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【自己紹介】習い事としての歌舞伎①

現在私は子ども向け英会話の講師をしています。
いわば、「習い事の先生」。

そんな私にも、「習い事の生徒」だった時期もある。しかも、たぶん習った種類はそこそこ多い。

・ピアノ
・エレクトーン
・ソルフェージュ
・水泳
・スキー
・絵画・工作教室
・7か国語(ヒッポファミリークラブ)

あ、書き出してみたら、多くはなかった。

その中でも、私史上ダントツに長く続き、しかも他にやってる人を見たことないランキングNO.1で言えば、圧倒的に「歌舞伎」である。

私は習い事として、歌舞伎役者をしていた。

私が小学校3年生の時、陶芸家をしている母がなぜか素人歌舞伎に参加するとのことで、一時期、歌舞伎のお稽古に通っていたことがある。
おそらく、地元の名士(市長や企業の社長さんなど)が歌舞伎の舞台に立ち、地域を盛り上げる、という趣旨だったのだと思う。母は人数が足りないからと頼まれて、嫌々出ていた記憶がある。

そんな母の稽古にちょくちょく顔を出していた私に、のちに恩師となる、”二代目・市川団四郎先生”が声をかけてくれた。ちょうど地元で「子供歌舞伎」を立ち上げ、自主公演をしようと思っているので、やってみないか、と。

関西弁で、普段はやさしいけど、お稽古ではめっちゃ怖い、そんな先生だった。

「なんかよくわかんないけど、人前で目立つの楽しそう。」

そんな思いから始めた歌舞伎。
公演前は23時までお稽古。眠くて眠くて、正座もつらい。原稿用紙2枚分もある長セリフを覚えたり、立ち回りを習ったり。

でも、結局、18歳の大学進学で地元を出るまで10年間所属し、自主公演や地方公演、他県の遠征公演にも出演させてもらった。私が卒業したあと、すぐにロンドン公演にも行ったとか。あともう一年いられれば私も行けたのに!後輩たちがとてもうらやましい。

歌舞伎といえば、歌舞伎役者の家系に生まれた人しか歌舞伎役者にはなれないのでは?そもそも、女性は歌舞伎役者にはなれないのでは?ですよね。

おそらくその通りです。でも、そこは地方の子供歌舞伎。陶芸家とコンビニオーナーの両親から生まれてようが、問題ナシ。むしろ、所属していた子たちの9割は女の子だった。

公演が決まり、演目が決まると、役が割り振られる。日本舞踊の経験があり、身のこなしがきれいな子たちは女形。
私は毎回男形だった。

よく、かっこいい人に「あの人は二枚目だねぇ」と言うけど、あれは、イケメンの役こなす役者さんの名前看板が、だいたい2枚目に掲示されるから。私はまさに「二枚目」だった。イケメンでも美人でもなかったけど。立場だけ。

駆け落ちする役、僧侶の役、子どもと別れる役、いじめる役、泣かせる役、笑わせる役、アクション、舞台上での鼓や習字のパフォーマンス。色々経験させてもらった。

歌舞伎の何が楽しいって、まずはダイレクトに観客のみなさんの熱が伝わるんですよね。

お客さんをいじると”どっ”と爆笑が、親子の今生の別れを演じればすすり泣く声が。
はっきり聞こえるし、熱で音で拍手で、感じるんです。あれは気持ちいいです。たまらんです。

そして何より、おひねりジャーン!です。
時には、お札が舞台上にひらひらひら~です。
小学生ながらに、これはすごい世界だぞ、と思ったな~。

しかも、たぶん当時は「お月謝」というシステムが子供歌舞伎になかったと記憶している。自主公演のチケットに多少協賛したりはしてたと思うけど、お稽古に対する「お月謝」はない。衣装代も、教材費もない。で、おひねりはみんなで分け合えって頂ける。習い事でお小遣い稼ぎが出来るとは!

一度だけ、「私、歌舞伎じゃなくてバレエがやりたい!」と母に訴えたことがあったが、その時は母に「お月謝も衣装代もかかるし、おひねりももらえないけどいいの?」と説得された記憶があります。母が熱心に歌舞伎を応援してくれたのは、経済的な理由があるかもな、と、今母という立場になり、思う。

長くなったので、次回に続きますね。
次は、習い事としての「歌舞伎」、その栄光と苦悩。

「習い事」のメリットとデメリットについて書きたいと思います。









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