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寄生獣を見て

試験前だというのにとんでもないアニメを見てしまった。その作品の名は『寄生獣 セイの格率』という。

寄生獣とは以下の様な作品だ。

地球上の誰かがふと思った 『人類の数が半分になったら いくつの森が焼かれずにすむだろうか……』 地球上の誰かがふと思った 『人間の数が100分の1になったら たれ流される毒も100分の1になるだろうか……』 誰かが ふと思った 『生物(みんな)の未来を守らねば……………』 突如飛来した寄生生物たち。彼らは人間の身体に侵入し脳を乗っ取り、他の人間を食い殺し始める。高校生・泉新一の身体にも寄生生物が侵入するが、脳の乗っ取りに失敗し彼の右手に宿ってしまう。自ら「ミギー」と名乗った寄生生物は新一と奇妙な共存関係になる。そんなイレギュラーな存在となった新一とミギーは寄生生物たちとの壮絶な戦いに身を投じる!

アフタヌーン公式サイトより

ちなみに格率とは次の様に定義されている。

格率(かくりつ、独:Maxime)とはイマヌエル・カントによって提唱された哲学用語。

1785年に著されたGrundlegung zur Metaphysik der Sittenでは「格率」とは自分の持つ行為規則と定義された。この格率の普遍化が可能であったならば自分は道徳的であるということになる。そして普遍化可能な格率はそれが法則として成り立ち、それは全員がその法則に従うという形で秩序が形成されると考えられるような行為規則である。

Wikipediaより

少し分かりにくいが、要するに格率とは何となく当たり前のように守っている概念みたいなものである。

視聴し終わった後にこの作品に対して感じた第一印象は、良い意味での「分かりづらさ」と「異質さ」だ。

この作品は基本的に主人公視点で世界を捉えているため、敵役の事情などは最低限しか説明されておらず、しっかり考えてアニメを観ていなければいけないというハラハラ感みたいなものを感じた。

また、この作品はゾンビなどのいわゆる他のパニックものとは少し違う世界観になっていると強く感じる。なぜなら、他の作品はほとんどが世界や人類の危機に陥っているが、この作品はパラサイトによる死亡者が週に300人程度しかおらず、一日に約3000人死ぬこの国において、かなり小さい話をしている事が分かる。

しかしながら、主人公視点で進んでいるため、やはり主人公にとって世界は大きく変貌しているように見えるし、とても辛くて恐ろしい何かを見ているような気持ちに、見ているこちらもなるのだ。
ここら辺のバランス感覚の良さは他作品にはあまり見られない魅力といっていいかもしれない。

最後に、
この作品で家や学校は思わず愛おしさを感じてしまう程頻繁に描かれる。それは監督や著者が自然や日常というものに愛を感じているからなのかもしれない。



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