教室全体に行き渡らせる。」そういうオーラがありました。

しかし身体の動き、語り口や表情など、恐怖オーラはあったものの、実際的には厳しい授業ではありませんでした。


ある英語の授業中、西田先生がいいました。

「過去までは厳しく授業をしていた。宿題とかにおいても、これをこんだけの量やってこい、いつまでにやってこい。やってこなかった人がいたら、そいつらは授業中立たせる。そういったこともやってきた。そしたら英語以外の授業中に先生の目を盗んで英語の宿題をやるやつが出てきた。生徒は部活や他の教科の宿題でただでさえ忙しいのに、そんな生徒の学習の余裕を予想以上に奪ってることに気づいた。これは俺が厳しい教育方法で威圧してしまったからだとおもった。そう思ってから厳しいことは生徒に言わないようにした。だからどうかみんな、自分で勉強して欲しい。自分でやるんやで。俺が言ったからやる、言われたからやる。そうじゃない。ええか? 自分でやってくれ。


これは、生徒の成績がどうすれば上がるのか。どうすれば生徒が学習するようになるか。といったことを生徒を深く見て、本気で考えてる人だからできる発言だと思った。


英語以外の授業中に先生の目を盗んで英語の宿題をやるやつがいたらその生徒の責任にする先生がほとんどだろう。それを「自分が生徒の学習の余裕を奪ってる」と結びつけたのは西田先生が、生徒の気持ちをより本質的に捉えようとして出来たからこそ。先生の中には「忙しくて当たり前、余裕がなくて当たり前。」「勉強やれ、とにかくやれ」しか言わず、一様に宿題を大量に出すだけ。画一的なことしかしない。そんな程度の先生ばっかりでした。これはもう、この学校の生徒はみな頭良いし、真面目だからとしか生徒を見ておらず、先生が考えることを放棄してることに他ならない。生徒が精神衛生上良くない無理の仕方をしてることに気づかない、あるいは見て見ぬ振りをして自分は悪くないと、自分の教育方法を省みようともしない。

最近の教師は知らないが、西田先生は当時の先生の中では、かなり珍しいタイプの先生だった。


勉強は自主的にするものだ。

超本質的なことだよな。




そして「普通の先生とは違うな」と思ったどころか、「ただ者ではないな」と思わされたエピソードもあります。


ある日、たまたま部活がない日、放課後図書室にいったら奥の隅の席で西田先生が何かしてました。

西田先生は近づきがたいオーラがある人なので、何をしてるのか気になってはいたものの、近づいて何をしてるのか確認することも出来ずにいました。


また別の日に図書室に行ったとき、また奥の隅の席でなんかしてました。仕事であれば職員室でやるはずなので先生が図書室にいるというのは不思議でした。


そしてある日の英語の授業の最後に西田先生が言いました。

「この学校には優秀な生徒がたくさん居る。怖い。だからみんなに負けないように俺も毎日図書室で勉強してる。


生徒に負けないように自分も勉強する。進学校とはいえ、生徒は高校生で。西田先生は現役高校生とは比べものにならないくらいの問題を解いて、分析して、何人もの高校生を指導してきている。それでも尚、放課後学び続ける。こんな限りなく謙虚で向上心のある教師いるかと。


西田先生は、ほとんどしゃべらない寡黙な人でした。表情の変化がほとんど無く、常に飄々としていました。(異質でとらえどころのない様子)授業以外でしゃべっているところを見たことがないです。なので西田先生としゃべった記憶がほとんど無いのですが、たった一個だけ西田先生としゃべった記憶があります。


定期テスト後、担任の西田先生が定期テストの個人成績表を一人ずつ廊下で渡し、個別でコメントを言うということをやってました。そのときに言われた言葉です。


お前、東大いけるで。なんで俺がそう思うのかは俺にも分からんけど、とにかく俺の野生の勘がそう言ってんねん。今のこの一年生の、この時期のお前の成績、全然東大に受かるヤツの成績じゃないけど、お前の何が俺にそう感じさせんのかも分からんけど、お前見てると感じんねん。なんか分からんけどそういうオーラがあんねん。俺が何年 東大、京大、慶応、早稲田行くヤツ見てきてると思ってんねん。俺が言うんやから間違いないから。決してこんなこと誰にでも言えることじゃないで、お前を勇気づけるためにお世辞言ってるわけじゃないで。みんなにこう言ってるわけじゃないで、お前だから言ってんねん。東大受かると思わんヤツにこんなこと言わんからな。ちょっと信じて勉強やってみ。死ぬ気で勉強してみ、うわ今日こんなにやったら明日死ぬかもなてくらいやってみ。世界変わるで。」



僕がいた高校は、毎年2人ほど東大に受かる人が出ます。学年でトップ5、あるいはトップ10くらいの成績をとる人が東大目指して頑張ってたと思うのですが、というかそういうもんだと思うのですが、当時の僕の成績は、一番良くて学年30番台で、西田先生からこの言葉を言われたときは90番台くらいまで下がっていて、教科によっては学年約320人中300番台のものもありました。夜遅くまで部活があり、睡眠を確保するために早めに寝るので、塾にも行ってなかったし学校の勉強が好きじゃなかったので宿題も適当にやってました。どんどん成績は下がっていく一方でした。学年で上位10人のうちに入ったこともなければ、追試や赤点にならなければ良いという感覚で定期テストや模試に臨んでいたくらいです。(三年の夏からはさすがに受験のため本気でやりましたが。)


そんな僕にこのような言葉を言うということは、ガチで言ってるんやなと。



「お前、東大いけるで。」


今でもその言葉は、頭の中のすぐ引っ張り出せる位置に置いてあります。


西田先生の言葉には力がありました。この人は本質が見えているな、高い人間性を持ってるなという信頼があった。常に本気で何かを伝えようとする人だからこそ僕の心に刺さったわけです。僕の感性に響いたわけです。

俺に出来るか、出来ないか。そんな思いになったときに、東大に受かる努力が出来る人であるということは大いな自信になります。

多分東大に受かるやつって、人間性が良ければ、遅かれ早かれ人生上手くいくでしょ。


少なくとも自分はそうであるという自信。その自信をくれたのは西田先生です。





まあ俺、東大行ってないけど。







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