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オニババになりたくない #読書記録

オニババ化する女たち、という
割とショックなタイトルのこの本は
読むと、大切な人に会いたくなり、父や母と話をしたくなり、今目の前にある“やらなくてはならないこと”を一度忘れ、私今この歳でなにをしてるのかな?とふと考えさせられるような本だ。

オニババ化する女たち-女性の身体性を取り戻す- 三砂ちづる

この本でいう“オニババ”は
もちろん日本昔話にでてくるオニババだ。

画像(http://d.hatena.ne.jp/tetsu205/touch/20100216)

著者は、オニババという女性の存在は、社会での役割を失い、自分の中の女性としての心と体のエネルギーの行き先を失い、他者への攻撃という形でしか発散できない存在だという。

**今の近代社会は、女性が自分のからだに向き合う方法が、医療管理のなかに組み込まれ、
月経や妊娠、出産、育児といった女性特有の経験を、本人が望むように、希望をもって、得られていないようにみえ、
女性のなかにあるエネルギーが行き場を失い、新たなオニババを生み出しているのではないか?というのが、著者の問いかけだ。 **

この本の帯は下のような文でまとめられている。
『多くの女性は今、あまり意識していないと思いますが、女として生まれてきたのですから、女としての性を生きたい、という、からだの意思があります。
その意思を無視していると、あちこちに弊害が出てくるのではないでしょうか。
女性のからだの持つエネルギーを過小評価しないほうがよいと思います。
女性は子どもを産み、次の世代を継いでいく力を持った存在で、生物としてはそれを目的に生まれてきているわけですから、その力を使わずにいると、多くのエネルギーが行き場を失ってしまうことでしょう。
また、たとえ性経験や出産経験が豊富にあっても、それが本当にからだに向き合うような経験になっていないと、そのようなエネルギーは本当に満たされたとは言えないのです。
女性のからだについて、思春期、月経、性、出産という、もっとも本質的なことについて、再考してみたいと思います。』

これだけを読んでしまうと、なんかスピリチュアルな話だな、みんなに当てはまるの?🤔
からだの意思ってなに?🤔
女性のからだのもつエネルギーってなに?🤔
結局なにをしたらいいの?🤔
と、ぼんやりとした思いになるかもしれない。

それこそが、おそらく、著者が指摘していることで、
今の時代は、女性がどんなふうに自分の体に向き合い、自分の体を大切にして、自然に望むように生きられるか、ということを
自然に望むように、とはそもそもなにか、とか
自然に望むように、とするために、どんなふうにしたらいいのか、とかを
きちんと教えられたり、伝えられたりされていないかもしれないよ、ということなのだ。

出産に注目すると、今の時代、約98%が病院やクリニックといった施設のなかで出産する。
でも、戦後間もない頃は自宅分娩は当たり前だった。
『もともとお産は、世界のどこでも、地域の中で行われていました。女性は自分の地域で文化的・社会的に守られて、その文脈の中で子どもを産んでいたのです。危ないことももちろんあったとは思いますが、少なくとも、その地域の産婆さんがいたり、知恵のある地域の女性がいたりして、それらの人々の解除を受けたり、あるいはいろいろ教えられてひとりで産んだりといったお産を、していたわけです。』

昔日本には月経小屋という場所があって、生理中の女性はそこに隔離された、という話がある。
でも、そんなときに女性だけで集まり、表では隠すべきこととして話せないようなお産の経験とかが伝えられていたのかな、と考えたりする。
今から考えると、非合理だったり、宗教的だったり、差別だったり、しきたりに縛られているようにみえることも、
ある社会の文脈のなかで、意味があり、守られて、伝えられてきたことがあったのだろう。

**1990年代生まれの私には、
そんな風に伝えられてきたもの、私が伝えるべきことがある、とは思えない。
学校で性教育もうけているし、産婦人科に受診した経験もある。
母とはお産の話とか、生理のつらさとか、よく話をするほうだと思うけれど、
自分は、次の世代になにを伝えたらいいのかわからない、なにが次の世代が生きやすくなるような支えになるのか、よくわからない。
そもそも、そんな役割があるのか、そんな責任を感じてなにをするべきなのか、わからない。 **

たぶん、このままなにもわからないまま、過ぎてしまうことが、
著者のいうオニババなのだと思う。

**体の仕組みから、女性しか子どもを産むことはできない。
子どもを産み育てることは、次の世代を育てることで。
当たり前だけど。
当たり前だからこそ、自分たちで、自分たちのからだのことを考え、守らなくてはなくてはならないのかもしれない。
適切な言い方ではないもしれないけれど、
女性が子どもを産める期間は、人生で限られている。
生殖可能年齢といわれる月経がある期間だけだ。
そのときをどう生きる?どう向き合う?
女性は産まなくてはならない、と言いたいわけではない。どんな選択をしてもいい。選択がうまくできず、運命に任せられるときもあるかもしれない。
でも、その選択は、ほんとうに自分が望み、自分のからだと向き合って決められたことなのか、ということは大切な気がする。 **

**上の世代から次の世代へ系統的に伝えられる知恵、知識がないこと、
めまぐるしく変わる社会のなかで、いらない、と伝えられなかったことは、
産まれて老いて死ぬという、命のつながりのなかで、
自分がどの場所にいるのか、わからなくなるような、漠然とした不安を生み出す、
と著者はいう。 **

『子供がいる場合はわかりやすいのですが、子供がいなかったとしても、地域の子供、あるいはつぎの世代全般に対して、自分たちの責任について伝承していくということが家族の機能だったと思うのです。今は伝えるもの自体がない、伝えるという意識自体がない、というつらさが、それぞれの世代にあるのではないでしょうか。』
そんなふうに著者は問いかける。

子どもがいなったとしても、地域の子供、あるいはつぎの世代全般に対して、ということを
ナナメの存在、と表現している。

自分は次になにかを伝えていく存在で
それが自分の経験、今生きてるからだに基づく知恵で、支えで、
そうやって過ぎていく次の世代に、伝承していくものがあるのは、大きな喜びなんじゃないの?というのだ。

でも、女性の生き方も多様になり、たくさんの選択があり、
なにが正しいか、なにを選ぶか、も人それぞれで、
そして結局のところ、
『一人ひとりが本当に自分のからだの中心を持って、自分のからだを大事にして、セクシャルな相手を大切にして、子どもを育てることをいとおしむようになったら...そういうことができるような近代産業社会というのが、どんなふうに存在するのか、というのが、私たちはまだわかっていないのです。』
と、著者はしめくくる。

まだ、わからないから
新しいかたちを、今の世代がつくらないといけない。
どんなかたちで、どんなふうに、私たちは人が産まれ育てられる“生物として自然な”生き方を守れるのだろう。
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