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オジサンがくれた夏休み  【教養のエチュード賞応募作(再編集 版)】

(こちらの記事は教養のエチュード賞20選に選ばれました。
 お読みいただきました皆様。誠にありがとうございました。)

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妻とビールを飲みながら話していた。

セミの声が聞こえてくる夏の夕暮れ。
「もう、そろそろ夏が終わってしまうな」
「この時期になると思い出すことがあるんだ」

あの暑かった夏の日...。

***
幼い頃の僕は、体が弱かった。
喘息と中耳炎に悩まされていた子供だった。

幼稚園も休みがち。
休みがちだから、あまり友達もできない。
一緒に住む大叔母さんとの病院通いが僕の日常になっていた。

昔の地方の病院は、数も少なく朝から行列。
そして子供は、ほとんどいない。

朝から並んで、終わるころには、お昼を過ぎていることもざらだった。
都内の大学病院にも連れて行ってもらったが、治る気配がない。

そんな感じだから、幼い僕にはあまりいい思い出はなかった。

僕が5歳の時、
お盆の途中で僕の家に親戚のオジサンが寄ってくれた。
母方の親戚で、とても気さくなオジサン
僕の事も、膝の上にのせて、よくかわいがってくれた。

そして、無類のビール好き。父親もビール好き。
田舎も一緒だから当然、話も合う。
ほっておくと、二人でビール瓶が入ったケースを一つあけてしまう。

そのため、うちに寄ったのはいいが、酔ってしまって、泊まっていって、
次の日に帰るのが定番だった。

そんなある日、
オジサンも僕が喘息持ちである事を父親から聞いた。そうしたら、

「だったら夏休みの間、オレんちに遊びに来させればいいよ」
「いい空気でも吸えばマシになるじゃないか」

オジサンの家は、田舎といっても後ろが山。前はダムに囲まれた、
かなりの山奥だ。僕はまだ行ったはない。

「それとさ、うちにも息子がいるからさ。歳も近いし、ちょうどいいべ」

そんな事を父親に話していたらしい。
すると父親は、それはいい!いう事になり
あれよあれよというまに、ビール片手に、父親とオジサンは、
僕が田舎に行く準備を進めだした。

僕の両親は、当時、自営業をしていて、
夏休みでも、子供の相手をあまりしていられなかったんだろう。
そんなこともあり、すぐ動き出したのだと思う。

初めて行く、親戚の家。しかも、一人で......。
僕は、不安で押しつぶされそうになり、あまり眠れなかった。

次日の朝、自分のリュックに薬をいっぱい入れて、
オジサンの軽トラに乗せられた。

家族に手を振る僕。
不安な顔をしていたはずだが、家族はみんなニコニコ。
オジサンの人柄を知っているからだろう。
心配ないという表情だった。

しかし、僕の心は逆だ。
幼いながら、微妙な心境になったのは覚えている。
行った事もない家に、いきなり放り込まれる......。
本当にこのまま行って大丈夫なのだろうか。
不安しかなかった。

そのまま国道を走っていると、
静かな僕に、オジサンが気づいたのだろう。

「なーに、全然心配なんていらないさ」
「うちにはな、息子も含めて子供が三人いるんだよ!」
「一人より大勢の方が楽しいべ」

僕には兄弟がいなく、一人っ子。
遊ぶのは一人か、大叔母さんと遊んでいた。

たまに、近所の子とも遊ぶが体力が持たない。走れない。
すぐに咳が出てしまってダウン。
そのため、自然と一人で遊ぶことが多くなる。
でも、一人には慣れていた。

だから、余計に心配になった。
いきなり、そんな、子供たちの中に入れるだろうか。
当時、そこまで深くは考えていなかっただろうが、
オジサンには、うん、うん、とうなずいて見せた。

車を飛ばして、どれくらいたっただろう......。

景色から、家が消えた。

代わり見えてきたのは、巨大な灰色の壁。
山からの土砂崩れを防ぐためのコンクリートだ。

灰色のカベのすぐ下に、鉄道が走っている。
そして、道路の反対側にはダム。

僕はダムが分からず、湖だ!と叫んだ記憶がある。
その道を、オジサンはタバコをふかしながら、快調に飛ばしていく。

その景色を眺めていたら、ようやく車が止まった。

「ほーら。ついた!車から、おりちまっていいぞ」

僕は急いで車の扉を開けようとしたが、要領が分からない。
ガチャガチャやっていたら、勝手に車のドアが開いた。

開けてくれたのは、オジサンの息子さん。
真っ黒に日に焼けて、麦わら帽子をかぶっていた。
体格もいい。もやしっこの僕とは正反対だ。

「ほれ!つれてきたぞ!トシ君、仲良くしてやってくんなー!」

息子さんは、トシ君と呼ばれていた。

トシ君は、僕を車から持ち上げて降ろすと、
麦わら帽子をかぶせてくれた。僕が呆然としていると、

「こっちが家だべ」

手招きしている。そして、どんどん走っていく。
僕はついていこうとしたが、車を降りた場所から
道路があるのだが、これが小さい僕には巨大な道路に感じた。
怖くて渡る事が出来ない。

道路の向こう側に家がある。
僕は、はなれた場所から、改めてオジサンの家を眺めた

とても大きな家だ......。うちの家とは比べ物にならない。
そして古い。かなり古い。一番衝撃だったのは、

『屋根に、草が生えている』

わらぶき屋根の家だった。

僕は、そんな家を今まで見たことがなかった。
別の親戚の家は見たけれど、
大きな家でも、わらぶき屋根の家はない。

汗をかきながら、口を開けて、その家をじっと見つめていた。

そうしたら、オジサンが僕をヒョイっと担ぎ上げて
そのまま道路を渡ってしまった。

「この母屋は、婆ちゃんたちが住んでるんだ。オレんちは、この上だ」

オジサンが僕を下すと、トシ君が戻って来た。
今度を手を引いてくれた。

母屋の横には、川が流れている。キレイな清流だ。
その川のそばを歩いて行くのだが、コケが生えていて、すべる。
転びそうになるが、なんとかトシ君と一緒にゆっくり歩いて行った。

とても暑いのだが、涼しい......。そんな印象を覚えている。

川の坂道を歩いて行くと、今度は、目の前にさらなる強敵があらわれた。
遠くから、地響きがなる。
だんだん...、だんだんと、近づいてくる。
それが、なんなのか、遠くから見えても分かった。そして、

僕の目の前を、貨物列車が、大きな音を立てて通り過ぎて行った!

この家は、
自分の敷地内に、鉄道が通っていたのだ。

後で知る事になるのだが、オジサンの近所の家は、
このように自分の敷地内に鉄道が通っている家が数件あった。
山とダムに挟まれた場所に、鉄道を通すための苦肉の策との事。


しかし、たまげた。
目の前を、鉄道がとおりすぎるとは......。
敷地内のため、当然、踏切はない。そのまま線路をわたるのだ。

少し回りが赤くサビた鉄道の上をまたいだ。
熱が、下からジワッとくるのを感じた。
焼けた鉄の匂いも、初めて嗅いだ。


オジサンの家は、思いのほか大家族であった。

おばあちゃん、おばあちゃんの妹、オジサンの妹。
この三人が、わらぶきの『母屋』に住んでいる。

『新宅』とよばれたオジサンの家には、
オジサンとおばさん。トシ君と、二人のお姉ちゃんの五人。
それと、白犬の『タロウ』と、年老いた黒い猫。猫には名前がなかった。

猫は放し飼いのため、母屋と新宅の間をいったりきたりしていた。
そして何かを捕まえると、必ず見せにくる。
夏だと、セミをくわえて見せに来ていた。オジサンは

「おー、とったか!とったか!」

と猫の頭をなでていた。

オジサンがいない時は、僕らに見せにくる。
僕は、褒めてはやらなかったが、頭をなでてあげた。
すると、また走って、猫はどこかに消えた。


一方、タロウは、とても人懐っこく、
僕が近へくいくなり、駆け寄って抱きついてきた。
しっぽもすごい振っている。

正直、かなりあせった。

実はもっと小さいころ、近所の犬に噛まれた経験があり、
犬がとても苦手だったのだが、オジサンのタロウは違った。
近づいて、僕を抱っこし、ひっくり返って、お腹を出した。

僕がきょとんとしていると、トシ君が

「こうやって、お腹をなででやるんだ」

と、教えてくれて、一緒にお腹をなでた。
タロウはとても満足そうだった。
僕はタロウとすぐ友達になれて、うれしかった。

ただ、遊びすぎて疲れてしまい、
オジサンの家に入った時には、フラフラ。

かなり疲れてしまい、そのままトシ君の部屋で眠ってしまった。

くろねこイラストゲタ

***
気が付いたら、もう夕方になり、ごはんの時間という事で起こされた。

オジサンの家の夕飯は、毎日『うどん』。

それも、市販のものではなく、
おばあちゃん達が作っている自家製のうどんで、それを食べているとの事。
たまに、オジサンも作っていて、しかもたくさん作る。

きれいな水で作られた、うどんの夕飯が僕は好きだった。

家族は多かったが、うどんは大量にあるため、
取り合いにならず、好きなだけ食べれた。

オジサンは、うどんを食べながら、
絵がらの入った瓶ビールを自分でつぎ、
毎日、楽しそうに野球を見ていた。

一緒にメシを囲むと、自然と仲良くなる。
子供同士であれば、なおさらである。
僕らはすぐに打ち解ける事ができ、最初の不安はいつのまにか消えていた。

食べ終わったら、次に行くのが風呂。
風呂は、母屋にしかないとの事。

道を照らす灯りなどない。

晴れていれば、月明かりでなんとなく行けるのだが、
くもっていたり、雨の日は、真っ暗闇の中を母屋にいくのだ。
トシ君は慣れているから、ヒョイヒョイ進むのだが、
僕は全然わからないため、最初はオジサンが付いてきてくれた。

そして、母屋について服を脱いで風呂に入ろうと思ったら、
これが、すぐには入れない。

木で作られた風呂の横には『風呂台』と呼ばれるものがあり、
この台が、かなり高い。
子供たちは、そこをよじ登るところから始まる。

薪で沸かす風呂で、おばあちゃんと、
オジサンの妹さんがいつも用意してくれていた。
薪のなんともいい香りがした。

しかし、僕はそれどころではなかった。
風呂台が高くて登れない。力もない。
オジサンの手を借りて、なんとか風呂台にたどりつく。

おばあちゃんお手製の、手作り石鹸で体を洗い、
オジサンと僕とトシ君で、背中を洗いっこし、
ザブンと風呂に入った。

そして、すぐに僕だけ出た......。

メチャクチャ熱い!

しかし、二人とも普通に入っている。

「あれ、熱いけえ?そしたら、水入れればいいべ」

オジサンが、桶で水をたしてくれて、ようやく僕が入れる温度になった。
しかし不思議なもので、三日目からは慣れて気にせず入れるようになった。

初日は、風呂に入ったら新宅に戻り、すぐに布団に入った。
ほんの数秒足らずで寝た気がした...。

朝は起きたら、近所の神社にラジオ体操に行く。

子供が十人ほど集まっており、大人はいない。
この地域は、上級生がハンコを体操カードに押すことになっていた。

体操が終わったら、僕もハンコを押してもらった。
そして、そのまま家に戻り、朝ごはんを食べ、
オジサン達と一緒にタロウの散歩に行く。
タロウは分かっているようで、待ち構えている様子だった。

再び神社に行き、そこでタロウの首輪のロープをはなすと
ものすごい勢いで走り回った。
僕らは一生懸命、おいかけて、つかまえて、ころんで、
泥だらけになって遊んだ。

オジサンはしばらくすると、そのまま畑に向かって行った。
僕らは、神社でしばらく遊んでいた。

そうこうしてるうちに、近所の子供たちがやってくる。
僕の事は、トシ君が「僕のハトコなんだ」と紹介してくれた。
神社に来ていたのは、みんな僕より年上が多く、男ばっかり。

そこから、神社裏の冒険が始まる。

そこには、カブトムシ、クワガタ、名前の分からない昆虫、
カエル、謎の巨大な石、不思議なものでいっぱい詰まっていた。
僕が今でも昆虫に問題なく触れるのは、ここで勉強したからだ。

次の日には、近くのお寺で遊ばせてもらった。
ご住職も、オジサンの知り合いで、
トシ君の幼稚園の先生だったので、よく話を聞かせてもらった。

午後は、オジサンに近所のプールにつれていってもらった。

そこは地域で管理しているプールがあり、
夏は子供たちであふれかえっていた。

ただ、よくある学校のキレイなプールとは勝手が違う。
川の水を利用している変わったプールのため、所々にコケが生えている。
林の中央にあるため、水面に木々が映っている不思議な光景のプールだ。

当然、僕は泳げない。しかも、深い。
そこで、上級生のお兄さん達が自己流の平泳ぎを教えてくれた。
しかし、遊んでいると不思議で、徐々に泳げるようになるのである。

帰りは、酪農をやっている家に遊びに行き、
牛を見たり、牛のふんを掃除したりして過ごした。
臭くてしょうがなかったが、これも、じきに慣れた。

夕方なると、トシ君は学校の宿題をやっていた。
僕はその横で猫と遊んでいた。
恐らく宿題の邪魔をしながら...。


夏休みが終わる五日前には、僕は真っ黒になっていた。
そして、名残惜しかったのだが、帰る時期となり、オジサンは

「また、来年もくればいいべさ。今度はもっと早く迎えに行くから」

そういって、僕を軽トラにのせて、実家に送ってくれた。
僕は、それまで幼稚園を休みがちだったが、
最期の年は、ほぼ休みなく通えた。

いつのまにか、喘息が収まっていた。それ以降、喘息の症状はでていない。

それから、翌年、オジサンは約束通り、
夏休みが始まると僕を、家に連れて行ってくれた。

そのうち、夏の一か月をオジサンの家で過ごすのが恒例になり、
兄弟がいない僕には、本当に夏が楽しかった。

気づけば、僕が中学に上がるまでの間、

『なんと七年間、僕を毎年迎えに来て、一か月過ごさせてくれたのだ』


***
あれから、何年たったのだろうか。

オジサンのおかげで、
動物と遊び、
野山を駆け巡り、
神社やお寺で遊ばせてもらい、
林の中のプールや、川を泳いで、
山菜取りに山に入り、
人の温もりを知った。

その後、僕の体はとても丈夫になり、
小・中は欠席ゼロ。皆勤賞のおまけがついた。

社会人になって、
お客様と話に詰まった時にでる雑談は、このオジサンの田舎の話だ。
田舎の話に共感する人は多く、新人の頃、僕は何度も救われた。

東京で暮らして結婚もし、
オジサンの家には、もう何年も行っていなかった。


そんなある日、トシ君から連絡があった。
オジサンが倒れたとの知らせだった...。

あまりに突然で、僕は唖然とした。
数年前の僕の父親の葬儀の時は、足が悪いという事で来れなかったが
電話では、とても元気そうだったからだ。

急ぎ僕は、車であのダム横の道を通り、
オジサンがいる葬儀場に向かった。

駆け付けた時、オジサンは静かに眠っていた......。
病気で亡くなったわけではないので、かっぷくの良さは変わっていない。
本当になにも変わっていないように見えた。

あまりに普通に眠っていたので、
しばらくしたら起きてきて、また野球の話や、親戚の話を
ビール片手に聞かせてくれそうな感じだった。

僕は、その瞬間は涙は出なかった。

でも、小さいころに、僕らと遊んでくれたご住職が出てきて、
オジサンの昔話をし始めてから、涙が止まらなくなった。


オジサン...。

オジサン......。

オジサン.........!!


僕は、悲しいですよ!
もっと、話したかったですよ!

あの夏が無かったら、今の僕はここにいなかった!
喘息だって、治ったんですよ!

そうそう!
トシ君と僕はね、同じ業界で仕事してますよ。
以前、良く会って話していますよと、オジサンに話したら

「そうか!ありがとうよ。これからも仲良くしてやってくんなー」

そんなことを言っていたのを思い出しましたよ。
仲良くなんて、当り前じゃないですか。
『トシ君は、僕の兄貴ですからね!』

今でも、良く相談にものってもらってますよ!

オジサンは、知らないかもしれませんが、
トシ君は、立派なシステムエンジニアで、
彼の職場では、もう無くてはならない存在ですよ!

その年のお盆に、僕は母親と一緒にオジサンの家によった。

昔、僕らが寝ていた部屋で、オジサンの盆棚ができていた。
青い回転灯篭が、涼し気に回っている。

お線香を上げて、静かに手を合わせた。


オジサン、どうもありがとう。
先に父親が行ってると思います。
どうか、仲良くしてやってください。

僕もいずれ行くと思いますが、
もう少し、こちらでトシ君と遊びます。
なので、もうしばらく、お迎えは大丈夫ですよ......。


家に戻って、久しぶりに瓶ビールを買った。
父親の仏壇にも、瓶を一本おいた。

妻についでもらい、僕も妻についであげた。

そういえば、親戚の集まりの時、
こうやってビールを、オジサンと一緒に飲んだのを思い出した。
陽気になって、昔話をよくしてくれた。

***
日もすっかり落ちて、月が綺麗な夜になった。
夏が来るたびに、僕は思い出すんだ。

あの暑かった夏休みの思い出と、オジサンに乾杯。

(おしまい)


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挿絵、見出し画像をイラストレーター ki_nyaさんにご協力頂きました。

どうもありがとうございました。

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この記事は以前、私が書いた記事を引用・修正したものです。
引用元はこちら。


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