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ただの気晴らしで書いた、あたまの中。

最近ますます、自分のことがよくわからない。

いや、昔からよくわからなかったけど、自分が一番ストレスのないことってどういう状態だろう、というのは20代の終わりに結婚を意識してた彼にフラれて以来、ずっと考えています。

ただ、自分への期待はずいぶんとなくなった。

「愛されなきゃ、、女なんだし」と謎の強迫観念に駆られていた20代。
恋愛がうまくいくことこそ、女として生まれた私の価値=人間としての価値くらいに思っていたと思う。

ただ、歳を重ねるとともに、どんなに意識してても積み重なっていく体脂肪。世間一般が女として美しいと謳う姿ではいられなくなった自分を鏡で見るたび、”女”であることはそんなに大事なことなのだろうか、と考えるようになってしまった。

多分、誰かに「君は素敵だよ、かわいいよ、」って認められたかったし、そういう反応を得られなければ寂しい。そういう感情が心の底に沈殿して迷走してたのがわたしの20代だと思う。

もちろん、可愛く、美しくあることは素敵だし、そうありたいと努力する姿勢はなんともいじらしく愛らしい、素敵なことだ。

でも、それによって自分がすり減るのは意味がないんじゃないか?、社会や世の男性が求める女性らしさに無理して合わせることが息苦しい原因なんじゃないか、と思ってそういう人の目をきにするのをやめた。

世の多くの人が理想として掲げる女としての幻を追うことをやめた。

女を捨てたのではなく、そもそも本来の人間としての部分を軸に、自分らしい女性性を残す程度にとどめることにした、というのが正しい。

わたしは別にフェミニズムにはさして興味はなくて、この話も別にそういう話ではない。

ただ、自分に正直に無理をせず素直であること、自分の価値観に耳を澄ませてその在り方を体現していくことというのはものすごく心の強さが必要だったりもする。
自分の軸でちゃんと立ち上がろうとすると、周りから評価されなかったり、愛してもらえなかったり、寂しい思いだってする。

それでも、自分がこの先、50年、60年と生きるかもしれない人生を思うと、いま翻弄されている「女としての価値」みたいなものは、10代~30代くらい、せいぜい40代くらいまでのものなのだから、その先待ち受ける「人間としての自分」の軸を探って生きていく方を大切にしたいと思っている、という話です。

とはいえ、いくらやりがいがある仕事があって、楽しいことがいっぱいあったとしても、やっぱり33歳にもなって独り身でいるのは正直きつい。誰かから手放しで愛されてるって実感がないまま毎日過ごしていると、不意に胸を締め付ける夜だってあります。寂しいです。

自分のことは、いまだによくわからないけれど、まあ、なるようになると思うからテキトーに生きていこうと思って、いまに至るわけで、深刻なようで深刻ではなく、いまがちょうど程よくストレスがありつつ、息苦しさはないな、という感じ。

今日のあたまの中をちょっと書いてみました。しばらくこんな感じで書くと思います。


ふと、昔書いた話を思い出して、掘り起こしました。
こんなこと書いてたんだな、、、書き残しておくのは振り返ることができて面白いですよ、書きましょう、未来の自分を楽しませるために・・・笑


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