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「知識」を摂る読書、「空気感」に身を投じる読書|daily06

最近読んでいる本がある。

「本を読めなくなった人のための読書論」(著:若松英輔|亜紀書房)

この本を読んでいてふと気づいたことがある。

「この本、How To本のようなタイトルだけど、自分との対話を促してくれるモデレータとしての立ち位置の本だ・・・」と。

この本は、こうやったら読めるようになるよ!ということを諭しているようで、実は違う。

読書という切り口で自分の行動を顧み、今の状態を肯定させてくれるための処方箋のような本だった。

そして、もう一つ感じたこと。

「この本は頭の中を穏やかで静かな状態にさせてくれる。気持ちを落ち着けたうえで内容と向き合わせてくれる本だ。本には内容以外にも空気感があって、その空気感に身を投じるという読み方、あるよなあ」と。


「サプリ」としての読書と「瞑想」としての読書

人の身体をヘルシーに保つためには、肉体に直接的に作用する栄養を摂取すること以外に、精神面のメディテーションを促すことも大事だったりする。

直接的な知識を摂取するための読書も大好きだが、ごくごくたまに、自分自身と対話するための「瞑想」としての読書も必要だと感じたのは、今読んでいる本のおかげだ。

「余白」があり、「雰囲気」がある本。

本が醸し出す雰囲気を構成する要素はいくつかある。

①語り口や、著者のテンション
②レイアウトや装丁
③取り上げているテーマ、本のジャンル

これらすべてが掛け合わせられ、読むという行為を通して感じる雰囲気が醸し出されていると思う。

そして、よく考えると本の性質は大きく2種類に分けられる気がした。

それは「インプット」を主目的とさせる本と「アウトプット」を促す本だ。

たとえば、最新のトレンドや知識を身に着けることが主目的となる本は、情報の摂取に必死に食らいついていこうという感じでかじりついて読むイメージで、正直言って自分自身がどう感じるか、どう見るかの切り口と向き合うための余白が持てないことが多い。

そのため、自分自身に必要な情報だけを汲み取るため、何度か読んだり、メモをとりながら読んだり、付箋や鉛筆で線を引きながら読むなど、最低限の情報まで削ぎ落して初めて「思考」のための余白を得ることができる。(※あくまで私の場合)
強くインプットして、印象に残った部分から再度考えるための読書の工夫をしなければ溜飲するのに必死で終わる感じだ。

一方、空気感に身を投じる読書は、「自分自身との対話」をする「余白」が用意されているように思う。
つまり、「固定された意味情報の量が多くない本」だ。

著者が持論を述べつつも、実はその言葉の多くは何通りにでも取れる「余白」が持たされていて、その裏に「あなたならどう感じる?」の問いかけをそっと語りかけてくるタイプのものだ。

どちらがいいという話ではない。どちらも必要なタイミングでバランスよく摂取する必要はある、というわけだ。


「読めない」自分を否定しない

わたしは本をよく読む方だとは思う。
だから、正直言うと「本を読めなくなった」というほど本が読めていないわけではない。ただ、毎日に忙殺されて、家に積読が増えていくばかりな状況が気持ち悪くて、本を読みたいのに読めない、というモヤモヤを解消するためにこの本を手に取った。

そんなわたしが読書において課題に思っていることはこんな感じだと思う。

①読みたい本が多すぎて追いつかない
②最初から最後までよめない
③読んではいるけど頭に入ってこない(読んだそばから忘れてしまう)
④読むスピードが遅い
⑤興味を持ってから読むまでに時間がかかってしまうと、そもそもの興味が薄れてしまう。関心がうつろいやすい。

まあ、課題は課題としてだから何なんだって話ではあるんだけど、あらためて自分はなんでできてないんだろうと考えるきっかけにはなったのでそれはそれでよい。

ただ、意味のある読書ばかりしていてもしんどい、ということには気づいてしまった。
読書でインプットする情報を受け止める自分自身の器(視点)も育てておかないと、ただ食べたら食べただけ排泄で流れていってしまう摂取になってしまう。

こういう時、「どんな情報を得たいか」の観点の本を読むのではなく、「雰囲気」に身を投じる本を選ぶというのは「読む」を叶える方法のひとつなのかもしれない。

「思考」のための読書なら、読めないときにも読めるかもしれないなと思った。


私が最近読んでよかった本はこれ

「空気感」に身を投じる読書のオススメ本



「知識」を摂る読書のオススメ本


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