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『夢』はどんなふうに叶っていったら、それこそ“夢のよう”なのか、今の私はそこまで夢みているから……。

前回の内容を読み返し、気になっていたところを修正しながら、「やっぱり書ききれてないよ!」と痛感させられた。

あのときも“もどかしさ”を感じながら書いていたのだが(近づいたかと思うと遠くなる)、こうして読み返してみても案の定もどかしく、しかし少し時間が経ったこともあってか、前回よりは「この日一番書きたかったことは何だったのか」が見えてきたので、加筆せず、あらためてこちらに綴ってみようと思う。――いざ、再チャレンジ!



……その前に、前回の反省を少々してみたい(失敗から学べることは、本当に多いから)。
まず、タイトルが遠かった(『“自分が見たい夢”を自分に見せてあげることに本気になれば、人は幸せになれるのではないか?』)。話の的を絞り込めていないまま、最初に”なんとな~く”で打ったのが失敗のもと(自分でも「今朝から考えていることを、言葉にするのは難しい。」と書いていたくせに)。
そして《夢は自分で叶えるもの》――「誰かが自分を“自分の思っているとおりに”幸せにしてくれることを願っている時間があったら、自分で動いたほうが早い&速いだろう」――と書きはじめたことにより、話が大きくなりすぎて(前置き長すぎ)、この日のテーマになかなか迫っていけなかった。


むしろ、タイトルはこっち↓のほうがまだマシだった(近かった)のだと、今ならわかる(途中で『見出し』にしていた。そして「やっと本題に入れます」とまで言っていた。それなのに、最後にまたタイトルへと話を寄せてしまったため、この日一番に言いたかったことに辿り着けないまま、話がそれて終わってしまった)。

「では、どんなふうに叶っていったら“おもしろい”と感じるのか?」


結局これ。この話をしたかったのだ。

結局人は(というか私は)、「自分が一番“おもしろい”と思える方法」でしか、幸せになりたくないんだな、なれないんだな……って。

だから、自分が生まれる前に決めてきた『人生の設計図/地図/計画書(呼び方は何でもいいよね)』には、自分が最高に“おもしろい”(とか“カッコイイ”とか、人が重要視するポイントは人それぞれ違うだろう)と思えるプランが描かれているはずで、誰かのマネじゃなく、自分の“それ”を1個1個ひも解いていくほうが、一見遠回りに思えても、実は一番確実な、自分にとって嘘のない、「真実の道」への辿り着き方・歩み方だと思ったわけです。


《夢は自分で叶えるもの》とか「誰かが自分を“自分の思っているとおりに”幸せにしてくれることを願っている時間があったら、自分で動いたほうが早い&速いだろう」とか「自分のことは自分で幸せにするしかない!」とか、そういうのは全部前置き=私とってはすでに“あたりまえ”のことで、それらをチラッと確認した上で、この日一番の“発見”について、そう――

ではそれがどんなふうに叶っていったら、今の自分にとって“最高! 夢みたい!”と感じられるのか、その「叶え方」も全部、今の私にとっては大切な要素なのだ!(それに気づかされた!!)

――ということを語りたかったのです!!!




というわけで、今日のタイトル。

『夢』はどんなふうに叶っていったら、それこそ“夢のよう”なのか、今の私はそこまで夢みているから……。


同じような『夢』を持っている人たちがいて(ex.作家になりたい、本を出したい)、さまざまな方法でそれぞれのチャレンジが繰り広げられていて、成功している人・順調に進んでいるように見える人たちの「やり方」に強く、激しく、惹き付けられたりするのだけれど――何かに、どこかに、“自分の場合はそれじゃない……”と違和感のようなものを覚えるとき(どんなにそれが効果的な手段に思えても、同じような「やり方」を選択する自分がどうしてもイメージできないというか……)。


ぐっと近づいて、見つめてみること。
何に、どこに、“なんか違う……”と感じるのか。
なら『私』は、どんなイメージを「理想」として抱いているのか。意識の空中に浮かんでいるものだけじゃなく、無意識の湖水にまで潜り込んで、じっくり、じっくり、探ってみる。見つめてみる。

――本当の本当の、“一番”の望みは?
――もしも全部が叶うとしたら、どんなプロセスを“今の自分の最高ヴィジョン”として想い描く?


「とにかく、叶うんならなんだっていい、どんな方法だっていい!」と思えるときは(私は店をオープンさせたときがそうだった。「とにかく今すぐやりたいの!」ばっかりで、結局その先へは続かなかった……)それでいい。それで成功する人もいるだろうし、そこが通過点になる人もいるだろう。とにかく「体験した人だけが味わえる人生の糧」が必ずそこにはある。


だけど――“今の私”にとっては。
例えば「本を出すこと」は「ゴール」じゃない。
どんなふうにして、そこに辿り着くのか、その「道のり」がすでに『夢の中』で、「ゴール」のように見えるものも、1つ1つが通過点。“そこで終わり”ではなく、次なるステージへの「新たなスタート」であり「“夢を生きること”へのはじまり」で、全部が全部つながっている。つながっていく。

そして、その過程1つ1つが丸ごと私の『物語』であり、そんなふうにして私は『夢』を生きていきたいから。叶えた先で、叶え続けていきたいから――。


と、今の私がふんわりと想い浮かべているこのヴィジョンのようなものを、言葉にするのは難しい。それに、あまり「言葉」にして「説明」したくはないのだ(矛盾しているようだけど、だからこその『note』であり、ここで私はその“今の自分が最高におもしろいと思える方法”を、道が拓けて続いていく可能性を、“日々の自分を見つめながら書く”という行為をとおして、探っている)。
そうして魔法をかけていく。祈るように、けど“あたりまえ”のように、1つ1つに想いを込める。……うん、うまくは言えない。うまく言いたくなんかない。


ただ私は、見たいんだ。味わいたいんだ。
夢みたいな、奇跡みたいな、全部がつながっていく「現実」を。
今の私が最高に“おもしろい! こんなのって夢みたいじゃない!?”と思えるような、魂がふるえるような「現実」を。


だから――今はまだ、この言葉にならない“私らしい”やり方で、この道を誠実に、楽しみながら進みます。進むのです。




※蠍座の季節、突入。今日の話は、とても「蠍座」っぽい気がする。自分の秘めたる『欲望』に、どれだけ正直になって生きるか。そういうことがまた少し、わかってきたような今日この頃。そして今夜は(正確には25日の1時45分)「牡牛座の満月」。ここにも『欲望』のテーマがちらほら。自分の本当の望み、その“一番”を欲する心を愛さない限り、自分に“真の心地よさ”を味わわせることなんて不可能なんじゃないか? そんなことを、今またあらためて。ここでじっくりと深く潜って見つめて溶け合って、王の帰還(木星×射手座期)に備える。的を絞って高く飛ぶための、大切なときが今ここ。


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“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆