見出し画像

自然出産、不自然出産? #読書記録

お産は、はるか昔から人類とともにあった自然な、人生の出来事であり、病気ではない?
でも、病院で治療してもらうなら、病気?疾患?
病気とまではいわないけど、医療にみてもらうべき、管理してもらうべきもの?
じゃあ、妊娠した本人である女性は、患者?
“自然な”妊娠経過、お産、ってなに?

私が最近、もやもやと考える課題だ。
最近は無痛分娩の話題や、自宅分娩を希望する女性など、テレビやニュースでとりあげられるのをみると、なにが正しいのかと、心が揺さぶられる。

そんなとき、アメリカのお産の歴史を知りたい、と思い、手にとった本。

『出産革命のヒロインたち
アメリカのお産が変わったとき』
マーゴット・エドワーズ/メアリー・ウォルドルフ著 河合蘭訳 1997年初版

本文そのままの引用は『』で示す(やや、強い表現も含まれている)。
妊娠出産、産婦人科医療についての専門的な言葉も多いが、なるべく平易にまとめたいと思う。

---------------------
第1章のテーマは自然出産と不自然出産だ。
不自然出産、とはまた誤解を生みそうな表現だと思う。
不自然出産、という言葉に定義はつけられていないが、この章では無痛分娩、つまり麻酔を用いて痛みを取り除いたり、
医師が主導のもと、母と子に良いと考える医療介入が行われ、
はやく、母も子も苦しむ時間が少なくなるよう、妊婦ではなく、他者の意思のもと進むお産のことを指すと思う。

ただ、この自然か不自然かといった論には、この章において、

陣痛の痛み、をどう捉えるかどう向き合うか、が大きな焦点となっている。

1930年代から、アメリカの病院では、麻酔を用いた無痛分娩は都市部で盛んに行われていたようだ。
それをたくさんの女性は
『自分の母親を苦しめた産痛からの開放は、現代的で自立した女性の1条件』と歓迎したという。
医師らは、お産に伴う苦痛の表情や傷をみ、それは病的ととらえ、『出産は専門家の技術が必要とされる病理学的できごと』とし、麻酔も含め、介入の必要性を考えた。
Times やNationといった雑誌では『文明が、妊婦にしてあげられるせめてものことといえば、文明の性である産痛を緩和してあげることだろう』というような文章をかいている。

このような無痛分娩を歓迎した人々が拒否し、批判したのは、
『女性が痛みに苦しむ大きな理由は、恐怖でいっぱいになっているから』と述べた女医ガートルード・ニールセンや
『緊張が恐怖を作り、緊張が痛みを作り出す』『出産の痛みの大部分は、緊張、恐怖、正しい知識の不足によるため』と述べた医師グランドリー・ディック・リードだった。
リード医師は、のちに恐怖や緊張を和らげることで、痛みを和らげる、有名なリード法という助産師のケアの方法のもとの理論となる。ただ、この時期には他の産婦人科医にも非難され、診療をやめさせられ、地位を失うほど、認められなかったという。

つまり、陣痛の痛み、それ以外も出産に伴う傷や苦しみを、文明の進化のもと、他者による助けでなくす、という客観の介入が受け入れられ、

**それを“妊婦の恐怖心”とか、“妊婦の知識”といった、妊婦主体の課題になることに、拒否があったのではないだろうか。 **

妊婦主体の課題は、目に見えない心や考えである一方、客観的な医療は目に見え誰にでもわかる介入ともいえる。
目に見えないものを変えたり、支えたり、治療することは難しく、個別性もあり、時間がかかることだ。

そして、この時期はまだ、麻酔分娩や鉗子分娩といった医療による副作用や、母や子への良いだけではない影響については、まだあまり調べられていなかったようだ。

痛みは恐怖からうまれることを述べた女医ニールセンは、批判者にこう反論した。
『鎮痛剤で苦痛を緩和する技術の進歩がわからないわけではありません。しかし、努力は、別の方向にも向けられるべきと主張したいのです。きちんとした産前教育、適切な産科的管理などによって、文明の有害な影響を相殺する努力です。』
文明の有害な影響を相殺する努力、という表現は理解が難しいが、
私が習ってきた言葉で変えることができるとするのであれば、
“専門家は、女性が本来もつ力を引きだすようなケア、保健指導、知識を提供し、異常と正常をみきわめ医療を行い、女性が主体となるお産を支える”
という意味であると思う。

この章の最後は、アメリカで初めて、妊婦に対して出産準備教室を行った看護師マーガレット・ガンパーの活躍を紹介する。
彼女は、リード医師の本と自身の出産体験に影響をうけ、痛みの緩和方法や、お産の進みなどを事前に妊婦に教育することは大切としていた。
『医療介入については、明らかに正当な医学的理由がない限り、誰もあなたに大切な目標をあきらめさせたり、弱気にさせたりするべきではありません』と、妊婦に行動と自立を伝えている。
彼女はきちんと医師への敬意を示し、そして医学的介入が必要な妊婦がいることも理解し、活動をしていたという。

陣痛の痛み、が焦点となるとき
たしかに痛みはなくなり、少なくなるほうが良いに決まっている。
私も、お産の実習をしてきたからこそ、耐え難い痛みに体を固くし表情を歪める妊婦さんを何人もみてきて、陣痛は怖い、と思う。
ただ、陣痛の苦しみを乗り越える方法は、麻酔だけ!と言い切ることはできない、と思う...
これ以上、私も今は考えをまとめられない。

1950年代以降のアメリカのお産について、次の章からも読み進めていきたい。

#妊娠 #出産 #お産 #育児 #母 #アメリカ #無痛分娩 #和痛分娩 #麻酔 #歴史 #助産師 #助産 #産科 #産科医療 #分娩 #ケア #陣痛 #痛み #自然分娩 #読書 #読書記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?