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私は今、夜明けを待ちながら。〈長文noteシーズン1〉

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作家になるには文芸誌の新人賞をとってデビューするしかないのだろうか――? 賞レースに敗れ続け、自費出版の可能性も金銭的に難しいと知り、あとはもう小説投稿サイトで奇跡を夢みるしかな… もっと読む
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#覚悟

「2020、私はnoteに小説をアップする」と心が静かに定まったんだ。

頭をからにして掃除機をかけながら心を自由に泳がせていたら、「よし。2020年はnoteに小説をアップしよう」と心が静かに定まるのを感じた。“私は何を怖がっていたのだろう……いや、怖がってはいないな、ケチケチしてたんだな、それと『賞』が……やっぱり『新人賞』が、欲しかったんだ、あきらめられなかった、あきらめたくなかったんだ。わかってる&わかってた。だからまたチャレンジを続けたんだ。そして結果は出なかった。どこまで行っても「ゼロ」。相変わらずの「夜明け前」。だけど、もう一度挑戦し

2019水瓶座の季節に思うこと(それは山羊座の最後の度数を越え、獅子座の満月&月食をさらに超えてやって来た。そしておそらくは「予告編」)

水瓶座の季節に突入してからというもの、すでに『2月』の気分になっていて、「あれ?」と思うことが多くなっている。……なんだろう、この感じ。今年がはじまって、まだ『1月』すら終わっていないなんて………相変わらず、実感?体感?がズレている&ますますズレてきているな…………と、まぁしかし、こんなのは今にはじまったことじゃない、か。 もう何年も“明けた”感じを味わっていない。もっと深い意味で言ったら、40年生きてきて、“明けた”と感じたことなんてあっただろうか? そもそも、それを求めも

2019水瓶座の新月を越えて、超えて、今ここにまた1つの決意を(たぶんこれは「しばしの別れ編」)

人生が――つまり「時間」が有限だということを、日々心に留めて生きている人はどれだけいるだろう? すべての人間に平等に与えられているものは「一個の命」と「一日が24時間」ということくらいで(あとは「死」もか)、どんなにお金があっても、その人の一日を100時間くらいにすることはできないし、どんなに暇を持て余していても、その暇=時間を本当の意味で売ったり譲ったりすることはできない。 今日のあなたの「一日」と、今日の私の「一日」は、どちらも同じ「24時間」(しかない?/もある?)で、

「平成」と「令和」の挟間に、思考と感情を漂わせて。

やっぱり私は、書いていないとダメなのだ。心のバランスが保てなくなる。物理的にも、エネルギーバランスがおかしなことになってしまう。そして何より――と今一番に思うのは、“「謙虚さ」が失われていく”ということ。 そう、「謙虚さ」。私はこれを「書く(創作する=物語を綴る)」という行為の中で学んだ。いつの間にか自然と感じられるようになってきた・なっていた。そしてこの「謙虚さ」が、日々を生きる上でどれだけ私を“よい感じ”に保ってくれていたかを、創作の日々から離れるたびに痛感させられる・さ

双子座の新月に、勝手に、おおいに、夢を語ろう。

さっきまでnoteを書く気なんて全然なかったのだけれど(しかも時間もあまりない)、心を無にして皿を洗っていたら、なんだかむくむくと夢を語りたくなったので、そして今日は「双子座の新月」なので、時間いっぱい駆け足で(?)書いてみようと思う。 * 今の私には、『本』にしたい作品がある。タイトルは……ここではまだ秘密にしておこう(魔法をかけてる最中だから)。一度「完成」を迎えてから(どこまでいったら「完成」なのか? なんてことを考えながら執筆・修正・読み返し……などなどしていたの

「木星×射手座期」の「射手座の満月」に、内なる「土星」と「木星」を見つめてみた話。

『海獣の子供』を観たあとは、「私たちの中にも宇宙があるんだよ」とか書いても、以前より伝わる人がいる気がする。……だからなのか、関係ないのか、射手座の満月を越えた今、ふと、予定していた文章(『湖』の感想でもまとめてみようかと思っていたのだ)を取りやめて、これを書く。書いている。 昨日の「射手座の満月」(すぐ近くには「木星」も)に合わせて、私は数年前の「土星×射手座時代(2015.09.18.〜2017.12.20.)」に想いを馳せていた。 ちなみに……この辺(2015.09