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永遠に思えるバーチャルだからこそ終わりは儚いし尊いものだ

今、衝動的に筆をとっている。蒼月エリの引退配信の後だから……と言えば分かってくれる人も多いんじゃないだろうか。泣いた。感動した。そんな陳腐な言葉じゃ語り切れないくらいの感動を彼女は与えてくれた。
まず、お疲れさまでした。そして、ありがとう

今までありがとう。【蒼月エリ / ハニスト】

VTuberの引退について話そう

 「VTuberは永遠に終わらない日常系アニメのようなものだ」
そんなことを昔、さはなが言っていたような気がする。概してVTuber初期に語られていた言説だ。うん、確かにすんと落ちてくるような説得力がある。特に突拍子もないことは起きにくいし、現実時間の無慈悲さと比べて、バーチャルは年も取らない。推し同士の関係性は非常に尊いものばかりだ。

でも、実際はどうだろう? この界隈が成熟して早一年となるが、僕たちは数々の引退を目撃してきた。VTuberを追うもので推しの引退を経験していない人の方が少数派かもしれない。

推しの引退は精神的に大きなダメージとなる。
例え、それが前向きな方向であっても。
僕たちは何とも言えない喪失感を抱き続けることになる。

VTuberをの引退はなぜこんなに寂しいのだろうか。

まず、一つ目は終わりが分かりにくいからだろう。
スポーツ選手などでは、成績の下落、高齢化などによってなんとなく、引退の時期がわかる。アイドルなども同様だろう。それぞれ、なんとなく引退する時期が決まっている。

一方、VTuberに引退時期はない。視聴者もまさか引退するとは思っていない。外見的にも分かりにくい。基本的には永遠とも思える時間を視聴者と共有して、共に仲を育み応援していける。

つまり、往々にしてVTuberの引退は突然だ。

二つ目は、引退してしまったVTuberは二度と会えないからだ

アイドルにしろ、スポーツ選手にしろ、あくまでその界隈を引退したというだけであって、この世界のどこかに生きている。その人の人格はそのままで世界のどこかにはいる。つまり、私たちは観測しにくいだけであって、もしかしたら会える可能性を否定できない。

VTuberはどうだろう? VTuberのキャラクターは魂あってのものであることは誰も否定できないだろうが、果たして魂がVTuberのそのものであろうか? そうではないVTuberが多いだろう。

例としてシロちゃんを考えてみると分かりやすい。現在のシロちゃんのキャラクターは魂のキャラクターと元々の設定、そして私たちのコミュニケーションを通じて育まれ形成されたものだ。つまり、唯一無二であって決して他の存在で代用できるものではない。僕たちの記憶そのものと言っても過言ではない。

引退したVTuberは帰ってこない

どこの世界に於いてもいないのだ。例え、バーチャルでもリアルでも

僕たちは二度と会えないし、話せない。そんな耐えがたい苦痛がそこにはVTuberの引退には込められている。

でも、VTuberは「ナマモノ」だ。終わりがないVTuberなんてどこにもいない。彼女たちはいつか絶対に引退してしまう。
もしかしたら、そんなことを僕たちはどこかで分かっているから、彼女たちにハマるのかもしれない。一瞬しかない輝きを全力で推す。こんな素晴らしいこと他にあるか?

前向きな引退であるほど、なおさら苦しい。

もちろん、笑顔で送ってあげたい。そんなことは山々だ。でも、推しに会えないという寂しさは何かで埋められるものではない。ただ、笑顔で引退を見送るのみだ。
それだけしかできないのか……と自信を嘆いたりもする。彼女が選んだことだから、仕方ないと自分に言い聞かせたりする。

そして最後に「お疲れ様」と打つコメントで涙で滲む。いつも打っているコメントなのに

しばらくして、ふとTwitterをみたとき、いつも見ていたあのアイコンがどこにも存在しない。Youtubeのチャンネル登録者の一覧から推しがどんどん下がっていく……

そんなことを繰り返して、僕たちはまた動画や配信に向かうのだ。

VTuber好きのオタクよ。あなたたちはすごいぞ。

そして、推しは推せるときに全力で推せ!!


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