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才能を発揮する仕掛けを備えた装置と「辞めない」という続け方|daily02

ふとtwitterに流れてきたこの記事のサムネイルに出ていたこの画像をみてびっくりした。

わたしは勝手に誇らしく思っていることがある。
それは、noteが始まった超最初の頃からアカウントを作って細々やってたユーザである、ということ。

つまり、上の画像の左端に始めたユーザだ。
まあ、別にいつ始めたかがなんだというんだ、て話ではある。早く始めたからといって、それ以上でもそれ以下でもない。更新したりしなかったりでずっと継続し続けたわけでもないから、別になんでもないただの愛用者でしかないのだけれど、始めた頃見た景色がまさかこんなにも工夫が凝らされたサービスに変化をとげているのは、あの頃の自分はまだ何も知らない。

始めた当初に活躍していたユーザさんは今ではすっかり影を潜めてしまったのか、辞めてしまったのかわからないけれど、使っている人の顔ぶれもずいぶん変わった。というか、小さな集落が大都会になって出会えなくなっただけかもしれない。

noteは集落から街に進化を遂げた

スタート当初からコンテンツを販売する仕組みはあって、「頑張ってね」の気持ちを投げ銭的に渡し合う風習みたいなものがあった。

今では応援したい人のnoteは継続で購読できる仕組みやサポート機能(投げ銭的なものが機能化)している。

昔から優しい世界だった。

誰かを誰かが応援する雰囲気があって、嫌な思いをしたことはなかった。
だから、何度離れてもこの街に戻ってきてまた少し活動して、少し離れてを繰り返すことができたんだと思った。

実は初期の頃からはあちゅうさんとかイケハヤさんとか、有名な人はたくさんnoteを使っていたけれど、いまほどのユーザーのバラエティはなくて、今ほど読むのが追いつかないほどのペースで記事がどんどん更新されるような感じではなく、なんともゆるりとした印象だった。
わたしもその頃はまだIT業界にいた頃だけど、でもまあ、まだまだ周辺でnoteと言ってもピンと来る人はあまり多くなかったと思う。

今では、ITから全然遠い人たちでも知ってるどころか使っているという人が多い。

肌感的には 最所あさみさん が活躍し始めた頃から周りで使う人がどんどん増えて、気づけば今、だ。


noteは人の才能を発掘する装置

その頃からnoteがきっかけでスター選手がどんどん生まれていっているように感じている。SNSでフォローしてる人がnoteで発信をすることでチャンスを掴んだ様子を何人もみてきた。

もちろん、はじめからその人の個性はあったし魅力的だったと思う。

だけど、noteで広がった世界でその人たちはますます魅力ある存在へと磨かれていったように感じている。

個性は誰かに見つけてもらって磨いてもらう以外にも自分自身が発信を通してブラッシュアップしていけるようだ。

継続して誰かにとって意義のあることが伝えられるのは本当に才能だし、何より、自分の伝えたいことを他人が読めるようにアウトプットすることができることが紛れもなく才能がある証拠だ。

けれど、魅力的で特長的な個性があろうがなかろうが、何かを一定のクオリティや量を担保して書き続けられること自体が才能だと思う。

続けることは誰にでもできることではない。

個性も続けなければ深化しないだろうし、発進も続けなければ届くべき人に届かない。

実はいまその個性を発露する筋力があるかどうかもわからないまま使われずに眠っているだけの人は想像以上にまだまだたくさんいる。

noteはその「発露」の能力を引き出し、個性を磨く気づきと機会をくれ、その人の魅力の軸となる部分をより表沙汰にしてゆく仕組みが整っているように思う。

「書く」ことで可能性の活路を生み出すきっかけになることを世に提示した

noteは、人が才能を発揮するための一歩を踏み出させる才能発揮の循環をスタートさせる装置だ。

優しい世界すぎる、と思った。

「有益なことや価値のあることを継続して書けない」という劣等感

残念ながら、noteは早くにはじめたわたしではあるけれど、「断続的に続ける」ということが大変下手くそで、「辞めない」程度に書いてはお休みし、を続けるしかできてない。

いつでも戻ってきたい気持ちにさせてくれる優しい世界ではあるが、優しい世界が故、自分のダメさに気付かされる場所でもあって時々劣等感に苛まれたりもする。


まあ、それでも「また書くかあ」という気にさせてくれるのはnoteのすごい所で、わたしもまたこうして昨日から再開した。

なによりどんどん進化を続ける機能や仕組み、そこで出会うことができる新しい才能を見ているだけでも愉しみがあるもの。

実際、集落が大きな街になった姿にわたしは気づくことができた。

だから、「続かなくても辞めちゃダメ、辞めないだけでも見える景色、あるよ。」とあの頃のわたしにそっと伝えたい。

別に誰かに評されなくても、褒めそやされなくとも、その時々に思いついたこと、個人の記憶のアーカイブ、自分の思考との対話の記録を細々と続けさせてもらえたらいいなと思った。

途切れたって、辞めてなければ一応続いてるってことよね。

また日記書きます。

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