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免許返納をするかどうか / 父との記録DAY6

年始のnoteからすっかり時間が経ってしまった。
なぜならば父が、「危篤の人」から、今はわりと「病気のある普通の人」になってきて、話題がなくなったからだ。笑

前回は父が一時帰宅になることで思うことを書いた。


年末に死の淵をさまよった父が、すぐに起き上がれるようになり、あっという間に退院になった。

そしてすでに、退院から何週間も経っている、本日。
我が家には弟がまた帰ってきて、父も揃ってすき焼き&しゃぶしゃぶを食べる風景があった。

・・・
すき焼きとしゃぶしゃぶ、どっちかでよくないですか?

弟はすき焼きが多分好きだろう、姉(私)は胃もたれがあるから同じ肉でもしゃぶしゃぶのほうがいいだろう、という、妹と母の配慮のもと、なぜかダブルで用意された。
謎の豪華さ。。

そういう、食に対して前のめりな我が家が好きだ。
いちいち食卓が賑やかになる。
母が畑をやっていて、作った野菜もいっぱい。
ネギや水菜、大根にんじん…。
豊かだ。

父は、といえば、退院してから体調は上下しつつもどうにか過ごせているようだ。
酸素吸入をしてはいるが、以前より呼吸は苦しくないらしい。
それよりも腎臓や腸の状態が悪いようで、排尿、排便に難がある。
そのせいでお出かけがままならない。
薬でコントロールできるばかりでもなく、1日おしっこが出ない、とかもあるらしい。
そうすると、当たり前だけどとてもしんどいようだ。


少し前、父が過ごしやすいようにと、実家の一部はちょっと改装されていた。
リビングの南側、軒下の部分いっぱいに部屋を増築してガラス張りにし、サンルームのようなあったかい場所ができた。
日中、父はそこで椅子に座ってYouTubeなどを見ている。
ポカポカして最高に気持ち良い場所。

その横、リビングの真ん中には、病院で使うような背中を起こせるベッドが設置されている。
リビングの半分を使ってしまうけど、父の行き来がそこで済むので便利そうだ。

トイレも車椅子でも行けるように引き戸に変えたり、玄関先などいろんな場所にスロープもある。
家は快適に仕上げられた。
田舎の広い家のほとんどの機能が中心に集まっているのも、とても合理的で気持ちいい。

父は、出かけたい気持ちはあるけれど、やはり体が追いつかないのと、急にトイレに行きたくなっても車椅子で入れるか?ゆっくりできるか?など心配が色々あり、なかなか出かけられない。
それでも、退院してから何度かお昼ご飯に出かけているようだ。

そんな父が大切にしている車がある。
数年前に買って、ほとんど乗らずに(乗れずに)置いてある、ホンダのS660というスポーツカータイプの軽だ。


本当は今日、弟がこれを運転して、助手席に父が乗って、出かけられたらいいな〜と思って計画を立てていた。
二人乗りなので私は乗れないのだけど、父に何かあった時のために後ろから私と母が別の車でついていく、というところまで想定していた。
でも案の定、体調がすぐれず行けなかった、残念。

父が自分でこの車を運転することはもうないだろうな、と思う。
今はまだ免許の返納はしていないけれど、本人としては自分で運転できるとは思ってない様子。

前日、弟と免許の返納を促した方がいいか否か問題で話をしていて、弟はとにかく返納させたい、事故する前に阻止したい、という感じだったが、私は父の様子を見ているとそれは言えないなあと思った。
もちろん、判断能力も運動能力も鈍ってるのにまだまだ運転するぞ!と、本人がやる気なら反対していたかもしれないが、実際は弱っていて、運転する気はまるでなさそうだ。
それなのにあえて免許を返納させてしまうことが良いのか…?と。

車がそこそこ好きで、いまだにスポーツカーに乗りたいと夢を語っているくらいの父。
特にS660は大事にしていて、全然乗っていないといっても知らない人には貸したくないという。(もしかしたら売りたくもないのかもしれない。)
そして繊細でプライドが高い父。
そんな本人の意思とは無関係に、免許を手放させてしまうのはどうなんだろうか。

何に関しても、できれば本人の意思を大事にできたらいいなと思う。
とても危険とか、人に被害が及ぶみたいなことでなければ。


尊厳を守ることと、それによって実際に起こり得る可能性のあることのバランスは難しいなあと思った。
でも父は判断できないわけじゃない。判断して、今の状態がある。

自分もできれば、自分の人生は自分の選択により決められる方がいいなと思っている。
それはただの理想なんだろうか。

父のこれからを、自分の未来と重ね合わせてみる。
いろんな練習をしている。


自分が楽しいことをしてたらうっかり周りも楽しくならないかな?という気持ちで活動しています。応援してもらえるととても嬉しいです!