素敵なお店と、本当に行きたいお店の違いをぼんやりと考える
ここ数ヶ月、毎週のように「カロトギフ」というカフェに行っている。
休みのたびに夫か私かどちらともなく「カロト行こっか〜」と言い出して、ランチに行く。
だいたいお昼のピークを過ぎた13時半頃。
(それでも満席で入れないこともある)
このお店は古民家を店主たちが自ら改装したカフェで、窓から気持ちの良い風が通り、友達の家に遊びに来たような安心感がある。
田んぼを抜けてたどり着くと、裏山に薪が積んであるのが見える。
季節に合わせて花が咲き木が茂り、草も生えてるけどそれが雑然としているようで要所要所整っている気配もする。
夏はエアコンもなく、扇風機が何台か稼働しているだけで、ぬるい風を受けながらキッシュランチを食べる。
暑い。
でもなぜか嫌な気が全くしない。
暑い。
なのに心地よい。
なんでこんなに毎週来たくなるんだろうと思うと、この「田舎の友達の家でエアコンついてないけど適当に休んでって」みたいな雰囲気が、実は「非日常」だからリラックスできるのかもしれないとふと思った。
今の自分たちの暮らしはパソコンとスマホを両手に持ち、店では小綺麗にして小綺麗なものを販売し、家も新しくシンプルでエアコンももちろんあるし余計なものは何もない。
お店では仕事モードだし、家でも手元にスマホやパソコンがあるとすぐにON状態になってしまう。
ONの状態が長いのが日常である自分は、「田舎の友達んち」の方が完全に非日常であり、非日常ということはOFFということだ。
心から休めるということだ。
知らず知らずのうちに、本能的に、「休めそうなところ」に足が向いているのだろうと気づいた。
すっぴんでも気にならない、おしゃべり好きな店主とくだらない話をして笑って、適当に帰る。
気楽だ。
休むサイクルと同じように、毎週行くのがちょうどいい、「行きたいお店」だ。
世の中にはたくさんのお店があり、カフェだけでも様々だ。
インテリアにきちんとお金をかけて隙のない洗練されたお洒落なカフェ。
Wi-Fiやコンセントも自由に使えるビジネスライクな今時のカフェ。
テイクアウトもイートインもできるカジュアルなスタイルのカフェ。
仄暗くて趣のある昔ながらの喫茶店のようなカフェ。
丁寧に淹れられたコーヒーや紅茶など、メニューにこだわりのあるカフェ。
いろんなカフェがあって、どれもそれぞれ魅力がある。
素敵だな〜と思うカフェもたくさんあるのだけど、、、なぜか行きたいと思うお店は限られてくる。
「あのカフェ素敵ですよ」とうちのお客様に紹介することはよくあるけど、はて、自分はそんな素敵なカフェとやらにどれだけ行ったことがあるのだろう?と疑問に思ったりもする。
「素敵なカフェ」を頭に思い浮かべるとき、その多くは「洗練されていて」「おしゃれで」「こだわりがある」お店が多いように思う。
だけど実際に足を運んでいるのは、カロトギフのように「洗練されているとはニュアンスが違うけどある意味オシャレではある、けどこだわりはあるようでそんなになさそう・・・エアコンないし暑い・・・」みたいな曖昧な印象のお店だ。
不思議だ。
もちろん、洗練されたオシャレなカフェによく行く人もいるだろう。
ただ、自分はこうだ、というだけの話。
結局は「抜け感」とか「ゆるさ」とか「ツッコミどころのある感じ」とかが、「抜け目ナシ」「きちんと締める」「隙のない」ON状態から解放してくれるポイントなんだろう。
自分でカフェをやるなら・・・・
洗練された空間に憧れがあるから、美しく、きちんとこだわりポイントを作って、戦略的に構築しそうな気がしてしまうけど、、、
実際に行きたいカフェは「抜けててゆるくてツッコミどころがある」場所なんだ。
憧れと、現実、その矛盾。
素敵なお店と、本当に行きたいお店の違い。
その違いを実感してしまった私がこれからできることはなんだろうな。
結論のない話だけど、こうしてメモしておこう。
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