見出し画像

これからの時代の人間の仕事とは|daily07

テクノロジーが発達している昨今、特にAIの導入により今まで安泰と言われてきた仕事の多くはテクノロジー取って代わられて仕事がなくなるという話がまことしやかに囁かれており、そのことに焦りを感じている人がいる。

そして、それらのテクノロジーは多岐にわたり、まだまだ精緻ではないにしろ、これからの私たちの生活や社会を大きく変えて行くのも想像に容易い。

つまり、まだまだ未解明な分野は多くあれど、数十年前、いや、数年前と比べても世の中の課題を解決するための手段や手法はたくさん存在するようになった。

ではなぜ、まだまだ解決されていない社会課題や世の中の不便があるのだろうか。

その一つに「課題の設定」が適切になされていない、という点があると思っている。

世の中の不便や課題は「人」が感じ、それが不利益であると認識し、その不利益な現象を課題と捉えて初めて解決手法の検討に至る。

つまり「気づいていないもの、感じているが具体化していないものは課題として世の中に姿を表していない。具体的に認知されていない」のだ。

最初の話に戻るが、これからあらゆる仕事がAIによって取って代わられ、人の仕事は淘汰されるという。ここでいうAIは解決手法である。
そう、逆に言えば、AIはまだまだ解決手法でしかない。

だとしたら、しばらくの間、人の仕事として残るのは「人間自身が解決したいと思う課題を発見し、課題から仮説をたて、解決手段の検討の入り口にまで持って行くこと」だ。

だとしたら、いかに世の中や自分自身と向き合い、それを見る視点を持ち、現象を具体化したり抽象化したりする「感じる力」と「考える力」が問われる時代がやってくる。

着眼点がモノを言う時代だ。

これから仕事で活躍したいと思っている人は、「発見力」「視点・物事を捉える力」「仮説力」を磨いて行くのが良いのではないだろうか。

つまり、感性と感受性と思想の時代の到来。

答えのない答えと向き合い、問答する力を育ててゆかなければいけない。
(そういう訳で、実はアートや感性と向き合う活動を意図的にやってるってのはある。わたしが華道を続けているのはその一つ。)

かく言う私も他人事にあらず。

日々、何かとしっかり向き合い、考え、自分なりの仮説を持つことを大切にしなければいけないなと感じた日でした。

\ありがとうございます!/ いただいたご厚意は、新しいチャレンジに役立てます!