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現在地2023

フォーカルジストニアになって左手薬指が言うことを効かなくなってから5年が経ちました。

年に一度10月に、この1年に起きた自分の変化を振り返ることにしているので、今年も忘れぬように記録しておく。書いておかないと良いことも悪いことも本当に忘れていくので、意味があってもなくても未来の何かに役立つかもしれないので記録。

これまでの経緯はこちらから。

【技術的なこと】

⚫︎脱力を意識

このフォーカルジストニアの身体と共に生きていくためにとにかく必要なことは「脱力」だと思っている。必要な神経にだけ意識を飛ばして体を動かす。

私の場合は薬指ってこういう動きをするなということを再確認して、その時に力みなく指が動くためには他の指がどんな動きをしているか、姿勢はどうか、楽器の構え方の角度はどうなっているのが自然か、というようなことを一つずつ紐解いていくとどこに意識すればいいのかということが見えた。

しかし、演奏に集中していると全脱力は不可能で、ちょっとでも無駄な力が入ると薬指の巻き込みが起こって他の指までコントロールが効かなくなってしまう。なので、特に緊張は天敵。
今まで「大きな会場では音を遠くまで響かせるように意識」とか「音が舞台上で止まっては客席に届く音楽にならない」と思って音を出してきたが、私の場合これらを意識しすぎると同時に「力み」を生んでいた。思えば「聴いてもらうこと」に対して必要以上に「届けなくてはいけない」という観念に囚われていた気がする。そういえば私の尊敬するミュージシャンたちはもっと自分の奏でた音を愛でるように弾いているよな。と思い舞台上だけに意識を向けてみることにした。
「もちろん客席に音を届けるんだけどさ、一旦自分に集中して音作ります」、という気持ちで弾くと不思議と無駄な力が抜けた。
笑われるかもしれないが、極度に人の目が気になって緊張しすぎた時には「客席にいるのはかぼちゃだ🎃」と思いながら演奏していた舞台もいくつかあった。そう思えると本当にいくらか気が楽になって自分の身体の使い方に意識を向けることができるようになった。かぼちゃ作戦本当に効果あるんだ、と初めて実感。

緊張とはパニック状態に近いと思うので大会の前などで「パニックにならないパニックにならない」と呪いのように言い聞かせて脱力することを心がけていた。自分の身体のコンディションは自分しか整えられない。

⚫︎緊張するとスクイが速くなる

薬指でハジキができない分、右手のバチの奏法であるスクイを代用して演奏することが多くなったのだが、ある時大会の控え室で神谷師匠に演奏を聴いてもらった時に「もう少し間を持って弾けない?こういうところとか」と言われた箇所が、全てハジキをスクイに変えたところだった。大きく動くようなフレーズでは、自分でもここはハジキ、ここはスクイと意識して演奏していたのだけど、指摘されたのは16分音符が続く細かいフレーズで、自分でも無意識に変換していてハジキなのかスクイなのかを全く気にしていなかった。(目から鱗の大発見。師匠ありがとうございます。)

つまり、ここで重要なポイントは無意識だとスクイで間が詰まりやすくなっているということ。ゆっくりスクえないものかと思ったが、そもそも速くて細かい動きなのでゆっくりスクウ意識をすると曲のグルーヴ感を止めてしまう感じになってしまった。(津軽三味線の間を良くするのは本当に難しい!)
そして、色々試行錯誤するうちに、ハジキでも実は演奏できることに気がついた。「ハジけない」と一旦諦めてしまっていたが、この出来事をきっかけに意外と元の奏法のままでも中指で演奏できるようになってきていることがわかった。(自分の成長にひっそりと感激)
ただ代用するんじゃなくて、スクイを使うことのメリット・デメリットをちゃんと理解していかないとなと気付かされたのだった。他の箇所でも見直してみて、デメリットをなくすための対処法を考えられると演奏の上達に繋げられた。「諦める」のではなく「工夫する」ということを忘れてなならないと改めて実感したのだった。

しかしこうやって色々試してみると、津軽三味線の手は本当に良くできていると気付かされる!誰がここでハジクとか、スクウとか定めたのかは分からないけど、聴いて心地よく、弾いて弾きやすい。先人たちはやっぱり偉大である。

【気持ち的なこと】

最近では多くの方がフォーカルジストニアのことを認知してくださっていて「指、大丈夫?」とお声をかけてくださる。しかし、中指で演奏することが自分の中で当たり前になった今、自分の指が動かなくなっていることを忘れてしまっている瞬間が多々ある。なので、本当に失礼な話なのだが「え?なんのことだっけ?」とキョトンとしてしまうことも。(スミマセン🥺)

昨年はそんな気持ちには全くなれないほどのレベルの低い演奏だったのだが、今年は大会にもちゃんと優勝を狙う意気込みで望むことができた。そして、ありがたいことに優勝はできなくとも結果がついてきた。

そして、「指が動かないのにすごいね」が今まで一番の褒め言葉だったのだが、今年は奏でた音でちゃんと良かったと思ってもらえていたような気がした。「同情じゃない評価を」「何も知らない誰かの印象にちゃんと残る演奏がしたい」と思って取り組んできて、自惚れかもしれないがそれができた実感があった。

そんな気持ちを後押ししてくれたのは、4月の東京大会の後で津軽三味線奏者の藤井黎元くんが自身のyoutubeチャンネルで「薬指を使ってないのにすごいね、というのは失礼なくらい自然な演奏だった、もはやもうハンデではない」と言ってくれたこと。

彼は本当に言語化がうまくて、その中で私と話したことを紹介してくれていたのだが、だらだらあーだこーだ話した内容を3分の1くらいの分量で要点をしっかりとらえてかなりわかりやすくまとめてくれていた。(誰かに伝えるような機会が来たら参考にさせていただこう。笑)
こう言ってもらえると一つの弾き方として認めてもらえた気分になった。今までは本当に身近にいる人にだけに分かってもらえればあとはどう思われてもいいと思ってきたけど、その先を望んでもいいんだと嬉しかった。

2023年は2018年にジストニアになる前の自分に戻ってこれた感じがした。
今の私はそのころと同じことで自分の演奏を恥じ、悔いることができている。演奏の度に落ち込み、反省する毎日。
しかし、悔しいと思えることが、こんなにも幸せに感じられる時が来るなんて思いもよらなかった!

毎年振り返ると本当に思うが、この病気が私にもたらした経験や出会いはとてつもなく大きい。自分の弾き方が定まってきた今日この頃、ここからが始まりだと思うので、今の自分で過去を超えられるようにまた一年進んでいきます。

私のジストニア年表
・2017 技術的絶頂期。学べばなんでもできるようになると思えた。
・2018 なんだか指がおかしいと気づき始める。
・2019 ズタボロになりながら楽器と向き合う。
・2020-2021 演奏活動を続けるため試行錯誤の繰り返し。
・2022 中指奏法がほぼ確立。
・2023 過去の自分を超える希望が見えた。
・2024 ♡♡♡