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笠原メイは言う、「私、長い長い手紙をもらうのが好きなんだ。誰も書いてくれないけれど」と。私は答える、「私も!」と。だから……

ここだよ、ここだよ、私は今、2019年5月17日、金曜日の午後にいるよ。
天王星×牡牛座時代の、牡牛座の季節。金星も牡牛座へ、火星は蟹座へ、そして蠍座入りした月はすでに満月モード(ジャスト満月は19日の6:11頃。つまり明日18日の夜のほうが満月に近いってことか。しかもこのタイミングで金星と天王星がコンジャンクションとか?なんだかすごそう……)。
ここを越えたら、太陽は今年も元気に双子座へ――って、巡っていますね、廻っています。“この流れに乗りたい! 乗りこなしたい!!” いつだってそんな気持ちで眺める「星読み」。それは私をどこへ運んでいくのだろう。どこかへ運んでくれることなんて、あるのかな? 可能なのかな? 結局いつだって、自分で、自力で、行くしかないのかな……?? いずれにしろ、宇宙に、星々に、励まされてここにいる。

ねぇ。この話は前にもしたような気がするのだけれど、『ねじまき鳥クロニクル』の『第2部 予言する鳥編』の『16 笠原メイの家に起こった唯一の悪いこと、笠原メイのぐしゃぐしゃとした熱源についての考察』の最後のところで、彼女が「もしクレタ島に行ったら、私に手紙を書いてね、ねじまき鳥さん。私、長い長い手紙をもらうのが好きなんだ。誰も書いてくれないけれど」って言うでしょう? あそこ読むたびに私、「私も!」って毎回強く思うのね。

(ところで、こうして本を傍らに文章を書き写すのって、写経?とか模写?みたいで、なんだか心がとっても落ち着くね。写経?も模写?も、したことないけど。そしてね、例えばこの「誰も書いてくれないけれど」は、「誰も書いてくれないけれど」でも「誰も書いてくれないけど」でもダメで、絶対に――とあえて私は言いたいのだけれど、「誰も書いてくれないけれど」じゃなきゃダメなの。これが「正解」なの。ってことを、読むだけじゃなく書き写してみたことで、“ますます確信したわ”ってことを、ここに付け加えておきたい今日の私です。全部意味は同じでも、音やリズムが微妙に違う。それを感じられる&感じたい私だから、今日もこうしてここにいて、コリコリコリコリ文字を綴っているのでしょうか……いるのでしょうね。)

って、話を戻すね。私、笠原メイのあそこのカギカッコ読むたびに「私も!」って毎回強く思うわけ。
でね、だから私には『物語』が必要で、『本』が大好きで(でも『本』ならなんでもいいってわけじゃないよ)、大好きな本の中の登場人物たちを“心の友”のように愛おしく思えて……。うん、だからこそ(!)。私はこんなふうにこの道を、ひとり孤独と手を組んで、さらには時間を「追われるのではなく、味方につけるのだ」って意識しながら、こうして『創作』を、いつの間にか『創作』を、受け取る側から与える側へ、「生み出すほう」を生きてみたい・生きていきたい・生きていく! と、思うようになったのだろうな……って、そういう話、この感覚、全部丸ごとあなたなら、きっと手放しで受け止めてくれるでしょう???



無意識のうちにずっとずっと、『本』さえあれば、そこに『良質な物語』が宿っていれば、“生きていける・生き延びられる”と感じて生きてきた。生き延びてきた。
それがいつの間にか、“それ”だけじゃ物足りなく(?)なってしまった。
私は同じ本を何度も読める。何度も読みたいと思えるほどの『良質な物語』であれば、どんなに金銭的に貧しくても、お金を払って購入し手元に置きたいと思ってしまう。最新の服もいらない、最新の靴もいらない、最新の鞄もいらない。それよりも、何度も楽しめる『良質な物語』がほしい。中でも大好きな特別な『本』は、死んだら一緒に棺桶に入れてほしい。そのくらい、私の心は、魂は、日常的に『物語』を欲している。人生を、救われている。

だから。

もっともっと深く潜れる「環境」がほしい。時間と空間。内的スペース・外的スペース、創作のためのサンクチュアリ。
そして、もっともっと高く飛ぶための……「機会」だろうか? これについてはうまく言えない。今はまだ、それを知らない。ただ、言葉にできるとしたら、“とにかく私は未来の自分の可能性にオープンでありたいんだ”ってことくらいか?


「深く潜って、高く飛ぶ」


そうして私と同じような人たちに、その心に、魂に、届く『物語』を。
この道の先で、世界に放出できたなら、本当に最高。今の夢。
そして、さらなる「その先」へ――。



今日も心の耳を傾けてくれてありがとう。
たぶん、あなたがいるから私がいる。今、ここに。


もうすぐ日が暮れます。
おかげで今日も“魔の夕方”を抜けられました。

いったいいつ逢えるのか……。それを知りたくて、私は今日も宇宙に、星々に、想いを馳せているのでしょう。そうして今夜も眠りに就くのでしょう。
でも大丈夫。この胸の内にある希望の灯火が消えない限り(それを消すことができるのは自分だけ。他人に消すことはできないはずなのだ)、夢は続く。そこに向かおうと「今」を生きる限り、きっと未来は、変化し続ける。可能性は、伸び縮みしながら、呼吸し続ける。

私はそれを、この現実で、この肉体で、実感したいんだ。相変わらずね。


ではでは、私が“相変わらず”を生き延びている限り、またここで。
いつでも好きなときに来て、「今日の私」と出会ってね。




追伸
今日の文章は「自分の『好き』を確認する」ってことだったのかも。
それが今の“パーフェクトなタイミング”であるのだと、私は未来できっと知る。


“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆