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クリエイティブセンス


僕はここ3年間くらい、いろんな動画を作ってきたわけなんですが、動画に手を出し始めた当初からめっちゃムズイなって思ってることがあって、今もなお、動画を作る上でそれが一番ムズいと思ってるくらいなんですが、今回はそのことについて書こうと思います。


大きく2つあって、一つ目は絶望するほどに細かい調整をしなければいけない点。

要はめちゃ細かいところまで気を遣わないといけないんです。例えば、動画を一個全部一旦完成させた後に、「ここ0.1秒伸ばした方がよく見えるかもな、いや、やっぱ伸ばさなくて良いか。。。」みたいな細かい迷いが、永遠にまとわり付くんです。

「ここの部分ほんのちょっと明るくした方がいいかな、、、」(明るくした後、、)「いや元のままでいいかも」みたなやつとかですね。




こんな感じに、迷いながら所々を非常に細かい単位で修正を加えるわけです。どんなに短い動画でもこの作業で丸一日使いたいくらいに、細かい改善案がいちいち頭に浮かぶんですよ。



「ここのアングルほんの数度だけ上で撮ってたらベストだったなーーー」

「あと0.3秒くらい録画時間伸ばしてれば間がもっとよくなったのになーーー」

もう過去のことである撮影時の反省もこのときめちゃめちゃ出てきます。


だから撮影中は0.1秒たりとも気を抜けないんです。


たった0.1秒の、たった数ミリのカメラの手振れが、その素材をボツにさせることがあるわけです。撮影中も編集も、素人じゃ気づかないほんとに細かいところまで調整、集中しなきゃならんのです。


これが仕事に慣れても、ずっと気を張ってないといけないのでムズイわけです。






二つ目は、これがめちゃくちゃ重要だと思ってるのですが、「本当にそれでいいのか」を判断するセンスです。


例えば何かアイデアが浮かんだとして、他にこのアイデアを越す良いアイデアや、案はないのかと考えまくらないといけないということなんですね。


Aの案が一番適切だという確証を得るために、他の案は「違う」と自信を持てなければならないわけです。

だから制限時間が許す限り、出し切ったと思えるまでアイデアをブレストしていかなければばらない。で吟味して「うん、やっぱりAが一番良い」と確信をもてないと、そこから制作作業に入っていく動画への熱量が最大化されない。


日常の隙間時間もアイデア出しに使わないとやり切った気になれないというところが大変たる理由だと僕は思います。


そして、その「アイデア」というものをどう考えるのかということですが、「この表現が見る人にとって面白いのか」、「それは客観的に見てイケてると思えるものなのか」。ここを考えるのにもセンスがいるんですよね。。


動画を見る人たちが誰かを想像して、彼らにとっておもろいと思わせられるのか、というところですよね。


自分は面白いと思ってても、見た人からしたらさほど面白くないということはよくあると思います。的を外してるような感覚。


そこをきちんとなるべく正確に想像できるかは、人を見るセンスにかかってると思います。

「あいつはこういうやつだ」「あのひとは実はこういう性格だ」

といった洞察力はこれらを見抜くスピードと質に比例すると思ってます。



そのひとの感情と性格をリアルタイムで読み取る力があるから、何に心が動くかの予想もつく。


個人への予想ができると、集団の感情の予想もできる。

このレベルが高いと社会的な意思や感情の傾向も読み取れるようになる。


それに対するリテラシーが高い人の心まで響かせられたら本物だと思います。(例:どういうのがいい動画なのかを理解できる人を感動させられたら本物。お笑いセンスがある人までも笑わせられたら本物。小説家を唸らせるほどの機知に富んだ文章を書けたら本物。みたいなことです。)というか、少なくとも僕はそれが出来ない人にはなりたくない。



だから優秀な広告クリエイター(コピーライター、クリエイティブディレクター等)はこの、人の潜在的な感情を感じるスキルやセンスがあるから、社会に現象を起こしたり、群衆の心を掴む仕事ができるわけです。




僕もいちクリエイターとして、細かいところまで気遣わして頭を回転させ続ける胆力と感受性を豊かにして人のオーラを感じるセンスを磨かないとなと思いました。

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