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和歌山の⚪︎⚪︎に行つてきた WestExpress銀河編

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。

 来年の手帳を買ふ時期になりました。ビジネスパーソンの多くが、慣れたものであつたり、来年は違ふのを使はうと決めたりしるのではないでせうか。LOFTなどの文具コーナーには、魅力的な手帳がたくさんありますね。
 私、実は愛用してゐた野帳を手放しました。といふより、壊れてしまつたので、捨てました。

 読者のみなさまは如何でせう。
 もう購入された方、はたまた手帳を断捨離された方、様々でせう。

 ここまで枕。

紀州鉄道乗り潰し

 前回のパンダくろしお編🐼の続きになります。今回も相変はらず内容盛り沢山です。長いです。一万文字超えてます。

 どうか、最後までお付き合ひください。最後まで読むと、良いことが起こります。たぶん。

ホテルから見た和歌の浦

 昨夜は、紀三井寺駅近くのホテルに泊まりました。

温泉入り口

 温泉の大浴場にはサウナもあり、くさまくらの旅の疲れが癒やされました。

 温泉は鉱泉をあたためたもので、pH値は7.0。アルカリ性です。心なしか、愛用のアーユルヴェーダ石鹸の泡立ちがよかつたやうに感じました。

 翌朝。

 部屋の窓から外を見てみると、よく晴れてゐます。そして、かなたに和歌の浦と思しき海が見えます。

かなたに和歌の浦

 山部赤人の歌が思ひ出されます。

 和歌の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (『万葉集』巻六・九一九)

 この歌の「潟を無み」は後の時代に「片男波」と解釈されます。片男波部屋の名前の由来でもあります。

和歌山市のポスター

 部屋にあつたアンケートに答へたら、粗品をいただきました。

いただいたメモ帳。職場で活用してゐます。

 可愛いメモ帳です。

御坊駅へ

 ホテルを出て、駅に行く途中、涼しさを通り越して少し寒いくらゐです。いよいよ秋らしくなつてきましたね。

 紀三井寺駅に着くと、

 「和歌山駅で列車の安全確認のため、列車に遅れが生じます」

と放送が入ります。安全確認を生じさせる事態を起こす人つて何者なんでせう。

紀三井寺駅

 駅の南東には、紀三井寺こと金剛宝寺が見えます。

名草山

 そして、このあたりが『万葉集』に詠まれた名草山です。

 名草山 言にしありけり 我が恋ふる 千重の一重も なぐさめなくに (巻七・一二一三)

 また、このあたりの海岸も名草の浜として、歌に詠まれました。

 七時三十五分、紀三井寺駅を出発しました。

この列車で御坊駅に行きます。

 まづは御坊駅に向かひます。座席はロングシートです。車窓は、さすが木の国といふだけあり、木々の緑が濃く、そして美しいです。

 海南駅を出発して、冷水浦駅に着くと、進行方向右手の車窓に海が見えるやうになります。

冷水浦駅あたりの車窓

 ちなみにこの駅、しみずうらと読みます。素敵な景色に不似合ひな高層建築物も見えます。

 紀の国の しみづの浦に 漁りする あまの小舟に 秋風ぞ吹く 可奈子

冷水浦駅あたりの車窓 

 次の加茂郷駅から、しばらく海と離れます。

 大きな荷物を背負つた野球少年が駅ごとに乗つてきます。野球に打ち込むのも一つの「青春」でせうが、そこにヨハン・ホイジンガのいふ文化的小児病、いはゆるピュアリリズムがあるのではないでせうか。学校の部活動は、まさに文化的小児病の象徴です。
 文化的小児病について、詳しくは、ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』をどうぞ。最高の名著です。

 コンビナートが見え、すぐに民家が見えてきたところで初島駅に着きました。

 次の箕島駅から、有田川沿ひをしばらく走ります。進行方向左手のあしひきの山の斜面には、みかんの木が広がります。
 有田川は悠々と流れ、有田の山々は青々とそば立ちます。

 さういへば、かつてこの路線には、きのくにシーサイドといふ観光列車が走つてゐました。私は卒業旅行の時、その車両に山口県で乗りましたが、この景色の中を走る姿は、とても似合つてゐたことでせう。

 大きな荷物を背負つた野球少年が、藤並駅で降りて行きました。そして、特急くろしおとすれ違ひました。

 左手に湯浅城の天守閣が見えると、湯浅駅に到着。「醤油醸造の発祥地」と書かれた看板がありました。

 次の広川ビーチ駅は、山の中にあり、とてもビーチ感はありません。目の前はみかん畑です。

広川ビーチ駅
ビーチは近くにありません。

 また広川町といへば、稲村の火の故事で知られてゐますね。かうした素敵な方のお話しは、心の中ぬくぬくになります。

 少し走るとまた海が見えてきます。遠くに見える島は、鷹島といつて栂尾の明恵上人が手紙を書いた島で知られてゐます。

左手に見えるのが鷹島です。

 その手紙の内容は、平泉澄先生によれば「『古事記』の世界観」とのことです。先生は明恵上人を「神道伝承者」と評されました。
 詳しくは、平泉澄先生の『先哲を仰ぐ』または『平泉澄博士神道論抄』(ともに錦正社)中の「神道の本質」をどうぞ。

 この鷹島が人の手にわたりさうになつたところ、「野の義人」がそれを阻止したお話しが『山彦』にもあります。一瞬でも、鷹島を見ることができて、ぬくぬくです。

 田んぼのあぜ道に曼珠沙華が今を盛りと咲ける紀伊由良駅。

紀伊由良駅

 遠く西の方には、『万葉集』に詠まれた白崎があります。

 白崎は 幸くあり待て 大船に 真梶しじ抜き またかへり見む (巻九・一六六八)

 しばらく海と離れて走り、紀伊内原駅では、「クエのまち日高町」といふ看板がありました。
 そして、この列車の終点、御坊駅に着きました。遅れはほとんどありませんでした。

紀州鉄道完乗

 サアここから紀州鉄道に乗ります。

紀州鉄道

 わづか、二キロ少々の短い私鉄です。

車内
私好みです。

 私鉄・三セク全線完乗の難所でしたが、けふ達成します。

座席

 なほ、御坊駅の由来は、本願寺日高別院から来てゐますが、共産党と一緒に似非平和運動をやつてゐる浄土真宗に興味はないのでどうでも良いです。
 戦国時代は信長に楯突いて殺し合ひをし、戦時中は大東亜戦争を煽り、戦後は手のひらを返して反戦平和を訴へるのが浄土真宗です。前者は「信長の野望」シリーズを一度でもやつたことがあれば嫌といふほどその凶暴さがわかりませう。後者の近現代史について詳しくは、皇學館大学の新田均教授の書をどうぞ。

 五分の乗り換へ時間で、目的の列車に乗れました。単行ワンマン編成です。乗客は私を含めて三名です。

 八時三十七分、ものすごーくノンビリと御坊駅を発車しました。自転車に抜かれるレベルの遅さです。

御坊駅あたりの車窓

 秋の実り豊かな車窓を見つつ、最初の停車駅、学問駅に着きました。特に目立つた駅でもなく、住宅地のなかをノンビリ走り次の紀伊御坊駅到着。ここで乗客が一人降りました。
 路面電車の駅のやうな市役所前駅を経て、終点の西御坊に着きました。紀州鉄道、完乗です。
 車窓は、とにかく住宅地でした。

 西御坊駅は木造の素敵な駅舎。

西御坊駅

 しかし、屋根が低く背の高い私は頭がぶつかりさうになりました。

西御坊駅

 駅前には業務スーパーがありました。

西御坊駅

 なほ、駅から西へ向かふと、煙樹が浜、さらに『万葉集』に詠まれた久米の石室に続きます。

 はだすすき 久米の若子が いましける 三穂の石室は 見れど飽かぬかも (巻三・三〇七)

博通法師の歌です。

 すぐに折り返して御坊駅に帰ります。乗客は私含めて四名です。経営、大丈夫なのでせうか…。車両もボロボロです。けふの往復三百六十円では、紀州鉄道を救へさうにありません。

 某鉄道会社みたいに、猫駅長に頼るか…。スコティッシュフォールドのとびきり可愛い子を猫駅長にしたら。でも、猫は猫でストレスを溜めてしまふので、それも考へものですね。

 途中、紀伊御坊駅で三名の乗客がありました。あまりに遅いので、わづか八分の乗車でも眠くなります。眠気がきたところで、御坊駅に着きました。

 御坊駅前にお土産屋さんがあつたので、家族に梅干しを買ひました。なほ、私は酸つぱいもの全般が苦手なので、食べません。

パンダくろしお その二🐼

 時間に余裕があつたので、みどりの窓口でWestExpress銀河の窓側が空いてゐるか聞いてみたところ…空いてました。ただちに乗車変更しました。恐らく、キャンセルした人がゐるのでせう。私としては幸運です。

 そして、九時三十分。

パンダくろしお1号🐼

 再びパンダくろしおに乗ります。

頭に乗つてる子パンダが可愛い🐼

 くろしお1号です。

ライオンのラッピング

 車内はそこそこの乗客がゐます。

座席もパンダ🐼

 大きなキャリーケースを持つてゐる人がをり、これから白浜にでも行くのでせうか。

 車窓はしばらく田舎の風景が続きます。印南駅を過ぎたあたりで、雲が重くなると同時に、海の気配がしてきます。

 切目駅のあたりから海岸沿ひを走り、進行方向左手には狼煙山、そして藤代駅のあたりは有名な地、さう、有間皇子が処刑された地です。無念であつたことでせう。

岩代駅あたりの車窓

 車窓には雄大な太平洋が広がります。

岩代駅あたりの車窓

 気が付けば、岩代駅を通過しました。

岩代駅あたりの車窓

 岩代は上に記した有間皇子がかつて、

 岩代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば またかへり見む (巻二・一四一)

 家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る (一四二)

と詠まれた地。そして多くのうたびとが皇子を偲びました。たとへば、人麻呂歌集の歌、

 後見むと 君が結べる 岩代の 小松がうれを また見けむかも (一四六)

 私も万葉のいにしへが偲ばれました。

 岩代の 君が結べる 松が枝は 人は知らねど 悲しかりけり 可奈子

 しばらく海を離れ、南部駅を過ぎ、列車は紀伊田辺駅に着きました。次は白浜駅です。白浜は卒業旅行とその後二度行つたことがあります。

 温泉が知られてをり、湯崎温泉は風呂と言ひ景色と言ひ、絶品です。

 温泉以外にも三段壁の絶景はよく知られてゐませう。

 また白浜といへば、万葉のいにしへ、たびたび天皇さまのお出ましがありました。今でこそパンダですが、私は万葉のいにしへが偲ばれるのです。

 莫囂圓隣之 大相七兄爪湯気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本 (巻一・七)

紀の温泉に行幸された時、額田王の作つた歌ですが、何と訓むのでせう。

 朝来と書いて「あっそ」と読む朝来駅を通過して、白浜駅には十時十分に着きました。
 温泉まではバスに乗ることになります。ここで数名の乗客が降りて行きました。パンダでも観に行くのでせうか。

 白浜駅を出発し、にはかに眠くなりました。富田川を渡つたあたりで、落ちさうになりましたが、なんとか耐へつつ景色を眺めます。

紀伊富田駅あたりの車窓

 刈り払ひ機をもつたおぢさんが、草を刈る姿をしばしば見ます。
 そして、眠気に耐へてゐたら、浦が現れ、そして一瞬、磯が見えました。

椿駅あたりの車窓
浦が見えました。

 車内では、和歌山観光をしてゐるカツプルの声が聞こえてきます。某大物YouTube rのやうにしきりに「那智の滝」を連呼してゐる女性がゐます。

 田舎の景色を眺めてゐたら、周参見駅に着きました。周参見駅を出て、しばらく走ると、太平洋が見えてきます。草木と電線に阻まれて上手に写真が撮れないのが残念ではありますが、磯に寄せる波を見るのは楽しいものです。途中の見老津駅は、駅前がまさに海、さう枯木灘です。

見老津駅あたりの車窓

 見事な磯の景色です。次の江住駅も目の前は海です。

江住駅あたりの車窓

 堤防では、少年が釣りを楽しむ姿が見えました。
 トンネルと海を繰り返し、十一時六分、串本駅に着きました。ここから南に下れば、エルトゥールル号の遭難で知られる潮岬、そして東に行けば樫野埼灯台があります。樫野埼灯台には、トルコ建国の父ムスタファ・ケマル・アタトゥルクの像があります。
 ISSAさまの以下の記事、いたれり尽せりです。

 そしてその沖には、アメリカの潜水艦・アーチャーフィッシュの魚雷に沈みし空母・信濃が海底に眠つてゐます。

 串本駅から北東へ上ります。
 駅を出ると、間もなく橋杭海水浴場が見えてきます。橋杭岩といふ海に奇岩がそそり立つ不思議な景色を見ました。そして、波が高くなつてきました。古座駅、そして次は太地駅です。

 太地町は鯨の町、江戸時代から捕鯨が行はれてゐました。また「ザ・コーブ」といふ駄作映画が誤つて捕鯨の事実を伝へ、しかもシーシェパードといふ環境テロリスト集団が余計な活動をしたことでも知られてゐます。

 鯨やイルカを捕るのが問題といふのなら、アメリカ大陸のアメリカバイソンや、マダガスカルのドードー鳥はどうなのでせう。揚子江にゐたイルカもさうです。
 白人がどれだけの生物を絶滅させたか。

 自らの罪を棚に上げ、わが国に余計なことをする連中には堂々と反論をしませう。
 そして、実力行使が合法的に行へるやう法体系と予算、そして組織を整へませう。これらは、憲法九条を変へなくてもできますし、九条を変へなくてもできることはたくさんあります。できることをすれば、それだけで抑止力も高まります。

 紀伊田原駅、そして紀伊浦神駅にかけての絶景に息を飲みつつ、太地駅に着きました。山の中の小駅、海から遠い場所にありました。
 森浦湾の景色を眺めつつ、列車は紀伊勝浦駅を目指します。紀伊勝浦駅は個人的に行きたいところで、ホテル浦島に泊まつてみたいですね。

 玄武洞や忘帰洞などの洞窟温泉に入つてみたいです。

 勝浦の 出で湯に入れば うちひさす 都に帰る こと忘るらむ 可奈子

 十一時四十分、紀伊勝浦駅到着。次は終点の新宮駅です。紀伊勝浦駅を出て、しばらく行くと、空き地に雉がゐるのが見えました。玉川、かう見えて雉とふくろふが好きなのです。
 途中、紀伊佐野駅と三輪崎駅間は『万葉集』に詠まれた地です。

 苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎 さのの渡りに 家もあらなくに (巻三・二六五)

この長忌寸奥麻呂の歌、後の時代に本歌取りされます。藤原定家の次の歌、

 駒とめて 袖うちはらふ かげもなし さののわたりの 雪のゆふぐれ

は奥麻呂の歌が本になつてゐます。車窓から、佐野、そして三輪崎の景色を見ることができ、ぬくぬくでした。

 みくまのの 清き浜びに 白波の 寄するを見れば 紀人羨しも 可奈子

 そして十一時五十八分、新宮駅に着きました。

新宮駅

 長い旅でしたが、実は今回の旅のメインはここから始まります。さう、WestExpress銀河に乗るのです。

待望の銀河

 ところで、新宮駅は那智速玉大社の最寄り駅です。

 また、最長の路線バスで知られる八木新宮線(奈良交通バス)の始発駅でもあります。

徐福公園

 前者は参拝したことはありませんが、後者は一度乗り通したことがあります。那智速玉大社まで歩いて二十分程度、往復する自信はありますが、敢へて自重しました。そこで、駅近くにある徐福公園に行きました。

徐福公園

 徐福の墓もありますが、遠いむかしに漂流した支那人がこの地に着いて、徐福と名乗つて祭り上げられたか、学のない人たちが徐福だと持て囃したかどちらかでせう。山口県大津郡の楊貴妃の墓と同じですね。

浮島の森

 それよりももう一つ行きたかつた浮島の森(国指定の天然記念物)に行きました。

浮島の森チラシ
浮島の森の植物

池の上に浮いてゐる島で、南北の様々な植物がここで見られる珍しいところです。

浮島の森 入り口
浮島の森 案内

 入り口で百十円を支払ひ、島内に入りました。

島へ向かひませう。
左側の森が浮島です。
進んで行くと…。
この橋から島に入ります。
わくわく…。
島に入りました!
蛇の穴。三十メートルほどの穴だとか。
鬱蒼とした木々の中を進みます。
島を出ました。
なんか、神秘的です。
玉川、感動してをります。

 島内は、神秘的です。自然が創り出した美、そこにはなんの無駄はありません。すべて関連し合ひ、助け合ひ生きてゐます。「神々の宿る聖地」とは、熊野だけに限りません。私は浮島でそのことを実感し、自然の中で心の中ぬくぬくになりました。

WestExpress銀河へ

格好良いですね、銀河!

 さて、駅に戻ると早くも銀河が入線してゐました。

サア乗りませう。

 すぐに乗り込むと、

 「すごい!!」

の一言です。

入つてみると…。
うわーなんかすごい!
開放式B寝台の令和版。快適さうです。一応、グリーン車です。
フリースペースの座席。お金を取れるレベルの席。
フリースペース
A寝台を思はせるグリーン車。583系の自由席とA寝台の良いとこどりをしたやうな感じです。
上段。
窓の位置が合つてない?!
フリースペース

 あの117系がこのやうに生まれ変はるなんて…。

 私が117系に乗つたのは、湖西線と岡山駅と福山駅をつないでゐた快速サンライナーくらゐでせうか。そして、改めて乗つた時に、このやうなすごい列車になつてゐるなんて。

 人間の作るものも捨てたものではありませんね。

 座席車の先頭部分の壁には、万葉の歌と写真を印刷したものが貼られてゐました。

万葉の歌

 B寝台に該当する席も、かつてのB寝台とは比べ物にならないくらゐ快適さうな感じがします。

 車内にはフリースペースや売店もあります。

売店
売店

 私の乗る座席ですが、足元がかなり広いです。ただ、窓と椅子の位置が合つてゐないのか、車窓が見づらいです。リクライニングはかなり深くまで倒すことができます。少し後ろに倒して車窓を眺められるやうにしました。

私の座席

 十三時二分。地元の人たちや駅員さんが旗を振る中、銀河はゆつくりと出発しました。車内メロディーはハイケンスの「セレナーデ」です。
 かつて、東京駅から大阪駅をつないだ急行銀河、そして「セレナーデ」。過去の様々な遺産が、形を変へて復活したことが嬉しく、ぬくぬくになりました。

 発車してすぐに太平洋が見えてきます。パンダくろしおで見た景色と、また違つて見えます。

新宮駅あたりの車窓

 南紀勝浦駅に着くまでの間、売店で銀河グッズを衝動買ひしました。

 私は衝動買ひを悪いことだと思つてゐません。二宮尊徳翁や老子らからすれば吝嗇は美徳でせうが、経済学的に見れば衝動買ひはお金を市場にまはすことができます。インフレとデフレの時の対応を愚かな日銀や財務省のやうに間違へなければ、衝動買ひも問題ありません。

銀河グッズ

 私のゐる座席車は、乗客があまりゐません。新宮駅を出発した時点で五名しかゐませんでした。

 また、さういへば、WestExpress銀河の下り列車は夜行です。かつてのいそつりやはやたまを思ひ出させます。それらの列車は、古い時刻表を眺めてゐると出会へます。

 海岸でウェットスーツの若者が朽ち果てた流木と戯れてゐるのを見たころ、「セレナーデ」が鳴り、紀伊勝浦駅に着きました。ここで五分間停車します。駅前には、朽ち果てつつあるC58が保存されてゐました。そして、ゆつくりと駅を出発すると、車窓にホテル浦島が見えました。

湯川駅あたりの車窓
湯川駅あたりの車窓

 湯川駅で列車は停車すると、和歌山大学の学生による放送が流れました。きのくに線の活性化云々を述べてゐましたが、それなら車に乗るのをやめたら良いでせう。観光列車内で観光案内のうんちく放送を流すだけで活性化などといふのは甘過ぎです。地元民が乗つてこその活性化です。車を手放してゐて、普段から列車を利用し、今後もさうするのならば私は彼らの活動を応援しませう。

 湯川駅は目の前が海の素敵な駅でした。

湯川駅あたりの車窓

 列車を交換し、湯川駅を発車するとにはかに速度を上げました。

 太地駅を過ぎ、磯に寄る波、沖にたゆたふ千鳥、浜辺に泊まる海人の釣船が旅人の心を慰めてくれます。

太地駅あたりの車窓

 それにしてもゆつくりです。くろしお1号で古座駅から太地駅までは十八分だつたのに対し、銀河は同じ区間を三十五分かけてゐます。
 眠くなつたので、紀伊田原駅で運転停車中に車内を散策しました。

紀伊田原駅
フリースペース

 売店で、めはり寿司と、北山村のじゃばらウォーターを買ひました。めはり寿司は、高菜の塩漬けで鰹のおにぎりを巻いたもので、じゃばらウォーターは夏みかんジュースのやうな感じの飲み物でした。

車内の案内
紀伊田原駅あたりの車窓

 古座駅では三分の停車、橋杭岩の奇岩を再び見ました。

橋杭岩

 大江戸温泉物語の看板を過ぎ去り、次の串本駅には十四時三十一分に着きました。ここで三十六分停まります。外は小雨が降つてゐます。

 列車の外に出て、写真を撮りました。

串本町ガイドマップ
わが国とトルコとの関係を記してあります。
名も無き先人たちの真心、ぬくぬくになります。
串本駅

 エルトゥールル号の遭難に際して、一所懸命に対処した現地の人たちは日本人の鑑です。
 詳しくは、以下の書をどうぞ。

 第十一回珍魚釣り選手権なる大会が、私の琴線に触れました。量や大きさではなく、珍しさを競ふといふ観点、すごく好きです。

珍魚釣り選手権ポスター

 十五時七分、串本駅を出発しました。出発して二時間。ここから北へ進んで行きます。やはり来た時に乗つたくろしお1号に比べると遅い。くろしお1号が周参見駅から串本駅を二十七分でつないでゐたのに対し、銀河は三十九分かかります。

 和深駅で列車すれ違ひのため、停車しました。反対側からパンダくろしおが通過して行きました。

 ウトウトしてきたところで十五時四十六分。周参見駅に着きました。この地はスキューバダイビングや磯釣りが有名だと、車内放送で述べてゐました。ここで十八分停車します。駅ではコーヒーを売つてゐました。時間があるので、駅から歩いてすぐの海水浴場を見てきました。

周参見駅からすぐの海水浴場

 周参見駅を出発すると、駅前では地域の人たちが手を振つてゐました。ぬくぬくです。次は白浜駅です。車窓に大きな観覧車が見えてくると、間もなく白浜駅です。

 十六時二十六分、白浜駅に到着。向かひのホームにはオーシャンアローの車両によるくろしおが停車してゐます。ここで数名の乗車がありましたが私の前の席と隣には誰も来る様子がありません。ここまで誰も乗つて来なければ恐らく終点まで誰も来ないでせう。

 実は、この時、ものすごくお腹が空いてゐます。空腹に耐へてゐるのですが、次の長い停車時間があるのが、海南駅の二十分です。海南駅にコンビニ、または駅弁があるかわかりません。前者はともかく、後者は厳しいでせう。乗り通す鉄ヲタ客を見越して、現地の業者が乗り込んで販売してくれるかどうか、眠気と空腹に襲はれる中、車窓を眺めて気を紛らはせてゐました。
 みかん畑以外にも、梅の木が植ゑられてゐるところもあります。来た時も見た、田んぼのあぜ道に咲く曼珠沙華も綺麗です。

 紀伊新庄駅で停車した際に見えたくら寿司の看板が、恨めしく見えました。

 紀伊田辺駅で、おばさん二人組みが乗り込みました。そして、前の席にやうやくおぢいさんと孫と思しき二人組が乗りました。そろそろ日が西に沈みはじめました。雲の向かふから、けふ最後の輝きを放ち、あかねさす紫色に空を染めてゐます。
 前の席の二人は、荷物を置くとすぐに車内散策に出かけました。

紀伊田辺駅あたりの車窓

 銀河は恐らく今日一番の速度で紀路を駆け抜けてゐます。

 南部駅を通過し、岩代駅周辺に来たころ、夕日が沈む大海の景色はこの列車、最後の見所でせう。

岩代駅あたりの車窓
岩代駅あたりの車窓

 夕暮れの海を見た後、売店の方へ行つてみたら、別のお店が開店の準備をしてゐました。今度はワイナリーのやうでした。玉川、ワインは呑めません。前の席の二人はフリースペースにゐました。

 しかしながら、夕日の景色は寂しいものです。

和佐駅あたりの車窓

 間もなく旅が終はり、日常に帰ることになる。そして明日からまた仕事が始まる。その辛さが一気に込み上げてくるのです。

和佐駅あたりの車窓

 特急らしい速度を保ちながら、十七時二十三分、御坊駅に着きました。何故か、銀河の小旗を振る女子高生がゐました。すぐの発車で、次はいよいよ海南駅です。

 前の席の二人が戻つてきて、何やら会話してゐる中、夕日に沈む鷹島を再び見ました。この景色、明恵をして島に手紙を出したくなる気持ちもわかるやうな気がします。

夕暮れの鷹島

 そして、十七時四十六分頃、

 「貴景勝 優勝」

の速報が入りました。
 四度目の優勝、泣きさうになりました。立会ひ変化ださうですが、舞の海秀平といふ虫がいふには、「変化はかかる方が悪い」のです。

 それに、誰とは言ひませんが、張り差しかち上げやりたい放題の(大)横綱もゐたではないですか。文句を言ふ人は、その(大)横綱も同じやうに批判し続けてくださいね。

加茂郷駅あたりの車窓

 それはともかく、それが徐々に暗くなる中、十八時二分、海南駅に着きました。

海南駅到着直後

 ホームから階段を駆け降りると、改札の外にセブンイレブンがありました。
 無事に、食料を確保できました。

食糧を手に入れて、ホームに戻つたら、すでにこんなにも暗くなりました。

 十八時二十二分、海南駅を出発しました。まだ終点の京都駅まで二時間半あります。六時を過ぎてから、空が釣瓶落としに暗くなりました。

 十一分後、和歌山駅に着きました。ここでも十分の停車時間がありました。

 和歌山駅を十八時四十四分に発車すると、次は、日根野駅。さらに、天王寺駅、大阪駅、新大阪駅と停車して行きます。銀河にふさはしい、ぬばたまの闇の中を駆けて行きます。

 新大阪駅以降、乗客はほとんどゐませんでした。

 そして二十時五十三分、終着の京都駅に着きました。
 感想は、

 「 と に か く 長 い ! 」

これに尽きます。

銀河に★印が。その下にははるか52号。

 くろしお12号が新宮駅から京都駅まで同じ区間を走り四時間五十分程度なのに対して、銀河は七時間五十分かかります。それは眠くもなりますね。

ありがたう銀河。

 とはいへ、乗れば絶対に楽しめます。間違ひないです。私や私の後ろに座る鉄ヲタの少年のみならず、熟年の夫婦や女子二人組みなど、楽しさうにしてゐる人がたくさんゐました。

 さて、うちひさす都に帰ります。帰りは新幹線、のぞみ号です。寝たいけど、寝ない。家に着くまで我慢です。

 フォロワーの方が月のさやけさのことをいつてゐたので、ふと、車窓を見てみると、月が美しく照り輝いてゐました。

 明日は遅刻しないようにしないと…。

 ところで、◯◯の答へですが、どうでもよくなりました。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

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