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アブストラクトゲームはなぜそう呼ばれているのか

もしあなたが「アブストラクトゲーム」という言葉を聞いたことがなくても、「チェスや将棋、囲碁やオセロのようなゲームのことだよ」と聞けば、「ああ、そういう「そっけない」感じのゲームね」と、おおまかなイメージがつかめるかもしれません。この言葉はボードゲームの世界で流通している用語なのですが、以下のような二通りの意味があり、慣れない人をいささか当惑させる言葉になっています。

1.運の要素がない(ダイスを振ったりカードを引いたりしない)ゲーム
2.テーマ(SF、ファンタジー、戦争、歴史、etc…)がないか、薄いゲーム

現在ボードゲーム用語を解説する日本語のページは少なくないのですが、ほとんどの解説で上記の二通りの意味に触れています。そしてどちらかと言えば1の意味を重視する傾向があるようで、ボードゲーム情報サイト「ボドゲーマ」の説明では、2の意味で用いるのは誤用としています。

しかし「アブストラクト」(抽象)という言葉から直接導けそうなのは2の意味のほうです。日本語の「アブストラクトゲーム」は英語のAbstract Strategy Games (アブストラクト ストラテジー ゲーム、抽象戦略ゲーム)から来ていますが、「抽象」にしろ「戦略」にしろそれらの辞書的な定義自体には「運の要素がない」という意味はありません。この言葉、どういう経緯で現在の意味が定着したのでしょうか。

「アブストラクトを定義する」

ネット上でAbstract Strategy Gamesの説明記事を辿っていくと、J. Mark Thompsonによる 'Defining the Abstract'(アブストラクトを定義する)という記事に行き当たります。日付は2000年1月で、ウェブ上で明確な定義とともにこの言葉を使用している例としてはおそらく最古の文章です。

掲載媒体であるウェブ月刊誌 "The Games Journal" は休刊しているもののアーカイブは公開され続けており、ネット上でのこの言葉の普及や確認に一定の役割を担っているとみられます。そしてこの文章は、以下にみるように ”Abstract Strategy Games" のほぼ完璧な解説になっています。

私がもっとも興味を惹かれるのはアブストラクト・ストラテジーゲームだ。この「アブストラクト」という言葉がなぜ使われるかというと、これらのゲームには通常、テーマがないか、あるいはこれらのゲームのプレイ体験においてはテーマが重要でないからである。したがってアブストラクトゲームはもっとも純粋なゲームであると言える。例えばチェスだが、これはしばしば中世の軍隊どうしの戦争をテーマにしていると言われるものの、明らかにアブストラクト・ストラテジーゲームである。駒の名称をのぞけば、ゲーム自体に戦争を想起させるものはなく、むしろ幾何学的なパターンを想起させる。

アブストラクト・ストラテジーゲームはさらに偶然の要素を最小化する。このようなゲームの定義には完全情報が不可欠である。つまり各プレイヤーには、自分の行動を決定する際、ボード上の位置情報が完全に与えられていなければならない(中略)。またダイスやカード、アトランダムに引くドミノといったメカニズムによって導入される運の要素があってはならない。従ってバックギャモンはアブストラクト・ストラテジーゲームではない。

またプレイヤーは交互に行動しなければならない(ロボラリーのように同時に行動するのではなく)。プレイヤーが2人よりも多くなると、早期のアドバンテージを得るための一時的な同盟がどのようなプレイヤーも打ち負かし、戦略が政治に負けてしまう。このため通常は2人のゲームである。

ー J. Mark Thompson "Defining the Abstract"

トンプソンの定義する「アブストラクト・ストラテジーゲーム」の要件は以下の5点にまとめることができます。

      1. (通常は)テーマがない
      2. 完全情報ゲームである
      3. 運を導入するメカニクスがない
      4. ターンベースである
      5.(おおむね)2人用である

2~5はいずれもゲームのシステムから不確定要素を排除するための条件ですが、注目したいのはアブストラクト・ストラテジーゲーム / アブストラクトゲームの「アブストラクト」とは「テーマがないこと」に由来するものだと言っていること、そしてアブストラクト・ストラテジーゲームとは「テーマがない(1)」と「運などの不確定要素がない(2~5)」のどちらかを指すのではなく、(通常は)両方を備えているゲームだと言っていることです。従って、ゲーム用語としての「アブストラクト」が「運要素がないという意味と、テーマがないという意味の2通りがある」といった解説の仕方は、少なくともトンプソンの定義を本義とするのであれば間違っているということになりそうです。

もっともこのトンプソンの文章には「後日談」があり、2015年の "Game & Puzzle Design" に "Defining the Abstract" が再録された際、歴史的文脈を補足した本人の解説文で、「テーマ」については「実はそんなに重要じゃない」というようなことを書いています。

よく誤解されるが、私がこの用語を発明したわけではない。私は新語を作りあげるつもりはなく、ゲームプレイ・コミュニティの間ですでに存在していた言葉を解説しようとしたにすぎない。ところが、私の文章はこの用語の普及を加速させ、当のコミュニティの隅々まで浸透させることになったようだ。

「アブストラクト」という語は、これらのゲームにおけるテーマの欠如を強調しすぎており、私はたしかにこれらのゲームが通常はテーマを欠いていると述べたが、多くの人が認めるようにこの特徴は本質的ではなく、ただプレゼンテーションにのみ関わるものである。

ー J. Mark Thompson 'Appendix A: Historical Context' "Game & Puzzle Design" vol,1, no.1, p.86

テーマがないからという理由で「アブストラクト・ストラテジー」と呼ばれていたものの、その「テーマのなさ」は「アブストラクト・ストラテジー」にとって本質的な特徴というわけではない、とその言葉を普及させた当人が認めているわけです。この言葉を作ったわけではないトンプソンに責任を問えるわけではありませんが、これでは聞きなれない人が当惑するのも当然かもしれません。

トンプソン以前の用例

トンプソンが釈明しているように、「アブストラクトを定義する」以前にもAbstract Strategy Gamesという言葉は存在し流通していました。Google Booksで "Abstract Strategy" などを検索してみると、誰が使い始めたのかといったことは判然としないものの、1970年代後半あたりからとくにコンピュータ関連の書誌で用例が増えていることがわかります。用例といってもほとんどがチェスやチェッカーなどの総称として使用しているにとどまるようですが、案外、コンピュータゲームの分野で使われ始めた「アブストラクト・ストラテジー」という言葉がボードゲームの世界に流入した、という可能性もあるかもしれません。

シド・サクソンの著作 "a Gamut of Games"(邦訳『シド・サクソンのゲーム大全』)第2版(1982年)では、巻末付録のレビュー集のカテゴリのひとつに"Abstract Strategy Games" があり、「完全に、またはほぼ完全にプレイヤーの技能 (skill) によって勝負が決まるもの」と簡潔に定義されています。これだけだとテーマに関しては度外視しているように見えますが、ここにまとめられている1960~80年代の41タイトルのゲームを見ていくと、完全情報でない「ダウン・ザ・チューブ」「インナーサークル」「トゥシェ」、 ターン制でない「ムーンスター」、ダイスの目をもとに動く「クィンテセンス」など、ゲームシステムに関してはトンプソンの定義からはずれるものが少なからず含まれていることがわかります。

逆に確認できる限りでははっきりしたテーマを持つものはなく、運要素のない戦争ゲーム「コンクエスト」はアブストラクトではなく「戦争・戦闘ゲーム」のカテゴリに入れられているなど、定義で触れられていないものの「テーマのなさ」がここでの「アブストラクト・ストラテジー」の暗黙の要件になっていることがうかがえます。ゲームを振り分ける際の都合などもあったのかもしれませんが、実態としてこの項目で扱われているのは「運よりはプレイヤーのスキルが重視される、テーマを持たないゲーム群」のようです。

このようにトンプソン以前の用例を見てみると、Abstract Strategyという言葉はもともと厳密な定義のもとにボードゲームを分類するための言葉というよりは、既に存在するチェスやチェッカー、囲碁や五目並べといった運要素のない古典的なゲーム群を大雑把に指したり、それらとある程度特徴を同じくする新しいゲームを指すのに使われていた割とルーズな言葉だったようにも思えます。


なお、邦訳『シド・サクソンのゲーム大全』は、ありがたいことに1969年初版と以降の版との相違が細かく記されており、初版では「アブストラクト・ストラテジー」のカテゴリがなく、代わりに「ストラテジーゲーム」(Strategy Games)というカテゴリにこのタイプのゲームが振り分けられていることがわかります。またBoardGameGeek等で60年代の著名なアブストラクトゲーム、ツィクスト(1962)、ブレイクスルー(1965)などの当時のパッケージや説明書を確認してみると、「Abstract」の語はまだ使われておらず、「Strategy Game」や「Strategic Game」が宣伝文句として使われているのが見て取れます。

これらを見ても、60年代まではまだ「Abstract Strategy」はゲーム用語としては普及しておらず、70年代から80年代以降に徐々に知られるようになったと考えるのが妥当なようです。ちなみに先の補足文章でトンプソンは「10年以上前に娯楽数学(recreational mathematics)の本で見て覚えた言葉だったと回想しています。

「テーマ」はどこから来たのか

上記の引用で、トンプソン氏がチェスに対して「戦争を想起させるものがない」としてそのテーマ性を否定していましたが、これについては釈然としない人もいるかもしれません。例えば前にしか進めないチェスのポーンや将棋の歩は、戦争で使い捨てられる歩兵という趣が確かにあるし、自軍にいくら駒が残っていても王を取られたら即座に負けになるというルールも、王権の強かった古代中世の戦争というイメージに即していそうです。もしこれらのゲームの駒の機能が単なる矢印などで記されていたとしたら、同じようにルールに沿ってプレイすることは可能だとしても、そのゲームとしての魅力はだいぶ減じてしまうのではないでしょうか。

アブストラクトゲームの代表格であるチェスは「テーマを欠いたゲーム」と言えるのか、という点についてはやはりたびたび議論されているようです。例えば David Parlett "The Oxford History of Board Games"(オックスフォード版ボードゲームの歴史)では、ボードゲームを純粋にテーマ性の観点から「アブストラクト」(抽象)と「リプレゼンテイショナル」(具象)とに分ける可能性について論じており、チェスをいったんはトンプソンと同様に「アブストラクト」だとするものの、あるゲームがどの程度具象的かということは、そのゲームがプレイされる時代状況やプレイヤーの想像力に依存するのであって、ゲームの分類として厳密にそのような区別を行うことは難しいと述べています。

チェスは、その考案者や初期のプレイヤーにとっては、比較的近代のゲームであるモノポリーが我々にとってそうであるのと同程度に具象的なものであった。とりわけ、それが戦争の基礎に関する教育上の価値があると見なされていたことを考えれば。我々が今日抽象的(abstract)だと考えている伝統的なゲームのほとんどすべては、その当時においては具象的、あるいは少なくとも象徴的なものだと見なされていた。ダイスの目に従い、穴でできたコースの上で小石を動かしていく単純なプロセスも、現実世界の競走を表していると広く捉えられていたし、「蛇と梯子」の前身は道徳を教えるためのゲームであった。

-David Parlett "Oxford History of Board Games" p.5

この前後でパーレットが技術的なことについて言及しているわけではないのですが、たとえば製造技術の発展によって、以前の世代において具象的であったものがそうと感じられなくなる、ということはあり得そうです。実際のところ、現代に生きる我々が特定のボードゲームについて「テーマがある」とカジュアルに判断しているのは、おおかたは「そのゲームのテーマを明示するような、カラフルで具象的なイラストがパッケージやボードに描かれているかどうか」によってではないでしょうか。そのようなゲームがあふれている現代にあって、モノクロームの駒に比較的素朴な彫刻が施されているだけのチェスのようなゲームは、十分「具象的」に感じられない、というわけです。

ではそのような「カラフルで具象的なイラスト」を使ったボードゲームはいつ出てきたのかというと、「ガチョウのゲーム」がそれにあたるようです。

ガチョウのゲームは16世紀ヨーロッパで流行したゲームで、わかりやすく言えば「西洋絵すごろく」です。ダイスの目にそって駒を動かし、いちはやく63マス目のゴールに到達したプレイヤーが勝利します。伝統的にガチョウをモチーフにしたボードが使用されることからこのように呼ばれます(ガチョウはイタリアで幸運を呼ぶ動物とされています)。

16世紀に流行した、といってもそこですたれたわけではなく、その後何世紀にもわたり改良やヴァリエーションを加えながら各国で製造(印刷)され続けました。初期のものは素朴なデザインだったようですが、エイドリアン・セビル著『西洋アンティーク・ボードゲーム』では、19世紀西洋における、ほかの動物や教育、歴史、地理などのテーマを使用した種々の色鮮やかな「ガチョウのゲーム」のコレクションを見ることができます(パーレットが「『蛇と梯子』の前身」と言っているのもこの種のゲームです)。

西洋では何世紀にもわたって、印刷されたボードを使うゲームと言えば一般にこの「ガチョウのゲーム」(またはそのヴァリエーション)だったのであり、そのエッセンスは現代の「人生ゲーム」や「モノポリー」に受け継がれています。

ユーロゲームとアブストラクト

今日ボードゲームを趣味とする人々が一般に楽しんでいるような、ゲームデザイナーの主導で毎年新作が作られる多種多様なボードゲームは「ドイツゲーム」や「ユーロゲーム」などと総称されています(現代のデザイナーによるカードゲームやアブストラクトゲームも含まれます)。

スチュワート・ウッズ著『ユーロゲーム』は、このユーロゲームの出現した歴史的背景やその特性を包括的に論じた著作ですが、現代のボードゲームをその歴史・経済・文化的背景から以下の3つに大別して論じています。

  • 古典ゲーム - チェス、チェッカー、将棋、囲碁など、作者のいない古いゲームで、大半はアブストラクト。

  • 一般市場ゲーム - 19世紀~20世紀のある時期に作られて大ヒットし、権利をもつ特定のパブリッシャーから繰り返し大量生産され続けているマス市場向けのゲーム。人生ゲーム、モノポリー、スクラブルなどが含まれる。

  • ホビーゲーム - 特定の趣味層に向けて作られているゲーム。ユーロゲームのほか、ユーロゲームの台頭以前から存在するウォーゲーム、ロールプレイングゲーム、トレーディングカードゲームなどのジャンルが含まれる。

同書によれば、ユーロゲームの源流はシド・サクソンやアレックス・ランドルフが中心デザイナーとして活動したドイツの3Mのゲーム、とりわけサクソンのアクワイア(1964)に求められると考えられています。

アクワイアは投資をテーマにした運の要素があるゲームですが、3Mは同じ「ブックシェルフ」シリーズ(革装本を模したパッケージのシリーズ)として、チェスや囲碁、バックギャモンなどと並んで新作のアブストラクトゲームを出版しています。前に挙げたツィクストやブレイクスルー(ともにアレックス・ランドルフ作)がそれで、3Mからではありませんがサクソンのフォーカスも同時期にドイツのコスモスから出版されました。このうちブレイクスルーは海洋戦というテーマが明らかですが、ゲーム自体は中世のタフルゲームの改作であり、いずれも古典的なアブストラクトの延長上にあるものとして自然に捉えることができるゲームです。

前々節でみたように、当時はまだ「アブストラクト・ストラテジー」という言葉は普及していなかったと見られますが、このようにボードゲーム史をたどってみると、ある時期までは「運要素のないゲーム」はすなわちチェスやチェッカーなどと同じカテゴリとして自然に捉えらえるゲーム、つまり運要素がないと同時にテーマ性がない(か、重要でない)ゲームであり、他方で「テーマ性があるゲーム」はすなわち「運要素のあるゲーム」でもある、という状況が続いていたのということがわかります(それらの脇には「運要素がありテーマがないゲーム」群も、特にカテゴライズされずに存在していたわけですが)。

しかし、現代のボードゲームの目録には「運の要素がないが、明らかにチェスやチェッカーのような古典ゲームの延長戦上にはないゲーム」が少なからず存在します。ケイラス(2005)のようなゲームです。

ケイラスは「ワーカープレイスメント」と呼ばれるメカニクスを普及させたことで知られるゲームで、プレイヤーはあらかじめ公開されているアクション決定の場に「ワーカー駒」を順番に配置することによって独占的に特定のアクションを行うようになっており、セットアップ時の共通ボードへのランダムなタイル設置はあるものの運要素はありません。しかし全体としてはユーロゲームの立役者であるカタンの開拓者(1995)と同じように、リソースを集めて数種類ある達成課題をクリアすることで得点を集めていくタイプのゲームであり、チェスやチェッカーなどとは似ても似つかないゲームです。

BoardGameGeekのランキング上位層には、このようなワーカープレイスメントのメカニクスを使用するアグリコラ(2012)やアルルの丘(2014)のほか、テラ・ミスティカ(2012)やガイア・プロジェクト(2017)、インペリアル(2006)、ザ・グレート・ジンバブエ(2012)といった、運要素を排除しつつも明確なテーマ性(物語性や世界観)を持つ、古典ゲームとは関係を持たないようなユーロゲームが「例外」として片づけられないほどには多く入っています。こうしたゲームを「運要素のなさ」から「アブストラクト」だと捉える人も一定数いるのですが、そうすると「アブストラクト」に含まれていた「テーマがない」という意味と不整合を起こすことになります。

つまり「運要素のないゲーム」といえばすなわちチェスやチェッカーと類比的に捉えられるようなゲームであり、そうでないゲームはごく少数しか知られていなかった時代には「運要素のなさ」と「テーマ性のなさ」がセットになった「アブストラクト・ストラテジー」は自然かつ使い勝手のよい言葉だったのですが、新たなゲームメカニクスが開拓され精緻化されていき、「そうではない」ゲームが増えた結果、「運要素のなさ」と「テーマ性のなさ」の結びつきは必然的なものではなくなってしまった。現代において「アブストラクト・ストラテジー」が二重の意味をもつ曖昧な言葉になってしまっているのは、こうした背景があるのではないでしょうか。

アブストラクトとコンビナトリアル

上記のような状況を受けたものか、BoardGameGeek(BGG)では2015年から、テーマの有無とは関係なく、運要素を厳密に排除としたゲームのための分類としてCombinatorial Gamesというカテゴリを新たに設けました。コンビナトリアルゲームは古典ゲームをAIプレイヤーによって解析するために利用されている数学分野の理論で、ライフゲームの考案者ジョン・コンウェイらによる "Winning Ways for Your Mathematical Plays"(初版1982年)がその分野の代表的な著作として知られています。

伝統的には「コンビナトリアルゲーム」は「手番を遂行できなくなったプレイヤーが負ける」「引き分けが起こらない」ゲームと規定されているのですが、理論を拡張することでチェス、チェッカーのようなゲームにも応用が可能だということで、「運要素のないゲーム」を包括するものとして使用されるようになりました。かといって、多人数アブストラクトやケイラスのようなタイプのゲームまで扱える理論なのかは疑問の余地がありそうですが、BGGではそれらも含めて「テーマの有無に関係なく運要素のないゲームをまとめるカテゴリ」として扱われているようです。

一方でAbstract Strategy / Abstractのほうは、運を完全に排除するでもなく、テーマを完全に排除するわけでもないという、なんとも実態のつかみにくい分類になってしまっており、これは日本語の同種のウェブサイトであるボドゲーマの「アブストラクト」カテゴリにも共通しています。とはいえBGGやボドゲーマのように、多くの人が情報を寄せる形式のウェブサイトではあまり厳格な定義付けはそぐわないという事情があるでしょうし、デメリットばかりでもないと思うので、こうした状況を早急に改善すべきといった意見は私にはありません。

ただ、私を含めアブストラクトゲームの愛好者というのは、比較的シンプルなルールと最小限の要素で構成される、古典ゲームにどこか通じるような風格を持つゲームを一般に好んでいるのであり、運要素がないからという理由でケイラスのような複雑なメカニクスを持つ拡大再生産型のゲームをこれらと同一視したりはしていないと思います(もちろん、両方のタイプのゲームを楽しんでいる人はたくさんいるのですが)。

自分たちの好む「アブストラクト」という分野について他者に説明するときに、まずそのような言葉の食い違いから解きほぐさなくてはならない、というあたりが、このジャンルにさらにニッチな雰囲気を与えているようなところがあるのかなという気がしています。

参考文献

  • シド・サクソン『シド・サクソンのゲーム大全』竹田原裕介 訳、ニューゲームズオーダー、2017年

  • エイドリアン・セビル『西洋アンティーク・ボードゲーム 19世紀に愛された遊びの世界』鍋倉僚介 訳、日経ナショナルジオグラフィック社、2021年 

  • スチュワート・ウッズ『ユーロゲーム ― 現代欧州ボードゲームのデザイン・文化・プレイ』沢田大樹、 山本拓 訳、ニューゲームズオーダー、2021年

  • Geoffrey Engelstein, Isaac Shalev『ゲームメカニクス大全 ボードゲームに学ぶ「おもしろさ」の仕掛け』小野卓也訳、翔泳社、2020年

  • Sid Sackson "A Gamut of Games" Pantheon Books, 1982

  • David Parlett "Oxford History of Board Games" Echo Point Books & Media, 2018

  • Cameron Browne (ed) "Game & Puzzle Design" vol. 1, no. 1, 2015

  • J. Mark Thompson "Defining the Abstract" The Games Journal, 2000

  • 中島雅弘 「アブストラクトゲームとは」 アブストラクトゲーム博物館、2022-03参照



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