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敵意の中で生きつづけるどこかのあなたへ

私が海外を拠点に生き始めて、数年が経つ。

ボランテイアや長期出張、留学など、完全に移住というわけではないスタイルではあるが、ある程度その土地に溶け込んで、地元の人やその町に住む人たちと共存をしてきたつもりではある。

そんななかで、腹わた煮え繰り返るような露骨な差別や、ブチ切れるほどではないにせよモヤモヤがどこかに引っかかるような、そんなやんわりとした偏見もたくさん経験して来た。

それと同時に、あ 自分も差別する側だったんだな と思い知らされるような場面も当然数え切れないほどあった。
世の中、意識 無意識に関わらず差別に溢れている。差別する人なんて有り得ない!そう言い切れるほど私は清くも聖人でもない。死んでも輪廻転成も復活することもない、普通の人間だから。

そうやって考えたときに、気付かされたことがある

私は、差別される可能性があるにしても、行く先々の国で<マイノリティーであること>を意外と謳歌しているんだということに。

そして思う。それは、私が経験しうる差別が「無理解や無知」をベースにしているものであって、「(私を傷つけてやろうという)悪意」をそこに秘めていないことがほとんどだからだ。

もちろん、悪意がないから、良かれと思って、 そんな言葉で色んな言動が許されるなんて思っていないし、だからといって私が差別的言動を受け入れている訳では決してない。


その上で思うのだ。そこに明らかな悪意が満ちていたとしたら、私はそこでも生活を、それでも続けていけるだろうかと。

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昨今の日韓関係について、私は正直無知な部分も多くて、起きている事象を追っていくだけで精一杯だったりする。ので外交についてアレコレいうつもりはない。
ただ、SNSの中に並ぶ激しい言説に心がざわついた。

在日、訪日韓国人を<敵>として認識するような言葉の数々。

それがもし、いま私がいる国で、日本人相手に起きていることだとしたらどうだろう。マイノリティー最高!なんて口が裂けてもいえないし、余計なことを言うまいと周囲に怯えながら生きていくのではないだろうか。

まして彼らの中には日本生まれ、日本育ちという方々も多くいるはずだ。産まれ育った国の中で、目に見える もしくは 見えないところで敵意を痛感するという状況は、いかほどだろうか。


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あなたは、差別をする人間ですか?
それとも、される人間ですか?

きっと、大半の人間がどちらもイエス。

あなたも私も、差別をする。この意味を忘れずに生きていきたい。

だってその向こうにいるのはいつも、痛みを感じる人間なんだから







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