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【「節約」~essay~】

夜9時過ぎからお腹を鳴らしてばかり居た、冬の始めのある日のこと。

堪り兼ねて、お金がないのも省みず家を飛び出した。

薄手のブラウスでは寒くて、寒くて。
下を向いて歩いた。

コンビニの前には十字路がある。

この十字路には、毎朝二の足を踏まされている。

十字路に引っ掛かりさえしなければ、家から学校まで5分ほどの距離に住んでいると思う。

だのに、上手い具合に引っ掛かってしまうと、あっという間に始業のチャイムは鳴り始める。

待ってくれ、待ってくれと思いながら、チャイムは鳴り止む。

毎朝、学校に向かって走っていると「本当にいけないのは、1分や2分の遅刻なら大丈夫と自分を甘えさせることだ」と自分に厳しい気持ちになることがあるな。

そんなことを思いながら、空っぽの腹をぶら下げて、十字路の前に辿り着いた。

そういや、さっきすれ違った男の人は同い年ぐらいだったな。

夜というのは、誰しもお腹が寂しいのだろうか。
彼のビニール袋には食べ物が入っていた。

まあ、どうでもいい。

車の影の無い十字路は、今赤信号。
コンビニの前には、仕入れのトラックが停まっていた。

六十過ぎぐらいの男性が、こちらをちらと見ながら、その細く乾燥した腕に持ちきれるのかと思うほどの段ボールの積み荷を荷台から下ろした。

私はお腹が空いているのだ。
彼の一瞥を特に気にせず、私は赤信号を渡った。
コンビニに渡った。橋が架かったみたいだった。

コンビニに入ると、聞き慣れた歓迎の音。
金がないのにクリスマスケーキの予約など出来る訳がないだろ、と怪訝な顔をして、パンフレットの棚を通り過ぎた。

実を言うと、お腹は空いているものの特に食べたいものはなかった。

何か口に入れときたい。その程度。
甘いものが良いとか、塩味のものが良いとか、そんなのもない。

いくら何でも今日は冷え込むから、「雪見だいふく」はやめとこう。

グミやチョコレートの棚をぐるぐると見ては、食べたいものを探していた。

ふと目が止まった。
彩りの良い根菜の入った、豚汁。

コンビニの中は想像していたよりも冷房で冷え、空腹も忘れてもう帰りたいなんて、短気を起こしていた矢先だった。

ポイントは、好物のさつまいもが入っていたことだ。

私が幼稚園の頃、年長はいも掘りに行くのが恒例だった。

年中の頃、「自分がいも掘りに行ったら、掘ったいもは、スイートポテトか焼きいもにするんだ!」なんてわくわくしていたっけ。

と、遠い思い出を眠気の燻る頭に思い出していた。

ふと、その豚汁に手を伸ばした。
これにしようかなあ。

でもその豚汁は、その量にしては300円近くもする。私の今の食欲じゃあ一瞬だろう。

やめよう。他のものを探そう。
この数百円が、雨の日のバス代になるかもと思えば我慢は容易い。

そう考えて、横の冷たい棚の肉類に目を向けた。

肉か。ううん、肉は駄目。

駄目なんだ。

もちろん、大好物だ。
私の舌には、「美味しい」と「より美味しい」しかないのだもの。

実は、家には肉はある。それも沢山。

食べ物が無い訳では決してなかった。

ただ、朝4時過ぎということもあって調理するのが面倒で家を出てきたのだ。
重い腰を上げて。

そもそも、お金がないのになぜ肉が沢山あるのかというと、数日前実家に帰省したからだ。

さもしいことに、実家から帰る時に冷凍庫をごそごそと漁った。
「これ、もらって帰っても大丈夫?」と、英会話のリスニングに集中している母に構わず質問を投げかけた。

気遣わなくて良いから持って帰りなさい、買えばあるんだから、と返ってきた。

私は図太いので、「ピザは、ピザは駄目?冷凍のやつ」とねだった。

母が咎めることはなかった。

京都に戻る道中、父からも食べ物を送ってやろうかといった旨のメールが届いていた。

昨年、大阪で地震が起こった時には、私は実家に缶詰や非常食をありったけ買って送ったものだった。

その時の余りの缶詰が実家には、ひとところに固めて置いてあるのだが、そこからも鯖の缶詰を二つ、三つもらって帰った。

動揺のあまり、地震のあった日に缶詰めを買い実家に送るときに私は配送手続きの紙を記入しながら、わんわん泣いた。店の中で。

幸い店員以外誰も、その時は居なかったが。

ちなみに「店」というのはこの、今私が居るコンビニである。

その一件もあってか、コンビニの店員さんにはすっかり顔を覚えられている。

私は考える頭もなく、陳列された肉類の棚に再び目をやる。
だって、お腹が空いているのには、変わりはない。

「ねぇ」

突然に眩暈がする思いがした。

「お肉が家で待ってるよ」
「冷凍庫で待ってるよ」
「早く食べて欲しいってさ」




真っ先に思い浮かんだのは、両親の顔だった。





私は寝起きが大層悪いほうだ。
毎朝学校に走って行ってるなんてことを言っていた時点でお察しかとは思うが。

なので寝坊もする。

アルバイトはというと、していない。自分の将来のことを考えて今どうしてもやりたいことがある。

それには、私の親も理解を示してくれている。

だから、私が将来に向けたこともアルバイトも何にもしないでごろりと寝ている休日にも、せっせと働いてくれている。

朝早くむくんだ顔を起こして、曲がりにくくなった親指と一緒に車を運転して、お仕事に行って。

恥ずかしいことに、自分を律することが苦手な私には、到底出来る芸当ではないのだ。

皆で食べるための、ご飯の買い物にもよく来てくれた。

「この林檎が良いと思う」

生鮮品の目利きが得意な父は、「さすが!ありがとう!」なんて言ったらちょっぴり得意そうな顔をしていた。

そう言えば、父から仕事の愚痴なんてのも、ただの一度も聞いたことが無かった。

私の弁当を、夜遅く一人で仕事の後作ってくれていた時期もある。

ちなみに母は、アニミズムの少し強い人だ。
モノにも気持ちが宿っていると考えるほうじゃないかと思う。

例えば、私は小さい頃に近所の子達と一緒に、とうもろこしを育てていたことがあった。

ふさふさした毛先の部分に、学校の行きしなや帰って来てからなど花粉を乗せて、とうもろこしの実がよく実るのを願った。

育てているとうもろこしの収穫は、じゃんけんで決めようとなった。

私は一番に勝って、好きなものを獲った。

しかし、家に着いてからとうもろこしの若草色の皮をざりざりめくってみると、裏側が思っていたほどには全然実っていなかった。

「こんなの、とうもろこしじゃない!
」と、台所の隅のマットの上で電気も点けず泣いたのを覚えている。

その時に母はこう言った。

「けちょんけちょんにあんたに言われた、とうもろこしの気持ちになってみなさい!」

私は延々泣き散らかしていたのに、その一言で自分を恥じ、泣き止んだ。

それと同時に、半分皮のめくれたとうもろこしを握りしめて

「ごめん、ごめんねえ」とまた泣いたのだった。

そんな訳で、母の影響もあってか、私は今でもモノにも感情がある、と考えてしまうフシがある。





そのせいか?
今、「お肉が家で待ってるよ」なんて聞こえた気がしたのは。







私は肉類の並ぶ棚に踵を返し、つかつかとコンビニの出口へ向かった。
顔馴染みの店員さんは何も言わなかった。

十字路は、また赤信号だった。
車もなく人通りもない十字路を、今度こそ私は大人しく青になるのを待った。

夜風が心臓を撫でるような心持ちがした。

「あー、私ったら偉い偉い!」
「ちゃんと我慢出来たわ!家にお肉あんねんし!」

と、小声で自分を褒めた。

偉いなんてもんじゃない、大馬鹿者だ、私は。

もしもさっき、あの豚汁を買っていたなら。
もしも、お肉を買っていたなら。

父が、仕事場の椅子に座る時間を1時間長めていたかも知れない。

母が、自分の欲しいものを一つ我慢していたかも知れない。

家があるだけで、自分の勉強を出来る場所があるだけで。

生きていてくれるだけで「幸せ」だと思う気持ちには偽りはないというのに。

紐を解くことのなかった財布を見て、私は微笑んだ。

月を見上げると、ほの暗いもやがかかっていて、何とも見栄えが悪かった。

「明日は雨か、それかくもりか」
しようもないことをぼそりと独り言しながら、上を見ながら歩いた。

嬉しいような、寂しいような思いがした。

どちらの「家」に帰りたいのかが分からなかった。

元々もやもやとして霧のかかった月を見ていたが、段々、段々と月がぼやけていくのをその目に感じた。

下睫毛を濡らしながら、上を向いて、空きっ腹を撫でて帰った。

いつもの帰り道には、私の靴の音と財布の金具のかちゃかちゃという音だけが響いていた。








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