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2018秋、今日の気分はイエローゴールド。

10月だ。8月はうねうねと3ヵ月くらいあった気がするのに、9月はいまいち実感がないままスピーディーに過ぎ去って、10月もさくさくと進んでいる。進んでいく。ということは「今年も終わった!」であり、ふとした瞬間にはもう「84歳」だったりするのだろう? 人間の一生なんて、本当に短いものだと思うから……それを感じ続けている限り私は、こうして書かずにはいられないのかもしれない。

40歳。80年生きられるなら、人生の折り返し地点だ。「まだ40年もある」なんてことは、全然思わない。思えない。
そして未だスタートラインにすら立てていないこの現実に、慣れきってしまいたくはないから。自分の尻を叩き続け(ときに撫で)、励まし続け、見失ってしまわないように……今、ここ。
ここには新しい時代の空気みたいなものが流れていて(自由で軽くてフレッシュで、シンプルかつ洗練されていて、流動的なスペースがある感じ。凝り固まってないって大事&好き)、私はここ『note』に未知なる可能性のようなものを感じた。自分を試してみようと思えた。
だけど全然思うように綴れなくて(笑っちゃうほど→泣きたくなるほど。死にたくなるほど、というのもある意味では私の真実)、人気のある記事の「スキ」の数に圧倒されながら、今の自分の現実を思い知ってはますます「書かなきゃ!」って気分になり、だけどそう思えば思うほど「書くこと」が遠くに感じられて、そうか……何かを意識するからダメなんだ、自由になれないんだ……ってスマホの画面でダッシュボードなどをチェックしないように心がけたら、かなり落ち着いて。


参考にすることと比較することは違う。
スルスルと自然に言葉があふれ出し(もちろん何度も立ち止まって考えながら。だけど“ひねり出そう”とするのとは明らかに異なる「自発性」のようなものがそこにはあって)、時間に追い立てられるのではなく時間を忘れるほどに夢中になって(時間を“飛べる”感覚)、そうして綴れているときが私がもっとも“私らしさ”を発揮できるときで――。
研究や勉強も大切なのかもしれないが、ただ「自分“らしく”在ること」――これが意外に難しく、しかし、それを追求・追究していくことこそが、実は一番の近道(?)なのかもしれないな……と思考深まる2018秋。

しっかりと自分の中心(へその緒?)と繋がって、腹から言葉を発すること。
そのために、目の前のリアルな“日々”をどう暮らしていくのか……(何を食べ、どんなふうに眠り、起き、何を考えて/考えずに過ごすのか、何に時間とエネルギーを注ぐのか/注がないのか、などなどなどなど)。
結局は、「生き方」なのだと思うから。


目覚めた状態で、綴りたい。
寝ぼけた言葉は、たぶんどこにも届かない。



“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆