見出し画像

きれいになりたい気がしてきた

きれいになりたい気がしてきた
ジェーン・スー

・己の特性を把握し、なるべく自分が嫌いにならずに済む方法を選択できるようになったのは、年の功以外のなにものでもありません。

・面倒くさいとわからないに飲み込まれると、社会的に死にかねない。

・その前の十年では決して手に入らなかったものを手中に収めてはみたものの、現実は地道な作業の連続だった……なんてこと、あるのでは?でも、それでいいんだと思います。
我々はこの「地道な十年」で、精神的な足腰を鍛えまくったわけですよ。ちょっとやそっとじゃ吹き飛ばされぬ地金が手に入ったんです。

・聡明なみなさんは、「私はまだまだ若く美しい。たとえ若くなかったとしても、美しい」と自分を肯定する強さをお持ちだと思います。これって素晴らしいこと。紛れもなく、私たちが私たちの力で手に入れたパワーです。他人に気に入られるために無理をするよりも、自分で自分を気に入る方が何倍も幸せだと、乙女たちに早く気づいてもらわなきゃ。

・「他者の存在は、はみ出しそうになったりあきらめそうになったりしたときの抑止力になる」と言った人もいました。
ひとりだったら「もういっか!」となってしまうことも、誰かが居ればまたひと頑張りできる。そういう存在が重荷に感じられることもあるけれど、自分のためだけに生きるのも苦しいですしね。

・世に腹の立つことは数あれど、私にとっては、誰かにナメられることほど、じわじわと悔しい気持ちになることはありません。そもそも女ってだけでナメられる場面はたくさんあります。
「私が男だったら、こうじゃなかっただろうなぁ」ってこと、いままでありませんでした?

・あふれんばかりの熱量と愛情は、時に相手への尊重を凌駕します。そして、勝手に裏切られらような気持ちになる。

・結局なにごともアップデートを怠り「当たり前」を刷新せずにいると、時代の変化にも自分の変化にも気付けず、ただの変化を恐れる女になり下がってしまうのでしょうね。
それって、私が忌み嫌う、一部の旧態依然としたオッサンと同じではないか。おー怖い。

・やはり周囲のために自分の夢をあきらめ多大な自己犠牲を払った人は、他社にも同じ犠牲を要求するようになるからよろしくないな。

・「誰に遠慮して生きてんだ、私は」って。それすごくわかる。ギラギラ社長は強烈だったけれど、自分の理想や欲望に正直で、誰にも遠慮なんてしていなかった。

・自分より立場の弱い人をモノのように扱うのは、連中が調子に乗っているからだけでなく、傷ついてもいるからです。
秘かに傷ついているから、弱者の足を踏んでまで、自分は強いのだと錯覚したくなるのです。

・自分が傷ついてることを受容できる人は、他人の痛みもわかる人。自分と他人の痛みがわかる人は、誰よりも強い人。私はそういう人でありたい。

・バリエーションが横に広がるのは多様性、上下に開くのは格差。

・SATCおよびサマンサ姐さんから学んだこと。
一、他者を自分の思い通りに動かすことはできない。
二、よって、他者とかかわる自分の人生を思い通りにすることは難しい。
三、だからこそ、自分で考え自分で決めることが何より大切。
四、すなわち、他者の決断を尊重することも重要。
彼女の言葉には「あなたや社会に私のことをジャッジさせない」ってのもあったな。
ありたい自分の基準を他者にゆだねないと肝に銘じ、日々を紡いでいきたい。

・私の考える「普通」や「美しさ」なんで所詮、メディアという外圧から植え付けられた偶像だったのでしょう。

・不幸な状態に陥っていると感じたら、愛があろうが情があろうが、できるだけ早くそこから自分を逃がしてあげること。これだけが、私の私に対する責務です。

・なんでも自力でできることが、すべてに勝るほど尊いとも思えない。人に頼るのって難しいけれど、自分に無理をさせるよりはずっと健康的だと思います。
助けることばかりが大人のたしなみとされるけれど、誰にだって助けが必要なときはあるはずです。人の手を借りることに罪悪感を持たず、気前よく助けたり、助けられたりながら、健やかに生きていきたいものです。

・正解はひとつではないと、歳を重ねるごとに学んだから。加齢、最高だ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?