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上野千鶴子さんの祝辞、共感と、違和感。

上野千鶴子さんの “刺激的な” 東京大学入学式における祝辞から、2ヶ月ほど経った。
Twitter、facebookといったSNS から、webニュースでも、話題になり
いいね!やシェアも多かった。
ただ、話題になり多くの人の目に触れたにも関わらず、そこから深い議論になることはなく過ぎたのではないか。
「よく言ってくれた!ほんとそう!!新しい時代はこうあるべきって私も思ってた!!」
みたいな共感や、賞賛の一方、
そのために社会は、会社や教育は、一個人として、他者にどう関わればいいのか、といった具体的な話になったことは、きいていない。
それに、式辞を受け止めた東大の1年生は、どう思ったのだろう、今はどう思っているのだろう、何か行動に移しているだろうか。

私は初めて祝辞を目にした時、
自分が興味あるジェンダーや、社会の男女不平等の問題、大学院で学んでいた時に感じた学問とはなにかという問い、といった
いろいろな要素がとりこまれていたため
混乱し、内容にしっかり向き合うことができなかった。

でも、自分がこの祝辞の何に共感し、感動し、何に嫌な感覚を覚え、何に戸惑ったのか、と
まとめてみることは、女性の健康の専門家になりたいと考える自分にとって大事なのではないかと思った。

だから、改めて、上野千鶴子さんの式辞を読み、要点を感想とともに、まとめてみることにした。

内容の順番で、まとめてみたい。まず、
①男子学生と比べた女子学生の置かれている現実について
女子には男子にはない、“女の子”の価値と、学力のねじれがある。
女の子の価値、とは、“かわいい”であり、そのかわいいの価値は、
愛される、選ばれる、守ってもらえる、つまり、相手を絶対に脅かさない、という保証だという。
ねじれは確実にあるのに、それをないかのように男女平等をうたう。
日本社会の男女は、タテマエ平等だと、上野先生ははっきり述べた。

★この部分への感想。
冒頭は、思い切り男子学生への皮肉を飛ばしている気がする。
成績が良い女の子は、かわいくないのか?
それは相手を脅かさない、という保証ではないとしたら説明がつくのかもしれない。
女の子だからどうせ勉強頑張っても意味ない、と、なんとなく女子が感じてしまうこと、それを“意欲の冷却効果”というらしい。
頑張っても意味ない、は、勉強できる女の子はかわいくないから?
かわいくないことは、女の子としての価値はないのか?
また悶々と考えされられてしまう。
この、たぶん、当たり前にあって、女性としての自分が嫌だ、不快だ、と感じてきた感覚を言語化してくれたことに、私はとても感動した。

②女性学のパイオニアとしての経歴
次に、大学へ入学した若者に対して、学問とはなにか、という話に少しずつ移っていく。
上野先生は、好奇心と社会の不公平への怒りを持って、今まで日本になかった女性学を積み上げてきた、という。
女性学はベンチャーだったといい、女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が、時代の変化とともに生まれてきたという。

★この部分への感想。
新しい学問を生み出す、知を創造することを、“ベンチャー”と表現するところは、今の若者にとってわかりやすいと思った。
でも、女性はこんなに不平等なんだ!という①からの流れとしては、ちょっと強引に思えた。
ただ、好奇心や意欲、怒りを感じたなら、そのとき先行研究としてわかってることがないのなら、それで諦めるのではなく、これは何故?と突き詰めることが、大事ということには、
私が大学院で学んだ経験から、それが日本の一般的な教育に足りないじゃないかなぁと問題意識していたことと繋がると思った。

③恵まれた環境にあったからこそ、皆さんは東京大学に入学している
東京大学は変化と多様性に拓かれた大学で、選抜された皆さんに、4年間すばらしい教育学習環境がある。

ただ、ここまで、がんばれば報われる、と思ってここまで来たとしても、がんばってもそれが公正に報われない社会が現実にある。

入学できた皆さんが、がんばったら報われるとあなたがたが思えることは、あなたがたの努力の成果ではなく、励まし、評価し、支えてくれる環境があったおかげだったこと忘れないように。

★この部分への感想。
自分がすごいんだ、と過信しないで、ここまでがんばれたのは環境のおかげだから、と、入学式の場で言うのはすごーく勇気のあることだとびっくりした。
がんばって入学した!と誇らしい学生と家族に、水を差す内容だと思う。

でも、このくらい鼻をへし折るじゃないけど、誇らしさとともに、謙虚な気持ちを、優秀な、力のある、若者にもっていてもらいたい、というメッセージなのだとしたら、

東大の入学式で話す意味のある内容だったと思う。

環境に恵まれ、優秀で、東大に入った若者にだからこそ、持っててもらいたい意識。

でも、少しだけ表現が曖昧な気もした。
この前の部分で、社会における女性の不平等を話しているから、

東大に入る優秀な学生は、何に対して、どう謙虚であればいいのか、どんな環境に感謝すればいいのか、がんばりが報われないとはどういうことか、その人たちに何が求められているのか、

どうしたらいいのか、がちょっとわからなくて困惑する。もしかすると、じゃあどうしたらいいの?を考えさせることが、一つ思惑なのかもしれないけど。

④自分の力を、自分が勝ち抜くためだけに使わないで
ここは、そのまま引用したいと思う。

★この部分への感想。
これまで受験戦争のなかでがんばってきた人に対して、勝ち抜くために使わないで、は大事なメッセージだと共感した。
でも、“恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください”という表現には、違和感を覚えた。
なんだか、上から目線。

そのあとに“強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください”、とつづけてはいるけれど、
支え合う人は、どんな人か、もしそれが、自分と同じ環境の、恵まれた、同じ価値観の人同士だけだとしたら、
それはそれで良いの?
例えばそれは、かわいいと学問のねじれで戸惑う女性ともともに、なのか。
弱者、は、言い方がちょっと嫌味だけど、かわいいの価値だけを良しとする女の子も含むのか。
最後はフェミニズムにつなげているところは、文で読んでも私にはわかりにくい。
弱者が弱者のまま尊重される必要、というけれど、強者弱者という表現が、そもそも、東大の学生を、強者とくくってはいないのか。

④変化と多様性にもまれ、新しい知を生み出すことが、東京大学で学ぶ価値
祝辞の最後の部分。
予測不能で、正解のない問いに満ちた世界で、
大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることであり、それが大学の使命である、と締めている。

★この部分への感想。
本当の学問、大学で得るべき知識技術は、
ただ学んだことを受身に吸収するだけではなく、それをもとに新しい知を生み出すこと。
東大に入学した優秀な人たちだからこそ、自分のためではなく、社会のために考えて取り組んでほしいこと。
この部分は、ほんとうに共感した。
これは東大だけではなく、学ぶ場全てに当てはまると思う。
このように言葉にして伝えてもらうことで、興味や活動も漫然としたまま、なんとなく時間を過ごすのではない“価値”が、明確なメッセージとして届いたらいいなと思う。
今あるものを知り、ないものに気づき、新しく調べ、明らかにし、既存の学問とつなげて発展させていく。私は大学、大学院と学ぶ中で感じ、理解してきたことを、入学の時に気付けるのはとても、それこそ、恵まれたことだと思う。

こうして、改めて全体を読んでみて、
祝辞の内容は、入試での女子への減点などの社会における男女不平等に触れただけではなく、
東大という選ばれた優秀な人が入る学問の場で学ぶ価値、意義、心意気、を
述べていたんだな、と感じた。

そのために、これから無意識でも意識的にでもぶつかるであろうタテマエ平等社会の理不尽さがあること、環境に恵まれず意欲を削がれ、がんばる機会がない人もいること、すでにある知識ではなく自分が疑問に思ったり好奇心を抱く問題に多面的に取り組んでほしいこと、そのために多くの人と支え合ってほしいこと、を述べていたのだと思った。

ただ、抱いた違和感は
最初にセンセーショナルに、ジェンダー問題に触れながら
タテマエ平等社会のなかで、学生として、自分と価値観、環境、立場が違う人とどう関わればいいのか、もしかすると意識の中で自分より弱い、下だ、と感じることがあるとしたら、その感覚とどう向き合えばいいのか、
具体的にどうしたらいいのか、話にはでてこない。
女性に立ちはだかる、ねじれの価値は、どう解消されていったらいいのだろう?

その問題は、問題提起されただけで、宙ぶらりんだ。
でも、問題提起があっただけでも、大学1年生にはカウンターパンチだっただろうか。

女子へのかわいい、と、学力のねじれの価値。
かわいいだけではなく、恋愛や結婚も。
学力だけではなく、就職やキャリアも。妊娠、出産、育児も。
いろんなねじれが、女子にはあると思う。

このもやもやを自分なりに理解したくて、どうしたらいいのか整理したくて、
そのとき出会って、タイトルが気になり、1冊読んでみた。
千葉敦子さん『寄りかかっては生きられない』

1989年と30年!も前の本だ。
30年前だから、男女の関係も、結婚してからの夫婦生活についての内容が多い。
でも、あやふやに誤魔化される、日本社会への鋭い指摘と、提案が、書かれていて、
なんだ、今も変わらない話じゃないか、と思うところが、とても多かった。

次は、『寄りかかっては生きられない』の感想をまとめてみたいと思う。
これは、上野千鶴子さんの式辞からうけた衝撃を、私なりに自分の中に落とし込む作業にもなった。

参考
平成31年度東京大学学部入学式 祝辞
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
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