守られて生きてきた。守られて生きていく。

作家・益田ミリさんの作品『ヒトミさんの恋』にこんな文章がありました。

“季節の変わり目をお母さんが教えてくれていたあの頃”(p.91 第八章『カレシがいる秋』より)

私はこの文章を読み、涙がぶわっと溢れてしまいました。作品を読まれた方の中で泣いた方は多くはないと思うし、きっと、益田ミリさんご本人だって、泣かせにきたわけではない文章だったと思います…
でも、私にとっては心が揺さぶられた言葉であり、これから先もこの言葉が心のどこかに残り続ける大切なもの。

今の自分が、23年と8ヶ月生きてきた今の自分が、どれほど多くの人に支えられてきたか、守られてきたか、一気に思い知らされたのでした。

ここ数日、一気に秋の気候になりました。昼時はまだ暖かいものの、朝と夜は冷え込む。でも、夏の暑さがまだ残るために、電車もショッピングモールもカフェも、車内・店内を冷やしてくれています。冷房風の冷えに弱い私には、ちょっぴり苦痛空間…

外の暑さに合わせた服装で乗った車内で冷えに苦しんだ経験だったり、持っているカーディガンの4割は、ショッピングモールの寒さに耐えられずに購入したものだったり…

もう夏から秋にかけての過ごし方だって、たった23歳。されど23歳。23回経験しているので、だいたいはわかってきました。今は、季節の変わり目はもちろんのこと、夏真っ只中も、鞄にカーディガン1枚は入れるようにしています(先日は職場でお腹と腰にカイロを貼りました)(夏でも薬局にカイロが陳列されていることに感動しました)。

経験からひとつずつ変わっていく私が、私は少し好きです。

約4年前から生活を大きく変えたコロナウイルス。私たちは、可能な限り感染しないような対策を強いられ、今は慣れたものの、最初は不安も大きいし不便に思うことばかり。それでも私は手洗いうがいマスク着用の最低限のことから、必ず鞄に1本の消毒スプレーを、大人数で会わないこと、外食をしないこと。感染から守る様々な対策をし、この4年間1度もコロナウイルスに感染をしませんでした。もちろんこれからも対策を続けていきますが、この “対策”(=事前準備)がどれほど大切なものなのか、この世界を大きく変えた感染症に教わりました。

それからというもの、日焼けをしてからの対策ではなく、日焼けをしないような対策を。熱中症になってからの対策ではなく、熱中症にならない対策を。そして夏の冷房冷え対策。冬の冷え対策。たとえ、ただのお散歩でも何か買って帰るかもしれないからエコバックを持つ。

などなど、様々な “対策” “事前準備” を心掛けるようになりました。簡単なことに思えて、実はこの事前準備って忘れがちなものですよね。忘れがちだし、少し面倒。しかも、1回、1日、の話ではなく、毎日続けることで効果が見られるものも多いです。

それを続けている私。偉くないですか!

だなんて思って、そんな自分が少し好きなわけであります。


前置きが長くなりましたが、私はそうして1日1日、対策・事前準備をしながら生活していることを、自分自身が実際に苦痛を覚えた経験(夏のショッピングモールの寒さの話)や、日焼けした後悔といった自分の感情により、行えているものだと思っていました。

でも、違いました。
思い出したんです。


『ヒトミさんの恋』より、“季節の変わり目をお母さんが教えてくれていたあの頃”。

そうです。私が今していることは、私が小さい頃、全部母が私に言ってくれていたことでした。

“今日は冷えるから上着持って行きなさい”
“その格好、電車で寒いんじゃない?”
“外暑いから小さいペットボトルのお茶、冷やしておいたよ”
“夏のお弁当は危ないから保冷剤付けてね”
“そろそろ毛布出して洗濯しておくね”

たくさんたくさんあります。

“季節の変わり目をお母さんが教えてくれていたあの頃” 。思い返せば、今私が自分でできている “〇〇対策” は、小さい頃の私が母から教えてもらったこと。そして、小さい頃の私が、今の私になるまで覚えていてくれたんだね。

もちろん、口うるさく思ったことも、服装に文句言われるのも嫌だなあと思ったことも(おしゃれしたかったんだもん!)たくさんあったのだろうけれど。

でも、今私が私にしてあげられることは、できることは、すべて母から受け継いだ大切な贈りものであることに気づきました。母が私を守ってくれた贈りもの

それだけではありません。母だけではありません。学校の先生も、学校での教育も。

私が通っていた高校は、授業前後の挨拶の時に、必ずブレザーを羽織り、前のボタンを締め、きちんとした正装で挨拶をさせる学校でした。できていない生徒がいるとやり直しをさせるくらい徹底している先生もいらっしゃいました。
特に反抗する理由も、反抗するような性格でもなかったので、言われた通りにしていましたが、「そこまでする?」とは、まあ、思っておりました。

でも、いつかのあの時間と、これからくるあの時間、不思議と繋がっているものですね。

社会人になり、スーツでお仕事をした時。お仕事をするお相手が来るまでジャケットのボタンを外していた私は、お相手が到着した時、席を立ち、無意識にジャケットのボタンを閉めていました。

なんと…「あ、すごい。しっかりされていますね。」の一言が!

嬉しかったです。(褒められた…!私ってしっかりしてるんだ…!)だなんて心の中で思っていた私。今思うとお恥ずかしい。違うよ~!学校の先生がその日のために教育してくださっていたんだよ~!と教えてあげたい。

きっと、母や先生だけでないのでしょう。

友達、その時お付き合いしていた人。よく行くカフェで 「“いつも”ありがとうございます」と声をかけてくれる店員さんも。商品を購入するだけでなく、効果や使い方まで丁寧に笑顔で教えてくれたあの店員さんも。エレベーターを先に降りるよう譲ってくれたあの人も。

益田さんの本の中でサワコさんが綴った言葉のように、いつかどこかで、あの時かけてくれた言葉が、あの時私に向けてくれた笑顔が、優しさが、いつか来る日の私を成長させているのだと思いました。いつか来る日の私を守ってくれているのだと思いました。

そしてそれと同時に、大袈裟かもしれないけれど、私のこの身体。この23年と8ヶ月。そうやって、毎日毎日、誰かが守ってくれた命なんだとも思いました。ううん。きっと、毎日誰かに守られてきた命です。


“季節の変わり目をお母さんが教えてくれていたあの頃”

この言葉が、ここまで深く考える一言になるとは、益田さんはきっと思っていないだろうけれど、私にとってはすごくすごく感銘を受け、人の命の尊さを改めて考えさせられる言葉でした。

だから、涙が止まらなくなった。母に “ありがとう” を言いたくなった。そばにいてくれるあの人、辛いときに声をかけてくれた人、私が気づいていないだけで、こっそり守ってくれていた人もいるでしょう。命を繋げてくれた人すべてに “ありがとう” を言いたくなりました。

でも、全員には言えないから。
心の中で想うはもちろんのこと。

“誰かが生きたかった明日だ” とか “生きたかったけれど生きられなかった人がいる” とか。私はたちはその為に生きなければいけないのではなく、その為に命が大切なのではなく、

今日この日まで、私だけに与えられたたったひとつの命を、その命のために、守ってくれた人がいるから。だから、辛くとも苦しくとも、生きていきます。

“季節の変わり目をお母さんが教えてくれていたあの頃”

きっとこれから、後ろ向きになり涙を溢そうとも、この言葉を思い出し、この言葉に触れ揺れた心を思い出し、今これをパソコンで打っている私の手。これからも支えてくれる私の足。誰かを救ったことがある私の声。今も動いてくれている身体すべて。それが、私の力ではなく、守ってくれたすべての人のおかげである命だということを思い出し、前を向いていくのだと思います。

私は守られて生きてきました。これからも大切な人に、一緒に暮らす猫ちゃんに、知らず知らずにも、守られていく。そしていつか、私も誰かの人生のたった一瞬の時間でも守れる人になりたいと思いました。

守られ、守って生きていく。その守られた命は、かけがえのない宝物です。

“季節の変わり目をお母さんが教えてくれていたあの頃”

あの頃があるから今の私がいる。母にも小さい私にも、" ありがとう" を。

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